閉庁間際の電話
法務局が閉まる少し前、事務所に電話がかかってきた。受話器を取ったサトウさんの眉がぴくりと動いたのが、デスク越しにもわかる。
声は落ち着いているが、その内容が普通ではなかった。「今夜、謄本の写しを至急欲しい」と、そう言ったという。
閉庁後にそんなことができるわけがない。だが、その声はやけに確信めいていた。
サトウさんの冷静な受け答え
「無理です。法務局は17時15分で閉まりますので」。サトウさんの返答はきっぱりしていた。
まるでサザエさんがカツオの言い訳をバッサリ斬るときのような切れ味だ。
だが受話器の向こうの男は諦めず、「ではせめて所在地と地番だけでも」と食い下がった。
名義変更の謄本が欲しいという依頼
それだけなら明日でもよいはずだ。登記簿は逃げない。
だが、依頼者は「今夜でなければ困る」と繰り返す。
どこか必死で、いや、何かを隠しているような気配が漂っていた。
深夜の法務局閲覧室
その夜、なぜか鍵を持つ職員から「忘れ物を取りに来てもいい」と連絡があった。
ついでに謄本も見てきていい、と含みのある言葉まで添えられて。
俺はどうにもしっくりこないまま、夜の法務局へと向かうことになった。
ありえない時間指定の閲覧申請
閲覧申請は通常、日中に行われるものだ。
だが、今回の閲覧記録は「二十時十五分」になっていた。
誰が、どんな手段でそれを通したのか——その痕跡が、なぜかそこに残っていた。
誰もいないはずの建物の気配
閲覧室のドアを開けた瞬間、背筋がゾワッとした。
明かりは消えているのに、人の気配が残っていたのだ。
やれやれ、、、と思わずつぶやいた。深夜にこんな体験をする司法書士なんて、全国探しても俺くらいだろう。
依頼人の正体
名義変更された土地の所有者欄には、見慣れた名前があった。
それは、十年前に亡くなったと聞かされていた人物のものだった。
俺は思わず、椅子に座ったまま体を固くした。
謄本から読み取れる奇妙な点
登記の原因は「売買」、日付は昨年の12月。
しかし、その人物の死亡届はもっと前の年に提出されているはずだ。
もしそれが本当なら、死人が土地を売ったことになる。
登記簿に刻まれた空白期間
気になったのはその前の登記だった。
相続による名義変更があったはずなのに、それがなぜか抹消されていた。
登記簿上の空白が、不自然に広がっていた。
売買か相続か曖昧な原因
登記原因が途中で「売買」から「遺贈」に変わっていた節がある。
訂正の記録も、補正通知の痕跡もなかった。
誰かが裏で操作したとしか思えない内容だった。
決済日と登記日のズレ
本来、売買契約の決済日と登記申請日は近接しているべきだ。
だが、ここでは一年以上の開きがあった。
そのズレは、誰かが時間を稼いでいた証のように感じられた。
過去に遡る嘘
ふと、ある事件の記憶が蘇った。
十年前、火事で死亡したとされた男が実は生きていたのではないかという噂。
もしそれが事実なら、この謄本がその証拠となる。
相続登記をしたはずの被相続人が生きている
つまり、相続登記が虚偽だったということになる。
法務局を利用して、死んだふりをした者が土地を売ったのだ。
謄本には真実も嘘も記録される。ただし、それを読む目があればの話だ。
サトウさんの推理
翌朝、事務所でサトウさんに報告すると、彼女はあっさりと言った。
「つまり、死亡届も誰かが握りつぶしたってことですよね」
俺がモヤモヤ悩んでいたことを、スパッと斬ってきた。
たった一枚の謄本が語る犯罪の構図
そう、一枚の謄本から、嘘の連鎖がほどけていった。
偽装相続、なりすまし、そして不動産売却。
それは、探偵漫画なら三話分にできるような事件だった。
やれやれと言いつつも動くシンドウ
「やれやれ、、、」とまた言ってしまった。
司法書士の仕事ってのは、もう少し平和なもんじゃなかったっけ。
だが、こういうのを見つけてしまったからには、動かざるを得ない。
夜明け前の真実
その日の午前五時。警察に連絡した直後、男は駅で身柄を確保された。
身分証と名義変更済みの登記簿を持っていた。
だが、それらはすべて、死人が残した「偽りの証明」だった。
権利の陰に潜む影
登記とは、単なる紙の記録ではない。
そこに書かれた「権利」の裏には、得るための動機と手段がある。
俺たち司法書士は、それを見抜く責任を持っているのだ。
誰が何のために登記を急いだのか
売却先が再開発業者だったと聞いたとき、すべてがつながった。
偽装相続を利用して、高額な換金を狙ったのだ。
もし今夜の謄本写しがなければ、誰も気づかず終わっていたかもしれない。
解かれた謎とその代償
謄本一枚で暴かれた過去の嘘と、未遂に終わった詐欺。
だが、犠牲となった本来の相続人には、すでに遺産は戻らなかった。
解決したとは言いがたい、苦い結末だった。
そして日常へ戻る司法書士事務所
その日の午後。事務所では登記相談の電話が次々に鳴っていた。
サトウさんはいつも通り淡々と対応し、俺は少し寝不足のまま登記申請の書類を整えていた。
日常は、事件があっても変わらない。ただ、謄本をめくる目だけは、少しだけ鋭くなっていた。