同業者のSNSがまぶしくて仕事に集中できない日

同業者のSNSがまぶしくて仕事に集中できない日

あの眩しさにやられる朝のSNSチェック

朝、目が覚めるとなんとなくスマホを手に取る。もう習慣になっている。カーテンの隙間から差し込む朝日より、SNSのタイムラインのほうがずっとまぶしい。先輩司法書士が講演会に呼ばれたとか、後輩が「月に30件達成!」とか、そんなキラキラした投稿が並んでいて、目を細めたくなる。自分もそれなりにやってきたつもりだ。でも「投稿するようなことがない自分」を、画面を通して突きつけられるようで、心がざわつく。画面を閉じても、その光は心の奥でチカチカしている。

目覚めのコーヒーより強烈な成功報告

コーヒーを淹れながら、頭の中では「自分には何ができていないんだろう」と反芻してしまう。SNSに流れるのは努力の結果というより、努力の演出だとわかっているのに、その演出にまんまとやられてしまう自分がいる。「この程度の件数じゃ、何も言えないよな」と、自分のやってきたことまで急に色あせて見える。投稿された成功報告一つで、昨日まで抱いていたささやかな達成感が、泡のように消えてしまう。

こんなにやってます投稿に押しつぶされそう

「今日も全力!」「クライアントに感謝!」といったテンションの高い言葉が並ぶと、なんだか自分が怠け者のように思えてくる。「あれ? 俺ってそんなに頑張ってないのか?」と不安になる。でも実際には、目の前の書類と格闘して、依頼人と丁寧にやりとりして、それなりに毎日をやりくりしてる。投稿する時間すらないくらいに。でもそれは、誰にも伝わらない。だからこそ、「やってます投稿」に心が押しつぶされそうになるのだ。

冷静になろうとしても胸がザワつく

スマホを閉じて「よし、気にしない」と呟いたところで、頭の中に残像のように残る言葉や数字は消えない。フォロワー数、報酬実績、セミナー登壇、出版。どれも自分とは遠い場所に感じられて、自分がこの場所にいていいのかとすら思えてくる。何度も「人と比べても意味がない」と言い聞かせるのに、気づけばまた画面を開いてしまっている。その行為が、自分をいちばん苦しめているのに。

比べないって決めたのに

過去に何度もSNS断ちを試みた。通知をオフにしてみたり、アカウントを一時停止してみたり。でも結局は戻ってしまう。自分は何者なのか、どこまで来ているのかを、他人の投稿を通じて測ってしまう癖が抜けない。「自分軸で生きる」とか「マイペースでやればいい」とか、そんな言葉が薄っぺらく感じられる日もある。比べないって、こんなに難しいことだったっけ。

数字のない努力は努力じゃないのか

登記件数、報酬額、相談件数。そういう「見える数字」がSNSでは正義になる。でも、たとえば認知症の依頼人に丁寧に説明した1時間や、急な相続対応で夜まで付き添ったあの日のことは、どこにも投稿できない。数字にならない仕事のほうが、実は多いのに。それが積み重なっていく日々を、自分はちゃんと評価できているのかと不安になる。他人には見えないけど、自分でも見失ってしまいそうになる。

自分の成果はどこにあるのか

「目立った実績がない」と思うと、今の自分が積み上げてきたものすらも疑わしくなる。「誰も見ていないのに、なんで頑張ってるんだろう」そんな気持ちが、夜になるとふと襲ってくる。でも、目の前の依頼人の笑顔や、ふとした「ありがとう」に救われる瞬間もある。数字にならない自分の仕事は、本当に価値がないのだろうか。それを信じられなくなるのが、いちばんつらい。

他人のSNSを見る時間がどれだけ無駄か

10分だけのつもりで開いたSNSが、気づけば30分。それどころか、気持ちが沈んで作業に戻れなくなるから、損失はもっと大きい。たとえば月に15時間。年間で180時間。これはひとつの案件が終わるくらいの時間だ。その時間を自分の事務所の改善や学びにあてていたら、少しは違う未来が見えたかもしれない。見えない他人を見続けて、自分の視界を狭めていた。

