見せない涙の行方
司法書士という肩書きを背負って日々を過ごしていると、いつの間にか「泣くこと」が許されないような錯覚に陥ります。誰かの人生の岐路に立ち会い、解決のために冷静であるべき立場。でも、本音を言えば、感情を殺しているだけで、心の奥ではしょっちゅう泣いている。けれど、それを見せるわけにはいかないんです。誰にも気づかれないように、こぼれた涙は机の下で静かに乾いていきます。
忙しさの中に置き去りにした感情
「時間がないから仕方ない」と、自分の気持ちを後回しにしてきたことに、最近ようやく気がつきました。依頼者対応、登記の申請、不動産業者との調整、裁判所との書類のやりとり…日々の業務に追われていると、ふと自分がどんな気持ちでそれをやっているのかを忘れてしまう。ランチもコンビニのおにぎりをかじるだけで終わり、誰とも会話しない日もあります。そんな時、心に染みるのは「誰も自分を見ていない」という現実でした。
「感情なんて後回し」それが日常
例えば、ある日、依頼者の前で思わず涙ぐみそうになったことがあります。相続で揉めていた家族が和解し、笑顔で帰っていく姿を見た時です。でも、そこに感情を出してはいけないと思い、すぐに表情を整えました。プロである以上、感情を出すことが失礼だと思ってしまうんです。だからこそ、自分の気持ちはどんどん押し込められていきます。「後で考えよう」と思っても、そんな“後”は、なかなか来ないままです。
心が冷める感覚に、慣れてしまった
気づけば、喜びにも悲しみにも無反応な自分がいる。誕生日も祝われないし、祝う相手もいない。怒りも泣き声も、すべてが遠い感覚になってしまった。笑っても目が笑ってない、と言われることもあります。でも、どれだけ疲れていても仕事は待ってくれないし、「やるしかない」という一言で感情を封じてしまうんです。そうしているうちに、本当に感情が消えてしまうような気がして、それが一番怖いことなんです。
笑顔でこなすプロの裏側
「先生はしっかりしてて頼もしいですね」なんて言われると、心の中で「そんなことないのに」とつぶやいてしまいます。毎日ギリギリでなんとか立っているだけ。倒れたら誰が代わりにやるんだろう、なんて考えてしまうと、結局無理してでも立っているしかなくなる。笑顔の裏には、いつ崩れてもおかしくない自分がいます。
「先生は頼れる存在です」と言われても
ある日、依頼者に「先生がいてくれて本当によかったです」と深々と頭を下げられました。もちろんうれしい。でも、その瞬間、自分は誰に支えてもらえてるんだろうと考えてしまったんです。誰にも弱音を吐けない立場で、頼られるばかり。気づけば、頼れる人なんて一人もいないことに気づきました。強くあらねばならない役割に、自分が押し潰されそうになることがあります。
見せられない、疲れた顔と崩れた背中
事務所を出るとき、鏡に映る自分の顔がやたらと老けて見えることがあります。背中も丸まり、疲れきっている。けれど、翌朝にはスーツを着て、また「先生」を演じる。事務員にも見せないように、頑張っているふりをするけれど、本音はもうとっくに限界です。だけど、誰にもそれを見せるわけにはいかない。そんな毎日が続いています。
信頼されることの重さに、潰されそうになる
信頼されるのはありがたい。でもそれが「失敗できない」「休めない」という重圧に変わることもあります。ある時、ちょっとしたミスで依頼者からクレームを受けたことがありました。「こんなに頑張ってるのに…」という思いと、「信頼を裏切ってしまった」という罪悪感。その板挟みが、思っている以上に心を削っていくのです。
孤独という同居人
地方で一人事務所を構えると、孤独はすぐ隣に座ってきます。朝、誰とも会話せずに始まる日。昼休みもスマホをいじるだけ。夜になっても誰からもLINEは来ないし、休日は買い物と洗濯で終わる。寂しいと思う余裕もなく、気づけば「孤独」が日常になっていました。
同じ屋根の下には、誰もいない
たまに帰宅して玄関を開ける瞬間、「ただいま」と言っても返事が返ってこないことに妙なむなしさを感じます。結婚するチャンスもあったようでなかったし、もうこのまま一人なんだろうな、と思う夜も増えてきました。冷蔵庫の中はビールと納豆だけ。笑えてくるくらい、生活に彩りがありません。
仕事帰りのコンビニで「何も買わない」夜
よくあるんです。疲れて帰る途中、コンビニに寄って何か買おうとしても、結局何も手に取らずに出てくる夜。誰かと一緒に食べるご飯なら美味しいけど、一人だと何を食べても味がしない気がして。レジ横のおでんを見つめながら、「なんでこんなに虚しいんだろう」と思うけど、答えなんて出ません。