結婚式に呼ばれない年齢になってきた
気づけば、結婚式に呼ばれることがめっきり減った。若いころは春になるたびに誰かの招待状が届いていたけれど、今はポストに入るのは税務署からの封筒か、不動産の固定資産税の通知くらいだ。祝いの場よりも、訃報の知らせのほうが多くなったという現実に、妙な寂しさを感じている。そして司法書士としての仕事の場も、晴れの日より陰りの日が多い。そう思ったとき、ふと自分の人生も、どちらかというと「後片付け」に関わるほうに偏っている気がしてしまう。
お祝いの席より相続の現場に呼ばれる人生
20代30代は披露宴で友人代表スピーチも何度か頼まれた。でも今は違う。電話が鳴ると「実は、父が亡くなりまして…」という始まりが増えた。つまり私は、誰かの人生の「終わり」にばかり呼ばれる存在になってきたのだ。結婚式には呼ばれず、通夜や葬儀、そしてそのあとの相続相談のために顔を出す。地元で暮らす独身男性司法書士の役割とは、どうやら「おめでとう」ではなく「残された手続きを淡々と進める人」らしい。
同級生が集まるのは式場より通夜会場
久々に同級生に会った、と思ったら通夜の席だったというのが最近の定番。地元の式場ではなく、斎場で「懐かしいな」と言いながら焼香待ちの列に並ぶ。学生時代、仲がよかった友人も、今では家を建てて子どもを育てているらしい。そんな話を聞いて「自分だけ取り残されてるな」と感じるけれど、みんな気を遣って話をしてくれる。でも結局、「で、おまえは?」と聞かれて、笑ってごまかすしかない。
「久しぶり」はたいてい、誰かが亡くなったとき
この数年で、連絡帳に登録された名前の中から何人もが亡くなった。しかもその連絡を受けるのが、たいてい仕事の依頼の一環である。久しぶりにかかってくる電話が「お久しぶりです。実は母が亡くなりまして…」で始まると、あぁまたか、と内心ため息が出る。そういうとき、相手の悲しみを受け止めつつ、自分の人生の虚しさをどこかで噛みしめている。司法書士としてはありがたい相談だけど、心は正直、少しずつすり減っていく。
「結婚」の話題がなぜこんなに苦手なのか
正直なところ、「結婚しないの?」と聞かれるたびに、気まずさというよりも、めんどくささが先に立つ。自分でも、なぜこうなったのかはわかっている。出会いが少ないのも、性格的に控えめなのも、全部自覚している。でも、そんなことをわざわざ説明するのも疲れる。だから、なるべく笑って流す。司法書士って職業柄か、私生活に突っ込まれがちだけど、当の本人は、自分の「空白」にはあまり触れてほしくないのだ。
聞かれ慣れた「結婚しないの?」への返し
「まあ、そのうちね」「縁があれば…」このあたりのセリフはもう自動的に出てくるようになった。でも本音では、もうそういう未来はあまり想像していない。結婚より、登記や書類のほうがずっと確実だし、裏切らない。そう思ってしまうのは、きっと何度か小さな失望を積み重ねてきたからだろう。依頼人には「希望」を説いても、自分の人生にはあまり期待をかけていない。そんな自分が少し情けないけど、それが現実。
そもそも出会いがない地方暮らし
地方で仕事をしていると、人間関係がとにかく狭い。飲み会も同じ顔ぶれ、紹介されるのも親戚の誰かの娘とか、そんなレベルだ。マッチングアプリなんてのも一応使ってみたけど、年齢を入れた時点で、反応は鈍い。結局「信頼できる人間」である前に、「求められる対象」から外れていく。それは仕方ないと思ってるし、特に卑屈になっているわけでもない。でもふとした瞬間、虚しさが心をよぎるのは、否定できない。
忙しいふりをして逃げてきた代償
「仕事が忙しくて」と言って、いろんなことから逃げてきた気がする。付き合いの誘いも断り、休みの日も事務所にこもって書類整理。たしかにその積み重ねで今の自分の立場はある。だけど、気づけば誰とも深くつながらないまま、45歳になっていた。忙しいふりは便利だけど、心のどこかで「このままでいいのか」と問いかけてくる。だけどその答えを出すのが怖くて、また仕事に逃げてしまう。