結婚相談所より法務局の方が出入りが多い男の話

結婚相談所より法務局の方が出入りが多い男の話

結婚相談所は遠く 法務局は近く

結婚相談所の前を通りかかったことはあるが、入ったことはない。一方、法務局には週に何度も通う。いや、正直に言えば毎日のように顔を出している。司法書士という職業柄当然のことだが、この現実には時々苦笑いしてしまう。ふと「どちらに縁があるか」と考えると、答えは明白だ。もしかすると、婚活という言葉より「登記」が似合う人生なのかもしれない。

気がつけば法務局がホームグラウンド

学生時代は野球部に所属し、毎日汗と泥にまみれてグラウンドを駆け回っていた。しかし今は、スーツ姿で静かな法務局の窓口に並ぶ日々。グラウンドがホームだった時代は遠く、今のホームは「2階の登記受付窓口」である。受付の女性に「あ、また来たんですね」と笑われることもある。顔パスではないが、もうすっかり常連だ。

毎朝のルーティンに組み込まれた法務局通い

朝の支度が終わると、コーヒーを一杯飲み、封筒を片手に法務局へ向かう。天気がどうあれ、このルーティンは変わらない。登記の申請書類を提出し、補正があれば対応し、ついでに情報提供サービスの書類を受け取る。そんな毎日を何年も続けていると、結婚相談所に行くより、法務局で婚姻届の相談を受ける方が現実的に思えてくる。

受付の職員さんと顔なじみに

この前、法務局の受付の方に「今日はいつもより早いですね」と声をかけられた。これで3回目だ。こうして顔を覚えられると、常連というより住人になったような感覚になる。婚姻届を提出するカップルの姿を横目に、「ああ、俺はどこで人生を間違ったのだろう」と考えたが、仕事があることには感謝している。でも、たまには違う窓口に行ってみたいとも思う。

婚活アプリよりも登記情報提供サービス

知人に勧められて婚活アプリに登録したことがある。しかし、プロフィールの「職業:司法書士」と記載すると、反応は極めて薄い。一方、登記情報提供サービスのシステムには何十回とログインしている。どちらが人生の中心か、言わずもがなだ。そりゃ出会いも減るし、気づけば年齢も重ねてしまった。

「まずは職業から」と言われると詰まる

「お仕事は何されてるんですか?」と聞かれて「司法書士です」と答えると、相手の反応は大体2パターン。ひとつは「…で、何をする人ですか?」という困惑。もうひとつは「へぇ〜、大変そうですね」と苦笑交じりの返答。これが医者や弁護士だったら、もう少し違ったリアクションがあったのかもしれない。そんなふうに思うことも、まぁある。

どれだけ業務が正確でもモテには直結しない

登記ミスは許されない。だから細心の注意を払い、何度も見直し、チェックリストをこなす。ところが、この几帳面さや責任感は、恋愛市場ではさほど評価されないらしい。完璧主義すぎて面倒くさそうだとすら言われたことがある。努力のベクトルが違うんだろうなと苦笑いしながら、今日も申請書類に押印する。

独身男性司法書士の日常

仕事に追われているうちに、気づけば独身のまま45歳になっていた。地元で小さな事務所を構え、事務員さんと二人三脚で日々の業務をこなしている。たまに友人から「まだ結婚しないの?」と聞かれるが、正直に言えば、そんな余裕もないのが本音だ。今では一人の生活が板についてしまった。

ランチは一人 営業も一人

午前中に登記を済ませ、昼は近くの定食屋で一人ランチ。誰かと食べることもなく、スマホを眺めながら黙々とご飯をかき込む。午後は法務局から銀行、そしてお客さんの家へ。営業も対応もすべて一人。誰にも頼れず、でもそれが当たり前になっている。寂しいか? と聞かれれば「もう慣れた」としか言えない。

外回りという名の孤独な旅

軽自動車に書類を詰めて、山道を走る。目指すは山奥の古家を相続した依頼者のもと。途中でラジオが雑音まみれになると、何とも言えない孤独が押し寄せてくる。誰かと「これ道合ってる?」と笑い合えたら少しは楽しいかもしれないが、ナビと俺だけの静かな時間が今日も流れる。

