誰もが最初は「書類」で判断される世界で
司法書士という仕事は、毎日が「書類」との闘いです。登記、契約、相続、遺言……どれもが書類で始まり、書類で終わる。だからこそ、書類の裏にいる“人”の存在が見えにくくなることがある。自分でも気づかないうちに、依頼人を「案件」としか見ていなかったんじゃないかと、ふとした瞬間にハッとすることがあります。
依頼人の「経歴」しか見ていなかった自分
開業当初、私はとにかく慎重でした。依頼人の身元や経歴、書類の整合性を何よりも重視していたんです。どこに勤めていて、家族構成はどうで、借金の有無はあるか。そういう「書類に書いてある情報」が信用を測る材料でした。トラブルを避ける意味でも必要なチェックなのですが、今思えば、私は書類しか見ていませんでした。
学歴や肩書きに引っ張られていた判断軸
たとえば「〇〇銀行勤務」と書かれていれば、勝手に安心してしまっていたし、「無職」と書かれていれば、身構えてしまっていた。肩書きって本当に怖いです。相手の人間性を何も知らないのに、「ああ、この人はしっかりしてるんだな」とか「面倒そうだな」とか、先入観で見ていたんです。それは今思えば、自分の未熟さでもありました。
一見さん=トラブル予備軍?という偏見
飛び込みで事務所に来られた方に対しても、つい「この人、本当に大丈夫かな?」と構えてしまっていた頃がありました。紹介もなく、いきなり来る人はトラブルを抱えている…という業界の“あるある”をそのまま自分も受け入れていたのです。人を見る目を養っているつもりが、実は「人を見ていない」状態になっていたのかもしれません。
司法書士もまた、見られている立場だった
依頼人を「見る」側だと勝手に思い込んでいましたが、実際にはこちらも常に見られていたんですよね。しかも、書類ではなく、表情、声のトーン、ちょっとした仕草まで。
「ちゃんとしてそうだから頼んだんです」と言われた日
ある日、電話で問合せをしてきた方が、後日事務所に来られてこう言いました。「電話の声が安心感あったので、ここに決めました」って。そのときは驚きました。私はただ普通に話していただけ。でも、その「普通」が、相手にとっての判断材料だったんです。あの日は、見られていたのは“人柄”だったんだと気づかされました。
清潔感、話し方、目線……印象の積み重ね
人って、思っている以上に見ています。清潔感のある服装をしているか、視線をそらさずに話せているか、時間を守っているか。どれも直接的には仕事に関係ないように見えて、でも信頼を築くうえではとても重要な要素なんですよね。「この人になら任せてもいい」と思ってもらえるかどうか、それは書類じゃなく“人”の部分で決まることが多いんです。
その言葉が刺さった:「あなた、人を見てますね」
今でも忘れられないのが、ある依頼人の言葉でした。「あなた、人をちゃんと見てくれてるって感じました」と。正直、泣きそうになりました。これまで、自分がやってきたことに少し自信が持てた瞬間でもありました。
ある依頼人の何気ない一言がもたらした衝撃
依頼内容は、夫の暴力から逃れた女性の住所変更でした。一見するとシンプルな手続き。でも、その方の様子がどこか不安げで、声も震えていた。私は手続きの話をいったん止めて、「大丈夫ですよ、焦らなくて」と声をかけたんです。それだけのことでしたが、彼女の表情が少し和らぎ、その後、あの一言をもらえたんです。
内容証明の依頼だったが、実は……
話を聞いていくと、ただの住所変更ではなく、元夫からの接近を防ぐためのものであることが分かりました。警察に相談することも視野に入れているとのこと。その時点で、単なる書類の話ではなくなったんです。内容証明での警告や、住民票の閲覧制限など、こちらもできる限りの提案をしました。人として向き合う覚悟が必要な案件でした。
こちらの気遣いが思わぬ信頼につながった
「私、ここに来てよかった」と最後に言われたとき、司法書士としてよりも、一人の人間として少しは役に立てたのかなと思いました。人を見て対応した結果として、信頼してもらえたんです。書類じゃなく、人を見て、人に寄り添って、仕事をする。それが一番難しくて、一番やりがいのあることなんだと実感した出来事でした。
忙しさに流されて、「人」を見失っていたかもしれない
忙しい日々に追われると、つい目の前の処理に集中してしまいます。でも、それって“仕事してるふり”なんですよね。本当に必要なのは、相手をちゃんと見ること。…なんて、自分で書いてて耳が痛いです。
効率化と機械的対応の狭間で揺れる日々
スケジュールが詰まりすぎて、まるで流れ作業のようになっていた時期がありました。同じような内容の登記申請が続くと、「またこのパターンか」となってしまう。でも実際には、背景事情や依頼人の心情は毎回違うんですよね。それを無視して「定型対応」していたら、それこそAIでいいじゃないかとすら思えてくるわけで。
「この件は前と同じだから」で流していた自分
あるとき、前と同じように見えた依頼案件で、まったく異なる背景を持つ相談だったことに気づかされて、反省したことがありました。前回と“表面的には”同じように見えても、相手はまったく違う人。何か引っかかるような表情を見逃さないことが、司法書士としてよりも「人として」大事なんだと痛感しました。
でも、事情が同じ人なんてひとりもいない
結局、どんな依頼も“唯一無二”なんですよね。見た目の形式が同じでも、背景が違えば対応も変わってくる。そう考えるようになってから、ちょっとだけ肩の力を抜いて話を聞くようになりました。完璧な回答を用意するより、相手の話をちゃんと聞く姿勢のほうが、ずっと信頼につながる。あたりまえのことだけど、忙しさにかまけて忘れてしまいがちです。
事務員の気づきに救われた午後
あの日、私は気づけなかった。来客の女性が妙に落ち着きがなかったことに。書類の説明に集中していた私は、その違和感に気づかず流そうとした。でも、事務員が小声で「先生、この方ちょっと様子おかしくないですか?」と伝えてくれた。そのひと言で、私はやっと目を上げた。そこにいたのは、助けを求める“人”だったんです。
「先生、この方ちょっと様子おかしくないですか?」
事務員の観察力にはいつも助けられているけれど、このときは本当にありがたかった。私は“見てるつもり”になっていただけだった。第三者の目線がなければ、そのまま事務的に処理してしまっていたかもしれない。人の気配や感情に敏感でいるって、こういうことなんだと教わりました。
“人を見ている”のは、自分だけじゃなかった
私は司法書士として、人の悩みに寄り添っているつもりだった。でも、実は私自身も誰かに支えられていたんです。一緒に働く事務員、依頼人からの言葉、そしてふとした気づきが、私を“人を見る司法書士”にしてくれている。独身でモテない日々ではありますが、そうやって信頼を積み重ねていく日々も、悪くはないと思っています。