結婚ってなんだったんだろうと呟いた夜、登記簿と独りきりだった

結婚ってなんだったんだろうと呟いた夜、登記簿と独りきりだった

気づけば、誰もいない家に帰っていた

仕事が終わって、ようやく事務所の灯りを落とし、車で帰宅する。帰り道の途中にあるコンビニに立ち寄って、いつもの弁当と発泡酒を手に取る。そんな日常が、気づけばもう何年も続いている。家に着いても、迎えてくれるのは真っ暗な部屋と、キッチンに積まれたレシートの山。テレビも点けず、ただ弁当を食べて、酒を流し込んで、気づけば寝ている。そういう生活に、違和感を覚えなくなって久しい。

書類の山と夕焼けだけが迎えてくれる

夕方、窓から差し込むオレンジ色の光が、事務所のデスクに積まれた登記簿を照らす。その光景は妙に美しくて、でもどこか虚しい。人と話すのはほとんどが電話越しか、来所された依頼人との短い会話。今日も、封筒にハンコを押してくれる誰かがいるわけでもない。仕事は山のようにあるのに、それを共有する相手がいない。あの夕焼けに、誰かと「きれいだね」と言えたら、どれだけ救われるんだろうと思ってしまう。

「結婚しないの?」と聞かれたあの日のこと

役所の方から世間話のついでに、「先生、結婚しないんですか?」と聞かれたことがある。悪気がないのはわかっていたけど、心のどこかに刺さった。昔は「そのうち…」なんて笑って答えてたけど、気づけばその“うち”が遠ざかってしまった。「自分には縁がなかったんです」と笑いながら、心の中では「本当にそうだったのか」と何度も問い直していた。

孤独は静かに、でも確実にやってくる

忙しさにかまけていれば、孤独は気づかないふりをしてくれる。でも、ふとした瞬間にそれは訪れる。風呂に入っているとき、布団に入る前の数秒、スマホを無意識に手に取って誰にも連絡しないとき。まるで冬の冷気のように、静かに忍び寄ってきて、心の隙間に入り込む。歳を重ねるごとに、その冷たさが骨まで染みてくるようで、たまらなくなる。

司法書士という仕事は、ある意味では「結婚」に似ている

司法書士の仕事って、信頼と責任の上に成り立っている。人の人生の転機や節目に関わるからこそ、ミスは許されないし、常に期待に応える必要がある。それって、結婚にも似てると思う。契約じゃないけど、信頼関係があって初めて成り立つ。でもそのプレッシャーが日常になると、自分自身が何のためにやってるのか、わからなくなる瞬間もある。

契約と責任の重さに押しつぶされそうになる

登記のミス一つで、何百万、何千万の損害につながる。だから、確認、再確認、そしてさらにもう一度確認。慎重に、丁寧に、でも素早く。常に緊張を強いられるこの仕事は、気を抜くとあっという間に信頼を失う。結婚生活も同じで、相手の気持ちを読み間違えれば、関係が壊れる。でもこちらの心情には、あまり誰も目を向けてくれない。

相手の期待に応えることで、自分を見失う瞬間

「先生にお願いすれば安心です」と言われると、嬉しい半面、重たさも感じる。安心を与えるのは仕事の本質だけど、その裏で「自分が壊れてもいいや」と思ってしまう瞬間もある。結婚もそうかもしれない。相手の幸せを最優先して、気づけば自分がどこにもいない。そうやって擦り減っていった人たちを、これまで何人も見てきた。

「やって当然」の世界に疲れて

司法書士って、表に出ることは少ないけれど、やって当然の仕事を陰で支えている。感謝よりも「遅い」とか「分かりにくい」と言われることの方が多い。結婚も同じで、当たり前を重ねることが求められる。でも人間って、当たり前だけじゃ生きられない。小さな「ありがとう」や「助かったよ」が、心の燃料になっている。それがないと、どんなに仕事があっても、空虚なんだ。

それでも、自分の選んだ道を嫌いになれない理由

結婚はしていない。でも、司法書士としてやってきた人生を、全部否定する気にもなれない。だって、この仕事を通して、誰かの人生を少しでも後押しできたと思える瞬間があるから。きっと結婚していたら、こんな風には考えられなかったかもしれない。今この生き方だからこそ、見えたものもある。

誰かの役に立てる喜びは、確かにある

相続の手続きで、涙を流しながら「本当に助かりました」と言われたとき、思わずもらい泣きしそうになったことがある。自分の存在が、誰かの不安や悲しみに少しでも寄り添えているんだと思えた。その瞬間だけで、やってきた意味があると思える。結婚とは違うけど、人と人との「繋がり」は、どんな形でも確かに存在する。

書類の向こうにいる人の人生に触れられる仕事

戸籍、登記簿、契約書――それぞれは紙の塊だけど、その一枚一枚には人生が詰まっている。家を買った人の未来、亡くなった人の思い出、家族の形。それに毎日触れていると、自分の人生にも少しだけ誇りが持てる。「この人たちを支えるために、俺はここにいるんだ」と思える日もある。

独りだけど、独りじゃないと思えた瞬間

結婚はしてないけど、誰にも愛されていないわけじゃない。時々、依頼人から「先生がいてくれて良かった」と言われると、心が温かくなる。独りで生きてるようで、ちゃんと誰かと関わっている。そんな風に思える日は、ほんの少しだけ自分を許せる気がする。あの夜、「結婚ってなんだったんだろう」と呟いたけど、今は「それでも生きてきた意味はあった」と言えるようになりたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。