提出後に青ざめた日──相続登記の添付忘れが招いた悪夢

提出後に青ざめた日──相続登記の添付忘れが招いた悪夢

またやってしまった…提出後に気づく致命的ミス

何度経験しても慣れることがない、あの冷や汗。相続登記の申請書を法務局に提出したその翌日、補正通知が届いた。見慣れた書式、しかし今回は「添付書類の不足」の一言が、まるで心臓に杭を打ち込むようだった。「あれだけ確認したはずなのに…」という言い訳は、この仕事では通用しない。どんなに忙しくても、どんなに眠くても、添付忘れは致命的だ。そんな当然のことを、また忘れてしまったのだ。

添付書類の確認、したはずだったのに

申請直前まで、何度もリストを見返していた気がする。でも、あの時ちょうど電話が鳴った。依頼者からの急ぎの相談で、一度席を立ち、その後にバタバタと書類をまとめて封筒に詰めた。「完璧」と思って投函したその自信は、いまやただの過信だった。たった一枚、遺産分割協議書の写しが抜けていただけなのに、その代償は大きい。

「まさかのBセットが抜けてる」

法務局からの補正通知を読みながら、何が足りなかったのか確認して愕然とした。「あのファイル、Bセットの左端…」あれは確か、机の隅に置いたままの束。封筒に入れたつもりで、入れてなかった。自分の中ではもう完了していたことが、現実には残されていた。まさか、そんな基本的な凡ミスを、この年になってまたやるとは。

思い出したのは、帰り道のコンビニ駐車場だった

補正通知を読んだのは、仕事帰りに立ち寄ったコンビニの駐車場だった。缶コーヒーを片手に開いたスマホの画面に赤文字が浮かぶ。「添付不足により補正を要します」。その場で冷や汗が噴き出し、缶を落としかけた。誰もいない車内でひとり、「あぁ、やってしまった…」と呟いた。誰に聞かれるわけでもないのに、ひどく恥ずかしかった。

「忙しいから」が許されない仕事

司法書士の仕事には、「うっかり」は存在しない。常に冷静で、慎重で、正確であることが求められる。けれど、現実は人手も時間も足りない。事務員さんがいてくれても、最終確認はやっぱり自分の責任だ。忙しい日々の中で、「あれも、これも」と詰め込んでいるうちに、ひとつ落とすとすべてが崩れる。それが、この仕事の怖さだ。

なぜ司法書士は“完璧”を求められるのか

司法書士は、ミスが「人の人生に直結する」職業だ。登記が通らなければ、売買も相続も進まない。依頼者は書類の意味も内容もわからず、すべてをこちらに預けている。その信頼に応えられないということは、単なる「仕事の失敗」ではなく、「信頼の破壊」だ。だからこそ、完璧を求められるし、求めなければならない。

クライアントの人生がかかっている重圧

ある高齢の依頼者から、「これでやっと安心して眠れます」と言われたとき、自分の手がどれほど重い意味を持つのかを痛感した。登記という作業一つで、誰かの不安が晴れたり、未来が開かれたりする。逆に言えば、ミス一つでそのすべてが壊れる可能性もある。それがわかっていながら、自分の確認不足で躓いたことが、悔しくてならない。

でもこっちも人間なんです…

頭ではわかってる。確認、再確認、そして最終チェック。それでも、たまにはミスをしてしまう。「こっちも人間です」と言いたくなる夜もある。でも、それを表に出すわけにはいかない。だから、せめてここでだけは言わせてほしい。「ミスしない人なんて、いないだろ」と。司法書士だって、毎日完璧なわけじゃないんです。

補正地獄と、事務所の空気

補正対応に追われる日は、普段以上に事務所内が重苦しくなる。電話も鳴り、メールも溜まり、今日やるはずだった業務がどんどん後回しになる。しかも、自分のミスで。その空気を察してか、事務員さんもいつもより静かになる。それがまた、地味にしんどい。

事務員さんの無言が刺さる

うちの事務員さんは、すごく気の利く人で、余計なことは言わない。ただ、その“言わなさ”が時に鋭利なナイフのように刺さる。「私が確認すればよかったですか?」の一言が、刺さって抜けない。いや、あなたの責任じゃない。でも言わせてしまった。それが情けない。

「私が確認すればよかったですか?」の破壊力

その言葉には、怒りも呆れもなかった。ただ、純粋な申し訳なさと気遣いだけがにじんでいた。それが余計に辛い。「違う、俺のせいなんだ」と思っても、口に出すのがやっとだった。忙しさにかまけて、仕事を“押し付けた”のは自分だと、あとで気づいた。

時間を取られる補正対応のしんどさ

補正対応は、単に不足書類を送るだけでは済まない。役所への連絡、再確認、場合によっては依頼者への連絡も必要になる。スケジュールが狂い、他の案件にしわ寄せがいく。たった一枚の書類のミスが、1日を丸ごと持っていく。そんな日は、帰り道に深いため息しか出ない。

役所への謝罪と、先方への弁明と、自分への怒り

法務局には頭を下げ、依頼者には「書類の補正がありまして…」とできるだけ軽い口調で話す。でも、心の中では自分への怒りが渦巻いている。「何やってんだ、俺…」と。帰り道、車のハンドルを握りながら、久々に本気で辞めたいと思った夜だった。

この仕事、向いてないんじゃないかという夜

補正通知が来るたびに、毎回「もうこの仕事向いてないかも」と思う。そして一人事務所で、ぬるくなったコーヒーを飲みながら考える。ミスを重ねるたびに、自信が少しずつ削られていく。そんな自分に価値があるのか、ふと疑問になる夜がある。

ふと鏡を見ると、やつれた顔があった

ふらっとトイレの鏡を見たら、思った以上に自分が老けていて驚いた。白髪も増え、目の下のクマが濃い。この仕事を始めたころの自分とはまるで別人。責任を背負うたびに、少しずつ歳を取ってる気がする。報われることよりも、疲れの方が積もっていくような日々。

「独身で良かった」と思った皮肉な理由

こんな精神状態で帰って家庭があったら、きっととっくに崩壊してただろう。独身で良かった、と思った。でも、それはちょっとだけ寂しい感情でもあって…。誰かに愚痴をこぼせる相手がいたら、違ったのかなと考えてしまう。まぁ、女性にモテないので、それも叶わないんだけど。

それでも続ける理由があるとしたら

それでも続けてるのは、たまに届く「本当に助かりました」の一言のせいかもしれない。誰かの問題を、確かに解決した実感。ミスもある、失敗もある、でもやめたくない。それがたぶん、司法書士を続けてる本当の理由なんだろうなと思う。

依頼者の「ありがとう」がまだ胸に残っている

数年前、父を亡くした若い女性からの相続登記の依頼。手続きがすべて終わったとき、彼女が涙を流して「これで一区切りつけます」と言った。そのときの「ありがとう」が、今も記憶に残っている。だから、補正通知に青ざめた日も、また乗り越えようと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。