事務所で見る夕焼けが孤独すぎて泣きそうになる日

事務所で見る夕焼けが孤独すぎて泣きそうになる日

夕焼けがきれいな日は決まって誰もいない

あれだけバタバタと鳴り響いていた電話も、気づけばぴたりと静まり返る。夕方5時を過ぎると、急に世界から切り離されたような気分になる。事務員さんは定時で帰宅し、商業登記の依頼主からの連絡も途絶える。そんなとき、ふと窓の外を見ると、空がオレンジに染まっていて、その美しさに一瞬だけ息を呑む。でもすぐに、その景色を共有する人が誰もいないことに気づいて、また深いため息が漏れる。「きれいだな」って言える相手がいないと、夕焼けって、こんなにも寂しく感じるのかと毎度思い知らされる。

仕事が片付く時間帯にやってくる静けさ

一日中あれこれと書類に追われ、やっとひと息つけるのはたいてい日が傾いてからだ。登記完了報告のチェック、法務局からの返信メール、依頼主への電話連絡。それらが一段落すると、妙な静けさに包まれる。人の声も、車の音も、近所のスーパーのBGMすら遠く感じる。田舎の事務所は特に音が少ない。静寂の中、聞こえてくるのは自分のタイピング音と、プリンタの紙送りの音ぐらい。この時間帯が、一日の中で最も孤独が染み込む瞬間かもしれない。

書類の山の向こうで色づく空

目の前には、終わらせなければならない抵当権抹消の申請書類が積み上がっている。それでも、なんとなく視線が吸い寄せられるのは事務所の窓の向こう。見上げると、朱色と藍色が混じり合うように空が染まっている。若い頃は、こんな景色をロマンチックだと思う余裕なんてなかったけど、今は違う。なのに、その感動を誰かと分かち合う術がない。ふと、「これが毎日続くのか」と思ってしまうと、感動と寂しさが同時に胸に迫ってきて、なんだか泣きたくなる。

今日も誰にも気づかれないままの夕焼け

SNSにアップするような映え写真ではないし、「今日の空、すごいね」と言える同僚もいない。だから、その夕焼けは自分の心の中だけにしまって、また黙って書類の山に向かう。誰にも気づかれず、誰にも話せず、ただ時間だけが流れていく。あの夕焼けがもし人の心だったら、きっと泣いていただろう。だけど空は何も言わない。ただ静かに沈んでいくだけ。そんな姿が、今の自分と重なって仕方がない。

事務所という名のひとりぼっちルーム

事務所という場所は、誰かと一緒に働く空間だと信じていた。でも、現実は違う。事務員さんが帰った後の時間は、まるで一人きりの待合室みたいだ。書類棚に囲まれた空間の中で、たったひとり取り残されると、机の冷たさや蛍光灯の光がやけに孤独を強調してくる。世間ではテレワークが話題になるけれど、司法書士にそんな選択肢はなかなかない。結局、ここで、ひとりで全部抱え込むしかないのだ。

事務員さんが帰った後の虚無タイム

日中は忙しさに紛れているからまだいい。事務員さんも明るくテキパキしていて、無駄話こそ少ないが、それでも人の気配というのはありがたい。だが、彼女が「お先に失礼します」と帰った瞬間から、空気が変わる。急に広くなったように感じるデスク周り。無音の空間。時計の針の音がやけに耳につく。あの一言で、「ああ、自分はまだ終わらないのに」と心のどこかで軽く打ちのめされてしまう。

話し相手が誰もいないという現実

夕方以降、電話も鳴らず、メールも来ない。せいぜいGoogleカレンダーのリマインダーがぽつんと通知を出すだけ。ふと声を出してみても、返ってくるのは空気の反響音だけ。事務所に誰かいたらな、とか、気軽に雑談できる相手がいたらな、と考えてしまう。昔の仲間は企業勤めで忙しく、LINEも既読スルーが当たり前になって久しい。司法書士って、こんなにもひとりなんだな、と改めて実感する。

ラジオだけが黙って付き合ってくれる

寂しさを紛らわせるために、たまにラジオを流す。FMのDJの軽快なトークに笑うこともある。でも、どこか自分とは別世界の話に聞こえてしまう。スポンサーのついたラジオ番組は、どこか「リア充」の匂いがするのだ。こっちは、誰にも見られず、認められず、静かに業務をこなす日々。ラジオが流れていても、結局、誰かと心を通わせた感覚は得られない。でも、無音よりはマシ。そう思って、今日もまたスイッチを入れる。

