親からの「元気にしてる?」が、正直しんどい日もある

親からの「元気にしてる?」が、正直しんどい日もある

親の電話が怖いなんて、言えないけど本音です

司法書士として一応独立してやっている。でも、実家の親から電話がかかってくると、なんとも言えないプレッシャーを感じる。大したことのない会話、他愛もない内容なのに、電話を切った後になぜか気分が沈む。昔は「元気?」と聞かれたら素直に「うん」と返していたが、今はその一言が胸に刺さる。元気にしてると言えるほど、誇れる毎日でもないし、何かうまくいってる感じもない。だから出るのが億劫になる。自分だけかと思っていたが、同じように感じている同業者もいると知り、少しだけ安心した。

たった5分の通話で、数日引きずる感情

親との電話は基本的に短い。でも、その短さの中に込められた言葉が、自分を無力にさせる。「最近どうなの?」「お客さんは来てる?」「ちゃんと食べてる?」——どれも優しさから来てるのはわかる。だけど、うまくいっていない現状を言い訳がましく話すのが嫌で、適当にごまかすしかない。そして電話を切った後、うそをついた自分を責める。「また何も変わってないのに」とか、「こんなはずじゃなかった」とか、後悔や虚無感に押しつぶされそうになる。5分話しただけなのに、何日も心のどこかにその重さが残るのだ。

「元気?」の裏に詰まった期待と不安

「元気?」の一言には、親の期待と不安が詰まっているように感じる。親は決して責めてはいない。でも、声のトーンや間の取り方から「本当はもっと何かを求めてるんじゃないか」と思ってしまう。子どもの成功や安定を願うのは当然だが、それを言葉にしないからこそ、余計にプレッシャーになる。「何かあったの?」「大丈夫?」と聞かれるたび、なにも起きてないのに心がザワザワしてくる。期待に応えられていないという罪悪感が、電話一本で心に広がっていく。

何も成し遂げていないような気がしてくる

資格を取り、事務所を構え、それなりに年も重ねてきた。それなのに、親と話すと、自分が何一つまともに成し遂げていないように思えてしまう。周囲には家庭を持ち、子どもがいて、地域に根ざしている人が多い中、自分だけが時間に取り残されたような気分になる。何をしてもうまくいっていないような錯覚に陥り、「自分って一体何してるんだろう」と落ち込む。親はそんなふうに思わせるつもりはないのだろうが、親という存在は、無意識に「比べる基準」を自分の中に作ってしまう。

結婚しないこと、子どもがいないこと

親との会話で避けがたい話題が「結婚」と「子ども」のことだ。特に田舎の親は、この二つに対する価値観が強く根付いていて、それが悪いとは思わない。でも、自分はどちらも縁がないまま年を重ねてしまった。責められているわけじゃない。だけど、どこか「心配」や「残念」が混じっているのが伝わってくる。その微妙なニュアンスが、自分の心にはズシリと響いてしまうのだ。

親にとっての「普通」と、僕の「現実」

親にとっての「普通」は、結婚して家庭を持ち、孫の顔を見せること。それができない自分は、親の中で“途中経過”のまま止まっている存在のように思える。話すたびに、「そろそろ落ち着いたら?」と言われそうで怖くなる。落ち着くって何だろう。家を買って、誰かと暮らせば落ち着いたことになるのか?自分の現実は、目の前の業務でいっぱいいっぱいで、恋愛も家庭も入り込む余地がない。その現実を理解してもらうには、距離がありすぎる。

否定されているわけじゃないけれど、重い

親は優しいし、応援してくれているのもわかっている。それでも、話しているとどこかで「本当はこうしてほしいんだろうな」という空気を感じ取ってしまう。何も否定はしていない。でも、望まれている「理想の姿」と今の自分とのギャップが、重くのしかかってくるのだ。親の期待に応えられない自分を責め、また電話に出るのが億劫になる。だからといって着信を無視してばかりいると、さらに自己嫌悪が深まるという負のループだ。

司法書士という仕事は安定している、はずなんだけど

世間から見れば、「司法書士=安定」と思われがちだ。でも実際はそんなに単純じゃない。独立していれば尚更、仕事を取るのもこなすのも自分次第。浮き沈みはあるし、相談があるときだけ依頼が来るこの業界で、安定なんて言葉はむしろ縁遠い。そんな仕事の実情を親に伝えようとしても、なかなか理解されない。だから「忙しいよ」とだけ答えてしまう。それもまた嘘の一種かもしれない。

資格を取れば人生安泰?そんなわけない

司法書士の資格を取ったとき、親は本当に喜んでくれた。「これで食いっぱぐれはないな」と言ってくれた。あの時は、自分もそう思っていた。でも、実際に独立してからの現実は違った。依頼がない日は不安になるし、経費はかかるし、責任は重い。何より、精神的に追い詰められることも多い。安泰なんて言葉は、誰かに雇われている方が近いかもしれない。そんなリアルは、なかなか親には伝えられない。

事務所経営の現実:忙しいのに儲からない

事務所を開いても、最初は電話も鳴らなかった。ようやく少しずつ依頼が来るようになったが、それでも「忙しい=儲かる」ではない。手間がかかる割に報酬が安い案件も多く、下手に人を雇えば赤字になりかねない。だから事務員も最小限、経費も削って回している。それでも「仕事あるの?」と聞かれると、何とも言えない気持ちになる。親に言えるような成功は、まだ遠い。

「先生」と呼ばれても、心は満たされない

仕事の現場では「先生」と呼ばれる。でもその言葉に、もう喜びは感じない。肩書きや呼称では、空いた心の穴は埋まらないのだ。日々の対応に追われ、感謝されることよりもクレーム対応に頭を抱える方が多い。そんな日々の中で、電話の向こうから「立派になったね」と言われても、「そうでもないよ」としか返せない。親は褒めてくれている。でも、それがプレッシャーにもなってしまう。

親に説明できない仕事の内容

司法書士の仕事は説明が難しい。登記や裁判所の書類作成、成年後見など、専門用語ばかりで、説明しても「ふーん」で終わってしまう。だから最近はもう話すのをやめた。わからないままの方が、親にとっても幸せなのかもしれない。そう思いながら、自分の仕事を「何してるの?」と聞かれるたび、適当にごまかしてしまう自分がいる。

「登記って何?」と聞かれても、もう説明する気がない

たまに親が「お前の仕事って、結局どういうことなん?」と聞いてくる。でも、どう説明してもピンとこない。土地の権利の話をしても、裁判所の書類の話をしても、「難しいなあ」で終わる。以前は一生懸命に説明していたが、今はもう適当に「手続きのお手伝い」とだけ答えている。説明しても分かってもらえない虚しさを味わうくらいなら、何も言わない方がマシだ。

理解されない仕事と、伝わらない苦労

親に限らず、司法書士の仕事は周囲に理解されにくい。たとえば「公正証書を作った」と言っても、「へぇ、よくわからんけどすごいね」と言われて終わる。こっちは夜遅くまで準備して、神経すり減らして対応しているのに、伝わらない。努力が見えない仕事だからこそ、理解を求めること自体が無駄なのかもしれない。でも、親には少しくらい分かってほしい、という気持ちはまだどこかに残っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。