コンビニ弁当の棚が季節の変わり目を教えてくれる

春には筍ご飯、夏には冷やし中華、秋にはきのこご飯、冬にはおでん。それが俺の四季。季節感を感じる唯一の瞬間が、コンビニの弁当棚を眺めるとき。なんとも味気ないが、毎日違う商品が並ぶことに妙な安心感を覚えてしまう。この生活を変えたいと思わなくもないが、結局またその棚の前に立ってしまう。

昔は野球部だった でも今は机の前

あの頃、毎日グラウンドで声を張り上げていた自分が、今では誰にも聞こえない声で法務局に電話をかけている。大声よりも滑舌、瞬発力よりも根気。必要なスキルが変わったのは当然だけれど、どこか寂しさを感じる。けれど、あのときの頑張りが、今の踏ん張りに繋がっている気もするのだ。

グラウンドで叫んでいた声も今は小声の電話応対

学生時代、キャッチャーとしてピッチャーに全力でサインを送り、外野に声を飛ばしていた。今は「こちらの登記で一点ご確認なんですが…」と声を抑えて話す毎日。気づけば、誰かに思いを叫ぶような場面はなくなった。静かな職場、静かな人生。声を張り上げることが、どれだけ贅沢だったのかとふと思う。

元気と礼儀は染みついてるが それが活きる場が少ない

野球部で叩き込まれた礼儀、体力、根性。それは確かに今の仕事にも活きている。特に「挨拶の声がデカい」とたまに言われるのはその名残だろう。しかし、それが直接的に仕事や生活の充実に結びついているかと言われれば微妙だ。がむしゃらに走った時代の貯金で、今の地味な毎日をなんとか保っている。

肩はもう投げられないが 判子は何度でも押せる

肩の可動域は狭まり、遠投なんて夢のまた夢。それでも、登記の書類には何十回と判子を押す。力強く、丁寧に、ミスなく。かつてのストライクを狙った投球のように、いまは一つひとつの仕事を丁寧に積み重ねていく。地味だけど、それが自分の今の勝負の仕方だ。

それでもこの仕事が嫌いじゃない理由

たしかに寂しさも多いし、しんどいことも多い。だけど、この仕事が嫌いかと聞かれれば、そうでもない。むしろ、誇りを持っている。人の人生の転機に関わるという責任の重さ、そして「ありがとう」の一言に救われることがある。報われないと感じる日もあるが、無駄ではないと思える瞬間が確かにある。

誰かの人生の節目に関われるという誇り

登記というのは、結婚・離婚・相続・売買、どれも人生の大きな転機だ。そこに関わることで、「人生の証人」になっている感覚がある。書類上の手続きかもしれない。でも、その裏には必ず人の想いがある。それを感じながら仕事をすることで、地味な作業にも意味を見出せるようになった。

結婚も離婚も 相続も贈与も 人の人生に触れる仕事

今日は婚姻による名義変更、明日は離婚による財産分与。その次は相続登記で子どもたちと打ち合わせ。どれも感情が詰まった出来事だ。書類上は事務的でも、依頼者の表情や声から、様々な想いが伝わってくる。冷静さを保ちつつも、心のどこかで共感してしまうのがこの仕事の難しさであり、魅力でもある。

「ありがとう」と言われるとやっぱり救われる

報酬をいただく以上、当然のことをしているだけだ。だけど、たまに「助かりました」とか「本当にありがとうございました」と言われると、心の中にポッと火が灯る。疲れていても、「また頑張ろう」と思える瞬間。それがあるから、続けられているのだと思う。

いつか誰かと笑って話せる日を夢見て

今は一人で過ごす夜が当たり前になっている。でも、法務局の帰り道、ふと「誰かと今日の出来事を笑い合えたらいいな」と思うこともある。焦ってるわけじゃない。ただ、ちょっとだけ、そういう日が来たらいいなと願っている自分がいる。

法務局帰りにふと感じる寂しさも 悪くない

帰り道、夕暮れの空を見上げると、今日も終わったなとしみじみ感じる。疲れた体でコンビニに寄って、いつもの棚を眺める。そんなルーチンにも、少しだけ情緒を感じるようになった。静かな孤独が、少しずつ心を落ち着かせてくれるような気がする。

結婚より先に「仕事を好きになれた」ことの意味

もし結婚していたら、また違った人生だったかもしれない。でも、この仕事を選んで、しっかりと向き合い、少しずつ好きになってきた。それはそれで、悪くない。独身であることに後ろめたさはあっても、仕事に誇りを持てている今の自分も、それなりに悪くないと思えてきた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。