自分だけ取り残されている気がするとき

結婚して子どもが生まれたと報告してくる友人、マンションを買ったと言ってくる同級生。そんな話を聞くたびに、「自分は何をしているんだろう」と思ってしまう。もちろん仕事には誇りがある。けれど、それと心の充足は別問題だ。誰かと喜びや寂しさを共有する時間がまったくない日々は、自分だけが別の時間軸に取り残されているような気さえする。夕焼けが優しいだけに、その孤独が際立って見える。

同級生の家族自慢が少し堪える

年に一度あるかないかの同窓会で、「うちの子がさ」とか「嫁が言うにはね」と笑う友人たちの話に、ただうなずくしかできない。自分には語れるエピソードがないから。仕事の話はつまらないだろうし、誰も司法書士の苦労話になんて興味ない。だから、ただ笑ってごまかす。そのあと帰り道で、急に涙がこみ上げてくる。「自分だって頑張ってるのに」と思いながら、それでも一人なのが堪える。

結婚式の写真がまた送られてきた

SNSを開けば、また誰かの幸せそうな投稿が目に飛び込んでくる。先日は後輩から「結婚しました!」の報告DMが届いた。もちろん祝福はする。でも、スクロールする指先が重たくなる。「自分もいつかは」と思っていたはずなのに、その“いつか”はどんどん遠ざかっている気がする。夕焼けの中でひとりキーボードを叩く姿が、やけに現実的で、比べようもない現実に少しだけ心が折れそうになる。

でも仕事はたまってるし逃げられない

そんな感傷に浸っても、書類は待ってくれない。期日は刻一刻と迫ってくるし、依頼主は事情など関係なく結果を求めてくる。だから、気持ちを切り替えて、再びディスプレイに向かう。誰も代わってくれない。だからこそ、この仕事をやっているんだという気概だけが、自分を支えている。けれど、ふと顔を上げると、もう夕焼けは終わっていて、空は夜に染まり始めている。その瞬間、今日も誰にも見られなかったな、とまた小さくため息をつく。

夕焼けが泣かせるのは優しいからかもしれない

強くなろう、前を向こうと思っても、ふと見上げた空があまりに優しくて、泣きそうになるときがある。夕焼けは何も言わない。でも、何かを包み込むように光ってくれる。それが逆に切なくて、余計に心に刺さる。司法書士の仕事は、人に感謝されることもあるけれど、理解されにくい仕事でもある。だからこそ、自分だけは自分をねぎらってあげないといけないんだろうなと、夕焼けを見ながら思う。

元野球部でも弱くなる瞬間はある

中学高校と野球一筋だった。ケガしてもグラウンドに立ったし、無理してでも声を出した。あの頃は、「弱音を吐くのは甘え」と思っていた。でも、今なら言える。「弱くなるのは自然なこと」だって。夕焼けを見て涙が出そうになる自分を、もう責めたりはしない。頑張ってるから、苦しい。まじめにやってるから、孤独。今は、そういう気持ちを抱えながら生きることが、自分の強さなのかもしれない。

バットを握っていた頃の夕焼けはもっと熱かった

練習が終わったあと、ヘトヘトの体で見上げた夕焼けは、もっと泥臭くて、汗と土の匂いが混ざった夕焼けだった。チームメイトと笑いながら見たあの空には、希望があった。勝つぞ、うまくなるぞっていう未来が見えていた。でも今はどうだ。一人きりの事務所で見る夕焼けに、未来のビジョンなんてない。ただ、「今日もなんとか乗り切ったな」という安堵だけ。それでも、あの夕焼けと地続きで今があると思うと、少しだけ前を向ける。

今はペンを握る手にしか夕焼けが照らない

もうバットを振ることはない。代わりにペンを握り、登記の一筆を入れる日々。でも、その手にも、ちゃんと夕焼けは当たってくれている。書類のすき間から差し込む光は、静かで、穏やかで、それでも確かに存在を感じさせてくれる。どんなに孤独でも、誰かの役に立っているという実感が、ほんのわずかに救いになる。今日も夕焼けが終わる。明日もまた、ここで働く。でも、たまには「よくやってるな」と自分に言ってあげたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