スクロールの先に幸せはなかった

SNSで誰かの活躍を見て、「よし、自分も頑張ろう」と思えた時期もあった。でも今は違う。見れば見るほど、自分とのギャップに落ち込む。何かを発信していない自分には価値がないような錯覚にすら陥る。結局、スクロールの先に答えはなかった。幸せもなかった。ただ、疲れだけが残る。まぶしすぎる光は、人を盲目にする。

時間を奪われるだけの日々

「情報収集のため」と言い訳して、他人の投稿ばかり見ていた。気づけば、肝心の自分のやるべき仕事に集中できない時間が増えていた。1日があっという間に終わっていくのに、満足感も達成感もない。SNSは便利な道具だけど、使い方を誤ると心を蝕んでくる。自分で時間を切り取って、使い方を見直さなければ、ただ疲弊するだけの道具になる。

モヤモヤの正体は自分への焦りだった

結局、SNSに感じる眩しさの正体は、他人への羨望よりも、自分への焦りだ。「何かやらなきゃ」「このままじゃまずい」そんな焦りが、他人の投稿に敏感に反応してしまう。今のままじゃダメだと思っているのに、何をどう変えていいのかもわからない。焦っている自分を、他人のキラキラがさらに追い詰めてくる。

置いていかれる不安と孤独

東京の仲間たちは、どんどん成長していく。講演、メディア出演、書籍出版。それをSNSで見るたび、自分だけが取り残されたような感覚になる。地方で黙々と仕事をしていると、孤独感が強まる。誰とも競争していないつもりなのに、勝手に負けた気になってしまう。ひとり事務所というのは、そういう感情にやられやすい。

田舎の司法書士の限界

都市部に比べて案件数も少ない。話題性のある仕事も少ない。派手な成果が出にくい環境にいると、それだけで劣等感を感じてしまう。でも、田舎にも田舎なりの役割と価値があると、頭ではわかっている。問題はそれを「自分が心から信じられるか」だ。誰かに証明してもらうのではなく、自分で自分を認めてやることの難しさを痛感する。

誰にも言えない小さな自慢

たとえば、昔の依頼人が年賀状を送ってきてくれたこと。小さな会社の社長が「先生のおかげで踏ん張れました」と言ってくれたこと。そういうエピソードはSNSに書かない。でも、そういう記憶があるだけで、少しだけ前を向ける。誰にも言えない小さな誇り。それを積み重ねて、自分を保っているのかもしれない。

じゃあどうすれば楽になれるのか

他人と比べない。SNSに振り回されない。そう思うだけじゃ足りない。具体的な行動に落とし込まないと、心は変わらない。自分の時間の使い方、情報の受け取り方、そして何より、自分の仕事の価値を自分で信じること。そこに戻るしかない。

自分なりの基準を持つということ

件数や金額より、「どれだけ依頼人の気持ちに寄り添えたか」を基準にする。SNS映えする仕事より、自分が誇れる仕事を重視する。そうやって、自分の中に軸を作っていくと、外の光に惑わされにくくなる。まぶしい投稿も、「ああ、そういう世界もあるよね」と受け流せるようになってくる。

やるべきことに集中する勇気

いちばん大事なのは、「今、目の前にある仕事」に集中すること。SNSを見ても報酬は増えないし、事務所は回らない。焦ったときこそ、淡々と目の前の業務に集中する。それが遠回りに見えて、いちばんの近道かもしれない。「誰かに見せるため」じゃなく、「自分が納得するため」に働く。それが、いまの自分にできる唯一の答えだ。

今日もまた見てしまったけど

今日も朝からSNSを開いてしまった。やっぱりまぶしかった。少し落ち込んだ。でも、スマホを閉じて、パソコンを立ち上げる。やることは変わらない。今日も誰かの相談に向き合う。地味だけど、自分にしかできないことがあると信じて。

それでも仕事は目の前にある

SNSの光に目がくらんでも、現実の仕事は待ってくれない。あの人の投稿が輝いていても、自分の仕事が色あせるわけじゃない。今日もまた一つ、地味な案件をきちんとこなす。それだけで十分だ。そう思える日は、まだ少ない。でも、少しずつ増やしていけたらいい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。