その封筒の重さが、今日のすべてを変えた

その封筒の重さが、今日のすべてを変えた

書類一枚がこんなに重い日があるなんて

司法書士として日々書類を扱っていると、正直、内容を読む前から「これは面倒だな」という勘が働くことがある。仕事だからこなすだけなのだが、それでもあの日、ポストに入っていた一通の封筒は、手に取った瞬間、ずしりと心に重みが伝わってきた。物理的には薄いレターパック。それなのに、なぜか指先が一瞬固まった。中身がなんであれ、「また今日も簡単には終わらせてくれないな」と、疲れた体に嫌な汗がじわっと滲んだ。司法書士という仕事の重みを、久々に真正面から受け止める瞬間だった。

開ける前から、いやな予感だけはしていた

その日は朝から妙に静かだった。こういうときに限って、何かが起きる。封筒を開ける前から、胸の奥がざわつくのを感じていた。直感というか、経験がそう言っている。案の定、中には相続関係の書類と、手書きの長文の手紙が入っていた。見慣れた地名、どこかで聞いたことのある名字。目を通すうちに、ああ、これはただの登記手続きじゃ済まない案件だとわかった。思わずため息が出る。もちろん断る選択肢もあるが、そう簡単に突き放せるほど、僕の性格は割り切っていない。

「一筆書いてください」って、そんな軽く言わないで

手紙の最後には、「司法書士の先生から一筆もらえたら、家族も安心すると思います」と書かれていた。いやいや、他人事のように言うけど、こっちはそんな軽く「一筆」で済む内容じゃない。責任が伴うし、言葉を間違えたら相手を深く傷つけかねない。そういえば昔、同じように遺言書の文面について「これでいいですよね」と安易に聞かれたことがあった。たった一行が、その家族の関係を決定づけてしまうこともある。言葉の重さと、署名の重さを、依頼者に説明してもなかなか伝わらない。でも、伝えなくてはいけない。

誰も悪くない、でもやるのは自分だけ

依頼者が悪いわけじゃない。誰だって大変な思いを抱えて生きているし、わざとこちらを困らせようとしてるわけじゃないのは分かっている。それでも、目の前に積まれた書類と、複雑な事情を読み解きながら処理していくのは僕ひとりだ。責任も、リスクも、プレッシャーも、全部自分で受け止めるしかない。そうやって積み重ねてきた日々の中で、ときどき、自分の影が薄くなっていくような錯覚すら覚える。

相談者の事情はわかる、でも心はついていかない

「なんとかお願いできませんか」——この一言にどれだけの想いが詰まっているか、わかる。わかっている。でも、わかっていても、心が追いつかない日がある。誰かのために動くことが、いつの間にか自分を消耗させている。書類の隙間から垣間見える家庭の事情、介護、借金、遺恨。すべてを飲み込んで、黙々と処理していくのが司法書士の仕事かもしれない。だけど、人間なんだから、どこかで疲れるし、泣きたくもなる。

「プロだから」って言葉に押し潰されそうになる夜

「プロなんだから当然でしょ」と言われることがある。言われるたび、なんとも言えない感情が込み上げる。確かにプロとして仕事をしている。でも、完璧じゃない。感情があるし、限界だってある。それでも崩れないようにと、なんとか踏ん張っている。深夜、ひとりで事務所の電気をつけたまま残業していると、「プロってなんなんだろう」と呟きたくなることがある。報われないことも多いけれど、それでも依頼者には笑顔で対応しなければならない。

事務員さんの「大変ですね」が救いになる瞬間

小さな事務所で、一人雇っている事務員さんがいる。彼女は決して多くを語らないが、こちらの疲れを察して「大変ですね」と声をかけてくれるときがある。その一言が、どれだけ救いになるか。書類の山に埋もれた中で、たった一言でも、人の優しさは染みる。ふとした気遣いに、胸がじんわり温かくなるのだ。

感謝されるのはほんの一瞬、それでも救われる

司法書士の仕事は、感謝されることが少ない。でも、ふとした瞬間に「本当にありがとうございました」と言ってもらえることがある。それは一瞬の出来事。でも、その一瞬のために、またがんばろうと思える。派手な仕事じゃないし、華やかさもないけれど、その一言のためにやっていると感じる。

愚痴をこぼす相手が一人いるだけで、なんとかやれる

僕は愚痴が多い。たぶん、愚痴でも吐き出さないとやっていけないから。事務員さんがそれを黙って聞いてくれるだけで、少し救われる。「わかりますよ、先生」って相槌だけでもありがたい。誰かがいてくれる、それだけで重い封筒も、少しは軽くなる気がするのだ。

封筒の中にあったのは、依頼じゃなく「責任」だった

あの日の封筒の中にあったのは、単なる依頼じゃなかった。家族の想い、過去の経緯、見えない感情。つまり「責任」そのものだった。僕に向けて投げられた、それなりに重たいもの。それを受け取るかどうかは、僕の判断。でも、「やりますよ」と口にしてしまった以上、もう引き返せない。責任って、そういうものなんだ。

たかが数枚、されど数枚

紙の束なんて、せいぜい数枚。でも、その一枚一枚が持つ意味と重みは計り知れない。間違えたら大問題になるし、遺族の信頼も壊してしまう。形式通りでは済まされない書類たち。そんな「たかが数枚」と向き合う日々が、どれほど神経を使うか、きっとやった人にしかわからない。

何かを引き受けるたび、何かを諦めてきた

引き受けるということは、何かを背負うことでもある。僕の場合、それはプライベートの時間だったり、趣味だったり、人間関係だったり。夜遅くまで仕事に追われ、気がつけば休日も何かしらの対応に追われている。恋愛? そんな余裕はもうない。書類と向き合う時間が、僕の人生の大半を占めてしまっている。

それでもやめられないのは、誰かの「ありがとう」があるから

何度も「もう辞めようかな」と思った。でも、それでも続けている理由は、やっぱりあの「ありがとう」があるからだ。言葉って、こんなに人を動かすんだと知ったのは、この仕事をしてからだった。つらくても、孤独でも、その一言があれば、少しだけ前を向ける。今日もまた、封筒を手に取りながら、自分に言い聞かせている。「よし、やるか」と。

報酬より重い、依頼者の一言

お金は大事。でも、依頼者からもらう「安心しました」「助かりました」の声には、報酬以上の価値がある気がする。無償の感謝、それこそが司法書士としてのモチベーションだ。疲れているときほど、その言葉の重みが心に沁みる。

独身の僕が、ひとりじゃないと思える時

誰かの力になれていると実感できるとき、僕は「ひとりじゃない」と思える。家に帰ればひとり。でも、今日誰かの役に立てたなら、それは小さなつながりになる。たった一通の封筒から始まる、誰かの人生に寄り添う仕事。その責任と重さを背負いながら、僕は今日もこの道を歩いていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。