あの人は戸籍にも心にもいない

あの人は戸籍にも心にもいない

除籍の二文字が胸に刺さる朝

朝一番の仕事で目に飛び込んできた「除籍」の文字。戸籍の閲覧請求書の対象者欄に、妙に見覚えのある名前が並んでいた。最初は気のせいかと思ったが、読み進めるうちに確信に変わった。昔付き合っていた恋人の名前だった。数十年前のあの頃、ふたりで歩いた帰り道、手を繋ぐのが照れくさかった夏の日が、ふと脳裏に浮かぶ。その人が今やどこか遠くで、誰かと人生を歩み終え、戸籍からも名前が消えたということを、そのたった二文字が教えてくるのだ。

仕事で見る名前と心のざわめき

司法書士という仕事をしていると、人の名前を大量に目にする。書類に埋もれていると、感情なんて忘れてしまいそうになる。でも、名前ひとつで心がざわつく日もある。今回のように、まさか自分の過去と書類で再会するとは思っていなかった。業務の一環として淡々と処理すればいいだけなのに、指先が震える。目線が一文字一文字をなぞるたび、思い出が呼び起こされるのは、自分がまだ人間である証かもしれない。

戸籍に残らない記憶の重さ

戸籍は冷酷だ。結婚も離婚も、死亡もすべて一行の記載で済まされる。けれど、その一行の裏には、膨大な時間と感情が詰まっている。僕が彼女と過ごした日々も、法的には何の痕跡も残っていない。婚姻関係でもなければ、家族でもなかった。付き合っていただけの関係は、記録には残らない。だけど、心にはしっかりと焼きついているのだ。除籍簿に名前があったとしても、記憶まで除籍されるわけではない。

書類仕事のなかで過去と向き合う時間

司法書士の業務は、常に過去と向き合う作業でもある。誰がどこで生まれ、誰とどんな関係を結び、いつ命を終えたのか。その事実を紙に写す。だが、ときに自分の過去とも否応なく向き合わされることがある。それは意外なほど静かにやってくる。書類の山の中に紛れた一枚が、突然胸をえぐる。冷たい蛍光灯の下で、一人でうなだれる時間もまた、この仕事の一部なのだと改めて感じる。

司法書士という仕事は淡々としていて感傷的

一見すると、司法書士の仕事は感情を挟まない事務作業に見える。確かに、ミスを防ぐには冷静さと客観性が求められる。それでも、そこに記されるのは人の人生の断片。感傷的になってはいけないと自分に言い聞かせても、日々の中で心が揺れる瞬間は訪れる。特に、過去の出来事と現在の業務が偶然交差したとき、その静かな衝撃は大きい。感情を処理するのもこの職業の一部なのだろう。

感情を処理するのも業務のうち

ある程度の年齢になると、感情を抑えることが当たり前になってくる。だけど、それが上手になればなるほど、自分の心に鈍感になってしまう。そんな中で思いがけず過去の誰かと書類上で再会すると、溜め込んでいた感情がにじみ出る。業務中は平静を装いながらも、心の中では波が立っている。感情を引きずったまま次の依頼に向き合うのは辛い。でも、それを飲み込んででもやらなきゃいけないのが司法書士の宿命だ。

クライアントの人生と自分の過去が交差する瞬間

クライアントの話を聞くとき、つい自分と重ねてしまうことがある。「彼女と別れて何十年経つけど、今も思い出す」と語る依頼者に、うっかり「わかります」と言いかけてしまった日もある。他人の人生を記録しながら、自分の未整理な気持ちが浮き彫りになるのは辛いけれど、少し救いでもある。誰かの人生と自分の過去が交差する、その瞬間にだけ生まれる共感が、司法書士を続ける理由になっているのかもしれない。

だからこそ一人で事務所に戻ったあとの静けさが沁みる

仕事終わり、夕方の事務所はやけに静かだ。事務員も帰って、一人になった時間が一番しんどい。誰にも言えない感情がじわじわと押し寄せてくる。でも、それを受け止める時間があるからこそ、翌日の仕事にまた向き合えるのだろう。冷蔵庫にあるコンビニ弁当の存在にすらほっとする夜もある。何も特別じゃない、そんな日常にこそ、自分を取り戻すヒントがあるのかもしれない。

