ひとり事務所のつぶやき
朝の静けさが怖くなる瞬間
開業当初、朝が静かだと「今日も平和だな」と思っていた。しかしいつの間にか、その静けさに不安を感じるようになった。電話が鳴らない、メールも来ない、そんな日は「自分の存在が誰にも必要とされていないのでは」と疑ってしまう。特に週明けの月曜日、誰からも音沙汰がないと、土日に何か大きな事件があったのかとさえ考えてしまう。
電話が鳴らない日は不安が募る
「今日は静かでいいですね」なんて言われることもあるが、経営者にとっては死活問題だ。電話の一本、メールの一通が収入に直結するこの仕事では、静けさはむしろ恐怖だ。司法書士事務所にとって「静かすぎる一日」は、漁師にとっての「魚が一匹も釣れなかった日」と同じだ。空振りの一日は精神的に大きなダメージになる。
問い合わせゼロの恐怖
一日中パソコンの前で座っていても、問い合わせがゼロの日は実際にある。その日はなぜか椅子のクッションも硬く感じ、背中に変な痛みが走る。まるで体が不安を表現しているかのようだ。何度もメールを更新しても受信はなし。郵便受けにも広告チラシしか入っておらず、「ああ、今日も何もないまま終わるんだな」とため息が出る。
依頼が来ないのは何が原因か
こういう日はつい自分を責める。「最近チラシ出してないからか」「ホームページが古臭いせいか」など、原因探しが始まる。ときには事務員さんのミスを疑ってしまうこともあり、後で猛烈に自己嫌悪に陥る。けれど結局、原因なんて誰にもわからない。運、不運、それだけで片付けられるような日も、やっぱり存在する。
事務員がいるありがたみと孤独感
一人で全てを抱えていた頃に比べれば、今は事務員さんがいるだけでもずいぶんと助かっている。けれど、結局のところ最終的な責任は自分にあるのだから、完全に安心しきれるわけでもない。ありがとうと同時に、申し訳なさや不安も常につきまとう。
ひとりよりマシだけど結局全部自分
書類のチェック、登記の確認、郵便の出し忘れ確認まで、細かいことを挙げればキリがない。もちろん事務員さんは頑張ってくれている。でも「これは間違えてはいけない」と思えば思うほど、自分の目で最終チェックせざるを得なくなる。そんな時、つい「やっぱり一人でやった方が早い」と思ってしまうこともある。
任せる勇気と任せきれない自分
業務を効率化するには「任せる」しかない。でも任せて万が一ミスが起きたら……という恐怖が頭をよぎる。以前、登記の一文字を間違えてしまっただけで、依頼者から厳しい言葉をもらった経験がある。それ以来、任せきることが難しくなってしまった。信頼と責任、そのバランスは今も試行錯誤中だ。
辞められたらと思うと夜も眠れない
事務員が体調を崩して数日休んだだけで、業務は一気に滞った。そのとき、「辞められたらどうしよう」と本気で心配になった。地方では人材の確保も難しい。何度も求人を出しても応募がゼロということもある。彼女がいなければこの事務所は回らない。それだけに、感謝と同時に大きなプレッシャーも抱えている。
誰にも頼れないプレッシャー
ミスがあれば謝るのは自分。トラブルがあれば対応するのも自分。体調が悪くても、代わりに登記を完了してくれる人はいない。司法書士という職業は、思っている以上に「孤独な仕事」だ。支えてくれる人がいれば、と思うが、なかなかそうもいかない。
責任のすべてが自分にのしかかる
以前、依頼者の不動産取引がスムーズにいかず、取引先の弁護士や不動産屋から何度も連絡が入った。誰が悪いというわけではないのに、責任はすべてこちらに向かう。「どうなってるんですか」と詰められたとき、自分が壁にならなければ、誰も代わりにはなってくれないと痛感した。
ミスが許されないという孤独
士業という肩書きは「信用」で成り立っている。だからこそ、一度のミスが致命傷になりうる。どれだけ事前に確認していても、相手の信頼を失うのは一瞬だ。それを思うと、いつも張り詰めた糸の上を歩いているような感覚になる。人に愚痴ることすらためらうのは、「先生」と呼ばれる立場ゆえだ。
お金のことも人間関係も、すべて自己解決
経営の悩み、仕事の悩み、そして将来の不安。誰かに相談したくても、同業の知人には弱音を見せられない。家族もいない。恋人もいない。だからこそ、夜ひとりで缶チューハイを飲みながらスマホのニュースを眺めている時間だけが、少しだけ気が緩む瞬間かもしれない。
それでもやめない理由
こんなにしんどいのに、なぜやめないのか。たぶん、それでも誰かの役に立てていると実感する瞬間があるからだ。手続きが完了して「ありがとうございました」と言われたときの、あの一言だけで一週間が報われる気がする。それに、こんな自分でも頼ってくれる人がいるという事実が、なによりの救いだ。
お客さんにとっての「最後の砦」でいたい
法的なトラブルで困っている人は、案外周りに相談できる人がいない。そんな中で、自分の事務所に来てくれたということは、ある意味「最後の砦」だ。その信頼に応えるために、自分の小さな事務所でも精一杯やりたいと思っている。小さな声を拾える存在でありたい。
どこかにいるかもしれない共感者へ
自分のような孤独を感じている司法書士は、きっと他にもいる。みんな表では笑っていても、裏では胃薬を飲んでいる。そんな人たちに向けて、この文章が届けばと思う。ネガティブなことを書いていても、それが誰かの「わかる」に変われば、きっと少しは意味がある。
「わかる」と言ってくれる誰かの存在が支えになる
現実は厳しく、未来も明るいとは言い切れない。それでも、たまに「わかります、その気持ち」と言ってもらえた瞬間、人とのつながりを感じることができる。その言葉が、また明日も机に向かう理由になる。誰にもモテなくても、誰かひとりの共感があれば、それだけで充分だ。