書類棚から始まる一日
朝から書類棚が不穏な音を立てて崩れた。バインダーがドサッと床に散乱し、その中心で一枚の書類が目を引いた。黄色い付箋が「至急」とだけ書かれて貼ってあった。
「シンドウさん、また積みすぎたんじゃないですか?」という声が、机の向こうから冷たく響いた。俺はホコリを払いながら、書類をかき集めるフリをしつつ、その紙だけポケットに滑り込ませた。
なぜか、その一枚が気になってしかたなかったのだ。
「シンドウさんまた積んでますよ」
サトウさんの声はいつも通りだった。冷たくて正確で、だけど妙に安心感がある。それにしても、この事務所の棚はいつも崩壊寸前だ。昔のサザエさんのエンディングみたいに、毎回同じパターンで崩れる。
俺はため息をつきながら、バラバラになった登記簿の束を拾い上げた。サトウさんはすでにPCの前で何か検索している。
「付箋のついた紙、見ました?」その問いに、俺は黙って首を振った。
紙とホコリとため息と
毎度おなじみの光景ではあるけれど、今回の崩壊はただの偶然じゃない気がした。机の下に潜り込んだ俺の鼻先に、古びた朱肉の匂いがふわりと漂った。
何かがおかしい。五感がそう訴えていた。野球部時代、打たれる直前のカーブみたいな違和感。
俺は小さく呟いた。「やれやれ、、、また面倒なことになる予感しかしないな」
依頼人の唐突な死
午後、一本の電話が入った。午前中に相続登記の相談に来ていた依頼人が、自宅で急死していたという。心不全とのことだったが、通話の向こうで声を震わせる警官の様子に、不穏さを感じずにはいられなかった。
「今朝の書類、やっぱり持って行って正解でしたね」とサトウさんが言う。
俺は頷いた。ただ、その「正解」が何を意味するかは、まだ見えていなかった。
最後の遺言と謎の付箋
依頼人が持ち込んだ遺言書の写しには、記載のない不動産が含まれていた。だが、その物件に関する登記簿謄本が用意されていなかったのだ。
そして、例の「至急」付箋が貼られていたのは、その不動産に関する仮登記申請書だった。しかも署名欄には、明らかに別人の筆跡が混ざっていた。
俺は背筋がぞっとした。これはただの相続登記じゃない。
妙に慎重な相続人
その物件の名義を巡って現れた相続人の一人が、やけに慎重だった。手続きの説明にも過剰に反応し、必要以上に印鑑証明について質問してくる。
サトウさんは、「彼、絶対何か隠してますよ」と静かに言った。
「言葉の端に嘘がある」彼女のその感覚は、だいたい正しい。
サトウさんの視線が止まったページ
資料の山を前に、サトウさんがふと手を止めた。彼女の視線の先には、以前の所有者の名が記された申請書があった。
「これ、同じ申請書が2通あります。しかも日付が違う」と彼女が言った。
俺は書類を覗き込み、目を細めた。登記簿上は一つしかない取引が、二度にわたって申請された痕跡がある。これは、、、偽装登記だ。
登記事項証明書の違和感
登記事項証明書をじっと見ていると、一つだけ浮いたような記載があった。謄本の中で、その物件だけがやたらと申請日が新しい。
「この申請、遺言書と整合性がない」と俺は呟いた。
登記は嘘をつかない、でも嘘は登記の隙間にこっそり紛れるのだ。
捺印の位置が示すもの
ある一通の委任状の印影が、他とわずかにズレていた。しかも印鑑登録証明書と照合すると、かすかに形が異なる。
「スキャンされた印影を貼って印刷してますね、これ」とサトウさん。
俺はゾッとした。これは完全に計画的な偽造だった。
やれやれそんなはずは、、、
こんな小さな町で、こんな手の込んだ登記詐欺が行われるとは思ってもみなかった。まるでルパン三世が忍び込んだような器用さだ。
だが犯人が見落としていたのは、司法書士とその事務員が地味にしぶといということだった。
「やれやれ、、、休みたかったのにな」俺は苦笑いしながらファイルを閉じた。
過去の登記簿の写しを探して
倉庫にある古い帳簿をひっくり返すと、15年前に一度だけ申請された仮登記の記録が出てきた。今回の申請と全く同じ住所、ただし名義が違う。
この不一致こそがすべての鍵だった。
「サトウさん、これで行けそうだ」と言ったとき、彼女はすでに法務局に電話をかけていた。
すべての点と点がつながったとき
不正登記、仮装売買、偽造委任状。犯人は死亡した依頼人の遺言を偽装し、資産をごっそり奪おうとしていた。だがサトウさんの冷静な分析と、俺の地味な手作業がそれを食い止めた。
まるでコナンの最終回みたいな展開だが、こちらには変声機も麻酔銃もない。ただの紙と朱肉だけだ。
だが、それで十分だった。
書類の山に潜んでいた嘘の正体
嘘は書類の山に埋もれていたが、真実もそこに眠っていた。小さなズレ、小さな違和感、それらを見逃さなかったサトウさんの目が勝利をもたらした。
俺はただ、ホコリを被りながらそれに付き合っただけだ。
それでも、司法書士ってやつは不思議と最後に報われる職業だ。
そしてまた書類の山へ
事件が終わった翌日、俺の机の上にはまた新たな登記依頼のファイルが三つ積まれていた。サトウさんは何も言わずに、それを俺の方に押してよこした。
「次は不正がないといいですね」と彼女が笑う。
「やれやれ、、、休む暇もないな」と俺は書類を手に取り、ペンを走らせ始めた。