気づいたのは、たった一言も発していなかったこと
「あれ、声が出ない」。朝、電話を取ったときにそう思った。ガラガラ声とかではなく、物理的に喉が動かない感じ。風邪でもインフルでもない。咳も熱もない。ただ、喉が、まるで錆びた機械のように動かない。ふと昨日のことを思い返すと、誰とも話していない。今日も誰とも話す予定がない。声を出す必要すら、なかったのだ。これはまずい。司法書士として忙しく働いているつもりだったが、いつのまにか“言葉のない日常”が当たり前になっていた。
誰とも話さない日常が「普通」になっていた
朝起きて、ご飯を食べて、PCに向かい、申請書類を作る。電話が鳴らない日はずっと沈黙の中で仕事が進む。事務員さんも忙しく、自分から話しかけるのも申し訳なくなって、最低限のやりとりしかしない。気づけば、誰とも声を交わさずに一日が終わる。これが一日、二日と続き、気づけば週単位、月単位で“無音の日常”が積み重なっていたのだ。
朝から晩までひとりごともない日がある
以前は「さて、始めるか」とか「終わった終わった」なんて独り言も言っていた。でも今はそれすら出ない。感情を外に出す機会が減ったからか、そもそも言葉にしようとする発想がなくなっている。「無言で進めるのが効率的」と自分に言い聞かせていたが、実際はただ心が乾いていたのかもしれない。
事務員さんとも最低限しか話せていない
雇っている事務員さんはとても真面目な方で、無駄口を叩くようなタイプではない。私もなんとなく気を遣ってしまい、雑談を避けがちになる。あいさつと業務連絡だけの毎日。それが“仕事の距離感”だと思っていたけれど、それはただの孤立だった。事務員さんだって、何も話しかけられなければ、黙っているしかない。
最初に違和感を覚えたのは電話の声
久しぶりに鳴った電話に出たとき、喉が変だった。言葉がスムーズに出てこない。いつも通りの「はい、○○司法書士事務所です」が、途中で引っかかる。息の使い方も忘れているような、声の出し方を探りながら話す感覚。電話口の相手にはバレなかったと思うが、自分の中では大きな違和感だった。
声がうまく出ない。まさか風邪じゃないのに
その日は念のためマスクをして、うがいもして、飴もなめた。でも夕方になっても声は変わらなかった。そのとき「これ、心の問題じゃないか?」と思った。喉は健康なのに、話す機会がなさすぎて、声帯が怠けてしまったのだ。人間って、使わない機能は退化する。まさか声がその一つになるとは。
「喉」より「心」の問題だったのかもしれない
声が出ないとき、喉を疑うのは当然だ。でも今回は心の疲れのほうが大きかった。誰とも話さない生活を当たり前だと思っていたが、実際は寂しさやストレスが溜まっていたのだろう。感情を共有する相手がいないと、声を出す意味がなくなってくる。そうなると、どんどん話すことが億劫になる負のループだ。
地方のひとり士業、思った以上に“無音空間”だった
都市部と違い、地方は物理的な“人の少なさ”が影響する。来所も少なく、問い合わせも限定的。行政手続きもオンラインが進み、わざわざ事務所に足を運ぶ人は減った。便利になった分、声の出番が減った。私は静けさに慣れてしまったが、その代償として、声を失っていた。
地方ゆえの静けさ、誰も尋ねてこない現実
「駅から遠いから」「車がないと不便だから」と理由をつけて、来所者が少ないのは仕方ないと自分に言い聞かせていた。けれど実際は、それが孤独の一因になっていた。静かすぎる空間に身を置くと、五感が鈍る。特に「話す・聞く」という行為は、相手がいないと成立しない。誰も来ないなら、自分の声も必要ない。そんな無音の罠に、知らぬ間にハマっていた。
アクセスが悪いと、相談も自然と減る
司法書士という仕事は「必要とされるときだけ呼ばれる」。だからアクセスの悪さが直接的に相談件数の減少につながる。相談が減ると、話す場面も減る。そして、孤独が深まる。「どうせ今日は誰も来ないだろう」と思って口を閉じる習慣が、声を出すことを億劫にしてしまった。
人と会わないから、雑談すら奪われる
たとえばスーパーのレジで「袋いりますか?」と聞かれても、うまく声が出ない。会話というより“音”としての声すら出す機会がない。雑談は、人との接点があってこそ。司法書士という職業は、意識しないと本当に人と話すことがない。書類の山を前に、声なき作業に追われる毎日。
電話・メール・チャット…話す機会を減らす文明
最近ではお客様もメールやLINE、チャットを希望されることが増えた。便利だし記録も残る。けれど、やりとりはどんどん無機質になっていく。声のトーン、間合い、言い回しのニュアンス…。そういった“人間らしさ”が抜け落ちると、仕事もまた、ただの作業と化す。
便利すぎて、逆に孤独が加速した
チャットで済むならそのほうが楽、と思っていた。でも気づけば“楽”の裏に“孤独”が潜んでいた。対面していた頃の「ちょっとした雑談」がどれだけ大事だったか、今になって思い知る。人とのやり取りは、業務以上に自分を保つ手段でもあったのだ。
「人と話す」ことが仕事の一部だと忘れていた
司法書士は書類を作るだけじゃない。相談を受けたり、不安を聞き取ったり、感情の橋渡しをするのが大事な仕事の一部だったはず。でも、気づけば“しゃべらない”方向へ効率化していた。いつの間にか、仕事の根っこを置き去りにしていた気がする。
そして今日も、小さな「声出し」から始めてみる
今は、意識的に声を出すようにしている。「おはようございます」「お疲れさまです」…短くても、言葉を発するだけで少し元気になる気がする。声を出すことで、ちゃんと呼吸が整い、気持ちも切り替わる。私は今日も、朝のひと声から一日を始めている。
「おはようございます」すら大事に感じるように
以前は挨拶なんて当たり前のことだった。けれど今では、それがどれだけ貴重な“声の訓練”だったか実感している。誰かに向かって話すという行為が、こんなにも心を軽くするとは。言葉にすることで、自分の存在を確かめている気がする。
事務員さんとの雑談も、ちゃんと意識している
最近は、仕事の話に一言二言、世間話を添えるようにしている。「昨日の雨、すごかったですね」とか、「猫ちゃん元気ですか?」とか。それだけで、空気がやわらぐ。声が出ると、心も動く。そんな当たり前のことに、ようやく気づけた。
ラジオや独り言でも、自分の声を聞くことが救い
事務所ではラジオをつけて、たまに相づちを打つようにしている。ひとりごとも増えた。「さて、やるか」と声に出すと、不思議とやる気が出る。自分の声を自分で聞く。それだけでも、ちょっとだけ心が元気になるのだ。