“あの人なら大丈夫”と言われる孤独──誰にも頼られない司法書士の本音

“あの人なら大丈夫”と言われる孤独──誰にも頼られない司法書士の本音

誰にも頼られない日々に、ふと心が折れそうになるとき

司法書士として地方でひっそりと事務所を構えて早十数年。業務自体は慣れたものになったけれど、最近ふと心に空洞を感じることが増えた。「先生、これお願いできませんか?」そんな一言を最後に聞いたのは、いつだったろう。忙しいはずなのに、誰かに頼られている実感がまるでない。このまま、自分は“いてもいなくても同じ存在”になってしまうんじゃないか。そんな思いが、無音の事務所の空気に混ざって胸に迫る。

「相談が来ない=信頼されてる」…それ、本当に嬉しいこと?

「先生はしっかりしてるから安心ですね」「あの人なら大丈夫でしょ」──こう言われるたびに、最初は誇らしかった。でも、今ではその言葉が“頼られない理由”に聞こえてしまう。何でも一人でできると思われたら、誰もこちらを必要としなくなる。相談されることは時に面倒でも、あれが人と人との信頼の証だったんだと気づくのは、いつもその関係が終わってからだ。

頼られないのは、信用されてるから?それとも存在感がないだけ?

昔の同業者仲間が集まる飲み会で、「最近どう?」と聞かれたとき、言葉に詰まったことがある。「ミスもないし、順調…なんだけどね」と言いながら、どこか満たされない。仕事がうまくいっていても、心がぽっかり空いているのはなぜか。それは“自分で何とかなる人”と認識されることで、誰の記憶にも残らない存在になってしまっているからだと気づいた。

「○○さんに聞けばいいでしょ」と言われる他人、呼ばれない自分

先日、顧客が「それならあの行政書士さんに聞いてみますね」と笑顔で言っていた。私の目の前で。別に専門外の話だったし、それ自体に文句はない。でも、ほんの少しでいい、「稲垣先生に相談したらどうか」と誰かが口にしてくれたら、全然違った気がする。他人の名前ばかりが会話に出て、自分は場にいるだけの背景になってしまう。そんな時、透明人間になったような感覚になる。

“できる人”という呪い──頼られない優等生の悲哀

気が利く、丁寧、ミスがない──長年積み重ねてきた「信頼」は、気づけば誰も近づいてこない壁になっていた。“完璧すぎる人”は、周囲からすると頼みにくいのかもしれない。かつて「先生、何でもわかってますもんね」と言われたとき、「いや、全然わからんよ」と笑ったが、あれは本心だった。

「一人で何でもやれる」は、実は孤独の入り口

司法書士という職業は、基本的に“ひとり仕事”が多い。責任も成果も自分の肩にかかってくる。最初はそれが性に合ってると思っていた。でも、長くやっているうちに気づいた。誰かに任せる、頼る、ということができなくなっていたのは自分のほうだったかもしれないと。人を頼れない人間は、結果的に誰にも頼られなくなるのかもしれない。

ミスしない人間ほど、誰にも頼らなくなっていく理不尽

完璧に近づくほどに、周囲は期待しなくなる。「大丈夫だろう」と思われるようになる。実際、自分でも他人に任せると逆に手間がかかることがあるから、最初から一人で処理するようになる。だけどその姿勢が、結果的に「頼るな」「話しかけるな」という雰囲気を出していたのかもしれない。寂しいけど、自業自得なのかもしれないとも思う。

仕事が早いと、人付き合いが遅れていく

かつて、若い頃の私は「とにかく早く、正確に」と仕事に集中していた。他人と雑談する時間があるなら一通でも多く書類を処理したい。そう思っていた。でも、その“効率”の代償に、職場での人間関係をどれだけ取りこぼしてきたか。ふと振り返ると、早く終わらせた分だけ、誰にも声をかけられない静かな職場だけが残っていた。

それでも、頼られたいという気持ちは消えない

年齢を重ねるほどに、「誰かの役に立ちたい」という気持ちは強くなっている。自己満足かもしれない。でも、たった一言の「ありがとう」に救われる夜もある。完璧でなくても、失敗しても、それでも誰かが「この人に頼んでよかった」と思ってくれる仕事がしたい。そんな想いが、私がこの仕事を続けている理由だ。

誰かの役に立ちたい。ただ、それだけなのに

時折、街中で困っている人に声をかけることがある。重そうな荷物を持っているおばあさんや、駅で迷っている観光客。たとえ一瞬でも「助かりました」と言われると、胸の奥がじんわりあたたかくなる。大げさかもしれないが、人生において「人の役に立てる」というのは、それだけで十分な価値がある気がする。

目の前の書類じゃなく、心に寄り添ってくれる人になりたかった

書類をミスなく仕上げることも大事だ。でも、相手が安心して話せる空気をつくること、それが一番大切だったと今になって思う。依頼者の心の奥にある不安や寂しさに、もう少し耳を傾けていたら、もっと違う関係が築けたのかもしれない。今からでも遅くない。そう思いながら、また一つ、依頼書を丁寧に読む。

「ありがとう」じゃなく「助かった」と言われたい

形式的な「ありがとうございました」より、実感のこもった「助かりました」のほうが、ずっと心に響く。自分が誰かの人生の一部に、少しでも貢献できた証だからだ。頼られるって、実はすごく個人的で、温かいことなのだと思う。だからこそ、今日もまた、誰かが私を必要としてくれる瞬間を信じて、机に向かっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。