「先生、あのときのこと、覚えてますか?」
昼休憩も取れずにバタバタしていたある日、久しぶりに再訪された依頼人が開口一番に言った言葉が「先生、あのときのこと、覚えてますか?」だった。こちらとしては、正直なところ何のことやらまったくピンと来なかった。しかし、その方はにこにこしながら「登記のことで相談したとき、ちょっとした手続きの書類もきれいにまとめてくださって助かったんです」と言ってくれた。いや、それはもう“仕事として当然”のつもりでやっていたことだったから、感謝されるなんて思ってもいなかったし、何よりそんな細かいところまで覚えているなんて、こっちがびっくりしてしまった。
忘れてたこちらと、覚えていた依頼人
毎日のように登記申請や書類確認、電話対応に追われる中で、正直、ひとつひとつの案件の記憶はだいぶ曖昧になる。特に数年前の細かいやりとりなんて、頭からすっぽり抜けているのが当たり前。でも、依頼人にとっては人生の中のひとつの大きな出来事だったりする。だからこそ、そのときに自分が何気なくしたことが相手の記憶に残っていて、わざわざ足を運んで思い出話をしてくれるなんて、それだけでちょっと胸が熱くなってしまう。普段は“こなす”ことに必死だけれど、そんな風に振り返ってもらえると、自分のやってきたことが間違いじゃなかったんだと思える。
小さなやりとりが、誰かの記憶に残っていた
たとえば、あのとき封筒の宛名を手書きで丁寧に書いたこと。あるいは、ちょっとした説明の紙を添えてファイルに挟んでおいたこと。こちらにとっては些細な気遣いで、むしろ自分の性格的なクセでついやってしまったことだった。でも、それが「わかりやすくて助かりました」「気遣いが嬉しかったです」と言われると、もうそれだけで心が救われる。自分のやっていることには意味があるんだと、改めて思わせてくれる瞬間だ。
大したことじゃないと思ってたのは、こっちだけだった
この仕事をしていると、「何が大事か」は依頼人によって全然違うことに気づく。でも、どんなに忙しくても、ちょっとした心遣いや対応が“記憶に残る司法書士”になるんだと実感した。こちらにとっては一日に何件もこなすうちのひとつ。でも相手にとっては、唯一の大事な登記手続き。大したことじゃないと思っていたその“ひと手間”が、何年経っても相手の中で大切にされていた。それを知ったとき、自分の態度や言葉を、もっと丁寧にしようと思えた。
感謝の言葉が、心にしみる理由
「ありがとうございます」と言われる機会が少ない仕事だと、ふとしたときの感謝の言葉が強烈に心に残る。逆に、文句やクレームの言葉はすぐに忘れてしまいたくなるのに、感謝の一言は、疲れた体にも心にも染み込んでくる。正直、報酬よりも嬉しい瞬間だ。
褒められることの少ない仕事だからこそ
司法書士という仕事は、表舞台に立つことが少ない。目立たず、淡々とこなすことが求められる。依頼人からすれば、手続きがスムーズに終わって当然、トラブルが起きなければそれでいい。でも、実際には見えないところでかなり気を使っているし、書類一枚の裏にも相当な苦労がある。だからこそ、「丁寧にやってくれて助かった」といった一言が、本当に心にしみる。それがなければ、やってられない日もある。
「ありがとう」と言われるだけで報われる瞬間
あるとき、電話での相談後に「先生がそう言ってくれると安心します」と言われたことがある。たったそれだけ。でも、その日はその一言だけで頑張れた。「自分は専門家として、少しは役に立ててるのかもしれない」って思えた。日々の仕事の中で、こういう小さな言葉がどれだけの励みになるか、本人たちは気づいていないかもしれないけど、こちらにとっては本当に大きな意味を持っている。
愚痴ばかりだった頭が、すっと静かになる
書類ミス、役所とのやりとり、急な依頼……。イライラすることは毎日あるし、つい事務員に八つ当たりしそうになる日もある。でも、そんなときにふと「ありがとうございます」「助かりました」と言われると、頭の中の愚痴の声がすっと静かになる。それくらい、感謝の言葉には力がある。誰にも褒められないこの仕事だけど、そんな一言があるだけで、明日ももう少しだけ頑張ろうと思える。
忙しさに埋もれて、忘れていた大事なもの
毎日の業務に追われていると、どうしても効率やスピードばかりを優先してしまう。人との関わりに気を配る余裕なんてないと感じていたけど、そんなときにふとした一言で我に返ることがある。「ああ、自分は人を相手にしている仕事だったんだ」と。
書類の山に隠れていた「人との関係」
机の上にはいつも申請書類が山積みで、チェックリストと締切に追われている。でも、その向こうには確かに人がいる。顔も知らないような相手の登記でも、その背景には相続や売買、離婚や開業といったドラマがある。そこを感じられなくなっていたら、もしかしたらこの仕事の意味すら見失ってしまうのかもしれない。
感情よりも期限が優先される日々
「何月何日までに申請完了」「今週中に書類提出」そんな言葉ばかりが飛び交う日常。依頼人の事情を汲むよりも、法務局の期限を守る方が重要になってしまう。効率を重視するうちに、感情がどんどん削ぎ落とされていく。でも、それが当たり前になってしまうと、人とのつながりまで薄れてしまう。
だけど、思い出してくれた人がいた
そんな冷え切った仕事の中に、ふと差し込んでくる“人のぬくもり”。「先生、あのときのこと、覚えてますか?」そう言ってくれた依頼人の存在が、何よりの救いだった。忘れていた大切なものを、思い出させてくれた。今もたまにその言葉を思い出して、もうちょっとだけ丁寧に仕事しよう、と思えるのだ。
仕事って、やっぱり人との関わりなんだな
結局、司法書士の仕事も、人との関係の積み重ねだと思う。いくら知識があっても、正確に処理できても、それだけじゃ足りないことがある。たった一言のやりとりが、人の心に残ることもある。そう考えると、この仕事も悪くない。
書類だけでは終わらないこの仕事の意味
紙と判子とパソコン。そんなものに囲まれていると、人間味がどんどん失われていくような気がする。でも、依頼人と直接やりとりするこの仕事だからこそ、やりがいもある。トラブルもあるけど、人間らしい交流があるのも、この仕事の魅力なんだろう。
面倒な人間関係も、ときどき宝物になる
クレーム、横柄な態度、無理な依頼。正直、面倒な人も多い。それでも、心が通じ合う瞬間があると、全部が報われたような気持ちになる。めんどくさいけど、それがこの仕事の醍醐味かもしれない。誰にも理解されなくても、自分なりにやっていこうと思える。
それでも、やっぱり独りは寂しいけど
依頼人とのやりとりで救われることはあっても、結局、仕事が終われば一人の部屋。感謝されても、誰かに褒められても、帰る家に誰もいない現実は変わらない。でも、だからこそ、誰かの言葉が沁みるのかもしれない。ちょっとだけ、明日も頑張ってみよう。