恋も名前も記録から消える日が来る

恋人だった人が戸籍からも消える。それは当たり前のようで、実感が伴わない現実だ。記録に残らない関係は、いずれ誰の目にも触れなくなる。でも、心のどこかで「あの人はまだどこかで生きている」と思っていた。除籍の文字に突きつけられた現実は、そんな淡い期待すら奪っていった。恋も名前も、記録から消える日が来る。その寂しさを噛みしめながら、また僕は名前を記す仕事に戻る。

除籍簿に記された過去の恋人の名前

除籍簿というのは、法律上ではただの古い記録にすぎない。でも、僕にとっては過去との接点だった。彼女の名前がそこにあるだけで、何か証拠を見せつけられた気がして、立ち止まってしまった。「もうここにはいない」という宣告のようなあの記載。生年月日も死亡日も、誰と結婚したのかも、すべてが書かれているのに、自分とのことだけが何も残っていない。それが妙に現実を感じさせてくる。

あの人はいまどこで何をしているのか

もう彼女がこの世にいないことはわかっている。でも、除籍簿を見るまでは、どこかでまだ生きているんじゃないかと思っていた。「偶然どこかで会うかもしれない」とか、「もしかしたら年賀状でも届くかも」なんて、根拠もない期待をしていた。だけど、書類がそれを否定した。あの人はいま、どこにもいない。その事実が、なぜこんなにも重く感じるのか、自分でもよくわからない。

登録も抹消もできないこの気持ちの行き場

登記や戸籍は、登録と抹消の世界だ。必要な情報は記録され、不要になれば削除される。とても明確で、だからこそ安心もできる。でも、感情にはそんな明快な処理方法がない。思い出は抹消できないし、未練は登録されない。僕の中にある彼女との記憶も、どう処理すればいいかわからないまま、ずっと残っている。紙の上では終わった関係でも、心の中ではまだ処理中なのだ。

一人で生きていくことの現実味

最近、とくに感じるのは「このまま一人で老いていくんだな」という実感だ。誰かと再び出会う可能性なんて、もうとっくに薄れている。街でカップルを見るたびに、遠い世界のことのように感じる。昔は「一人が気楽でいい」と強がっていたけど、いまはその強がりさえ出ない。ただ淡々と、今日も明日も書類を見て、印鑑を押して過ごす。そんな人生が、思ったよりも孤独で、でもそれが現実だ。

モテないとかじゃなくて努力した結果これ

よく「なんで結婚しなかったんですか?」と聞かれるけど、正直に言えば「頑張ったけどダメだった」というのが真実だ。モテなかったわけじゃない…と言いたいけど、それも事実ではない気がする。ただ、人と距離を詰めるのが苦手で、仕事に逃げた結果、気づいたら独りだった。それだけの話だ。誰かに寄り添うよりも、仕事を選んだ自分への責任。だから後悔はしていない…と、自分に言い聞かせる。

昔はチームで戦えたのに

高校時代は野球部で、仲間と汗を流す日々だった。あの頃は孤独なんて感じなかった。苦しい練習も、声を出し合えば乗り越えられた。でも、社会に出てからは違った。誰も励ましの声なんてかけてくれない。事務所の中で一人、キーボードを打つ音だけが鳴り続ける。あの頃のように誰かと肩を組んで「頑張ろう」と言える時間が、もう一度だけあればと思ってしまう。

野球部の仲間たちはみんな家庭を持った

先日、元野球部のグループLINEで久々にやり取りがあった。「うちの子が高校入学だよ」なんて話を見て、ふと自分だけが取り残された気がした。みんな家庭を持ち、子どもがいて、将来の話をしている。僕はというと、せっせと登記のチェックをして、夜はコンビニ弁当。誰が悪いわけじゃない。ただ、道の選び方が違っただけ。でも時々、「俺の選択は間違ってたんじゃないか」と自問する夜もある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