「ありがとう」よりも「大丈夫ですよ」と伝えたかった日 ― 司法書士としての孤独な現場から

「ありがとう」よりも「大丈夫ですよ」と伝えたかった日 ― 司法書士としての孤独な現場から

「ありがとう」を期待して疲れていた自分に気づいた

司法書士として十数年やってきたが、いつからだろう、「ありがとう」と言われることに妙に執着するようになっていた。もちろん感謝の言葉が欲しくてやっているわけじゃない。でも、どこかで「先生のおかげです」と言ってもらいたい気持ちがある。それがないと、まるで自分の存在が透明になったような気さえする。書類を整えて、法務局を回って、登記が完了しても、「ふーん、終わったんですね」と言われるだけの日もある。それが何度も重なると、なんだか心がすり減っていく。まるで機械のように処理しているだけの日々に、自分の価値を見失いかけていた。

依頼者からの感謝が薄い日々に感じていた虚無感

事務所で黙々と書類を作っている時間よりも、依頼者とのやりとりで虚しさを感じることが多い。たとえば、相続登記で兄弟げんかの調整をした日なんか、終わった後に何か一言あるかと思ったら「じゃあ振り込み先教えてください」とだけ。もちろん報酬は仕事の対価だし、そっけないのが悪いわけじゃない。でも、人として関わったつもりだったのに、まるで業者のような扱いをされると、深く疲れてしまう。どこかで、「お疲れさま」とか「助かりました」の一言を期待してしまっている自分が情けない。けれど、そういう気持ちは誰にも言えない。

感謝の言葉より、肩の荷を下ろさせる言葉の重み

そんなある日、「安心しました」と一言こぼした依頼者がいた。認知症の配偶者を抱えながら、自宅の名義を整理したいという方で、何度も「大丈夫ですよ」「こっちでちゃんとやりますから」と声をかけていた。手続きが終わったあと、「ありがとう」と言われるより先に、「これでようやく夜ぐっすり眠れそうです」と言われた。なんだか、それだけで報われた気がした。司法書士は感謝されるために働いているわけじゃない。でも、「大丈夫」と言ってあげられる立場であることに、もっと誇りを持ってもいいのかもしれないと、そのとき思った。

ある高齢の依頼者とのやりとりが教えてくれたこと

それは冬のある日。朝から雪がちらついていた。電話口の声は震えていた。「ちょっとお話したくて…」とだけ言うので、寒い中わざわざ来所してもらった。80歳を超えていたその方は、昔ながらの職人気質で、口数は少なかった。でも、登記の話をするよりも、世間話をしているときのほうが明らかに楽しそうだった。時間がかかった案件だったが、結論から言えば、手続きよりも「話を聞いてくれたこと」に救われたのだと、後から聞いた。

手続きよりも不安を解消してほしかったという真意

司法書士は「手続きの専門家」だ。でも、この高齢の依頼者は、紙の上の話よりも「大丈夫ですかね?」という心配のほうが大きかった。印鑑証明ってどうやって取るの? もし途中で体調崩したらどうなるの? そういった小さな不安が積み重なって、眠れない夜を過ごしていたのだろう。私は何度も「大丈夫ですよ、無理しなくても全部こちらで手配しますから」と伝えた。それが、彼にとって「一番欲しかった答え」だったのかもしれない。書類より、説明より、安心を。

「助かりました」ではなく「安心しました」に救われた夜

すべてが終わった日の夕方、彼は小さな紙袋を持ってきた。「こんなことでしかお礼できないけど…」と渡されたのは、地元のお菓子屋の焼き菓子だった。その時の一言が今でも忘れられない。「やっとホッとできました」――司法書士として、たしかに手続きをした。でも、それ以上に「安心できる人」であったことが、何より誇らしかった。感謝の言葉じゃなくていい。「大丈夫」と思ってもらえる存在になること。それが、この仕事の本当の価値かもしれない。

司法書士の仕事は「安心産業」なのかもしれない

「書類を整えること」が仕事だとずっと思っていた。でも、実際にやっているのは「不安を整理すること」かもしれない。法務局や金融機関とのやりとりだけでなく、依頼者の心の中の混乱や迷いとも向き合っている。それは、時には報われないし、正当に評価されない。でも、そこにしかないやりがいもある。

書類の正確さだけでは足りない現場のリアル

間違いのない登記をする、それだけならAIでもできる時代が来るかもしれない。でも、依頼者が涙ぐんでいるとき、ためらってハンコを押せないとき、その空気を感じ取って言葉を選ぶことは、どんなに技術が進んでも人にしかできない。私はよく言葉に詰まる。でも、だからこそ、相手が望んでいるものを探し続ける。安心させたいと思っているだけで、十分意味があるはずだ。

専門性よりも、心のよりどころとして見られる責任

司法書士という肩書は、法的な知識を保証してくれる。でも、依頼者が求めているのは「専門家」としての自分だけではない。「この人に任せて大丈夫」と思える何かだ。それはきっと、誠実さとか、あたたかさとか、そういう言葉でしか言い表せないもの。専門家としてだけじゃなく、人間として信頼されたい。そのプレッシャーは重いけれど、それだけにやりがいも大きい。

「大丈夫ですよ」と言った自分に少しだけ誇りを持てた

いつもはネガティブな自分。何かにつけて「どうせ」「やっても無駄だ」と思いがちな自分。でも、あの時「大丈夫ですよ」と伝えたことで、誰かの不安が少しでも軽くなったのなら、それは自分にとっても救いだった。少しだけ、自分を誇らしく思えた。

司法書士が抱えがちな「便利屋感」との戦い

ときどき、自分がただの“書類係”のように感じてしまうことがある。「これやっといてください」と言われるたびに、自尊心が削られる。でも、「大丈夫ですよ」と伝えるたびに、相手の顔が少し柔らかくなる。それを見ると、「やっぱりこの仕事、意味あるかもしれない」と思える。報酬よりも、自己肯定感のために続けてるのかもしれない。

お金よりも、誰かの不安を静かに和らげた記憶

派手じゃないし、誰かに賞賛されることもない。モテもしないし、家に帰っても一人。でも、それでも仕事に戻ってくる理由は、たぶん「誰かの不安をひとつだけでも減らせた」という記憶が、静かに自分を支えているからだと思う。「ありがとう」よりも、「大丈夫です」と言える人でありたい。今日もまた、そんな気持ちで書類に向き合っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。