スマホを開く気力すらなかった夜に思うこと
仕事が終わって帰宅した夜、私はソファに沈み込んだまま、スマホに手を伸ばすことすらできなかった。通知も気にならないし、誰かとつながりたいという気持ちすら湧かなかった。疲れきっているのに眠れない。そんな夜が、最近とても増えたように思う。地方の小さな司法書士事務所。自分一人と事務員だけの体制では、ちょっとしたミスや遅れもすべて自分に跳ね返ってくる。孤独とプレッシャーが心を押し潰してくる夜に、私は何度も「もうダメかもしれない」とつぶやいていた。
目の前の仕事に追われて、自分を見失う瞬間
朝から書類確認、相談対応、電話応対、登記の準備、法務局への提出……気がつけば昼食も抜いていた。事務所の時計が夜8時を指していたとき、私は「今日も何をしていたかよくわからないな」と苦笑いを浮かべた。タスクは確かにこなしている。けれど、手応えも達成感もない。司法書士という職業は人の人生や財産に関わる重たい仕事だけれど、誰からも評価されることは少ない。ひたすら“滞りなく処理する”ことが求められる。そんな毎日のなかで、自分が何のために働いているのか、ふとわからなくなる瞬間がある。
今日も登記と格闘。あっという間に過ぎた12時間
ある日、抵当権の抹消登記を5件並行して処理することになった。登記原因証明情報の不備、委任状の訂正印、金融機関とのやりとり……気を抜いたら一つのミスで全体が止まる。12時間、頭をフル回転させて、書類とモニターに張りついた。帰宅してカバンを置いた瞬間、膝から崩れ落ちた。自分が人間なのかただの入力マシーンなのか、わからなくなる。仕事を愛していたはずなのに、その日は「もういやだ」と思ってしまった。
「あの件、まだだったの?」と事務員に言われて凹む
事務員とのやりとりも、時には心をざらつかせる。ある日、ミスが重なり、「あの件、まだだったんですか?」とぽつりと声をかけられた。悪気がないのはわかっている。それでも、自分の無力さが刺さる。立場上、感情をぶつけることもできず、笑ってごまかした。だが心の中では、自分の価値を否定されたような気がして、帰り道の車内で涙が出そうになった。誰かに責められるより、自分が自分に失望することの方が、ずっとつらい。
誰かに頼るのは下手だけど、ひとりじゃ無理なときもある
私は昔から「ひとりで何とかしよう」と思う癖がある。けれど、仕事も人生も、ひとりで完結するものじゃない。そんなこと、頭ではわかっている。だけど性格上、人に弱音を吐くのが苦手で、「大丈夫」と言いながら限界まで抱え込んでしまう。SNSでも、知人との電話でも、どこかで“頑張ってる自分”を演じてしまう。そして、そんな演技にも疲れて、気がつけば誰とも関わりたくなくなる。そういう夜に限って、心が空っぽになる。
孤独と責任感の間で揺れる日々
司法書士という仕事は、最終的な判断や責任をひとりで負うことが多い。だからこそ気を張って、気を遣って、完璧を目指す。でも、それができなくなったとき、どこにも逃げ場がない。誰かに相談したところで、「それが司法書士の仕事でしょ」と返されたら終わり。だから、相談すること自体が怖い。責任を持つということは、孤独を抱えることなのだと、最近ようやく腑に落ちた。
頼れる人がいることは、贅沢なのかもしれない
東京で働く友人が「部下が育ってくれて助かってる」と話していた。羨ましかった。私の事務所には事務員が一人いるけれど、実務の判断はすべて私がやるしかない。頼る人がいるって、すごく贅沢なことなのかもしれない。仕事が多すぎてまわらないとき、誰かに「ちょっとお願い」と言えるだけで、どれほど救われるだろう。いつか自分にも、そう言える日が来るのだろうか。
スマホが鳴らない夜ほど心がざわつく
忙しい毎日のなかで、ようやく迎えた夜の静けさ。けれど、その静けさが、時には不安を連れてくる。スマホを見ても、通知が一つもない。「今日も誰からも連絡がなかったな」と、なぜか胸がざわつく。自分が誰からも必要とされていないような気がして、やり場のない寂しさに押し潰されそうになるのだ。
「また独りか」そんな夜が何度あったか
飲み会も縁遠くなり、休日に誰かと過ごすことも減った。連絡をとるのはほとんど仕事の関係者ばかり。たまにLINEを送っても既読スルー。そんなことが続くと、「自分って、やっぱりひとりなんだな」と思う。独身という立場が、こんなにも孤独と隣り合わせだとは、若い頃は思っていなかった。誰かに「おかえり」と言ってもらえるだけで、世界が違って見える気がするのに。
SNSを開く元気もない。誰にも見られたくない
スマホを手に取って、InstagramやFacebookを開こうとする。でも、指が止まる。みんな楽しそうな写真や日常を投稿しているのを見ると、自分がどんどんみじめになる。何か発信しようにも、「こんな疲れた顔を誰が見たいんだ」と思ってやめてしまう。誰かに見てもらいたい気持ちと、誰にも見られたくない気持ち。その矛盾が、自分の中でぐるぐる渦巻いている。
忙しさが心を麻痺させていたことに気づいた夜
あの夜、スマホを開けなかったのは、ただ疲れていたからだけじゃない。心が、感じることを拒否していたのだ。楽しいも、嬉しいも、悲しいも、すべてシャットアウトして、「何も考えたくない」という状態になっていた。たぶん、自分を守るために心が麻痺していたのだと思う。そうでもしないと、毎日のプレッシャーに耐えられなかったのだ。
気力と体力が枯れたあとに残る、空っぽな自分
やりがいも達成感もない日が続いたある夜、鏡に映った自分を見て「誰だろう」と思った。目に力がない。笑っていない。なんのために生きているのかわからない。そんな自分を見て、怖くなった。体を壊すより先に、心が壊れるかもしれない。司法書士である前に、自分は人間なのだと、ようやく思い出した。
優しさが擦り減るってこういうことかも
昔はもっと、人に優しくできた気がする。親切にされたら素直に感謝できたし、困っている人には手を差し伸べた。でも今は、人の言葉に棘を感じたり、誰かの成功が羨ましくて苦しくなることがある。そんな自分が嫌で、ますます人と距離を取ってしまう。優しさは無限じゃない。擦り減ったら、補給しなければいけない。そう思えたのは、何もできなかったあの夜のおかげかもしれない。
司法書士として、そして一人の人間として
肩書きや役割に縛られて、本当の自分を見失いそうになることがある。司法書士である前に、自分は一人の人間だ。完璧じゃなくていい。失敗してもいい。そう思えたら、少しだけ肩の力が抜けた。
誰かの役に立ちたいと願って選んだこの道
司法書士という仕事を選んだのは、「人のためになりたい」という気持ちからだった。書類を通じて、誰かの人生の節目に寄り添える仕事。誇りはある。けれど、現実は想像よりずっと地味で、孤独で、報われないことも多い。でも、それでもこの道を選んだことを後悔はしていない。ときどき届く感謝の言葉に、何度も救われてきたから。
でも、心が折れそうな日もたくさんある
感謝されることもあるけれど、報酬が見合わなかったり、理不尽なクレームに心を削られることも多い。司法書士という専門職であっても、世間の理解はまだまだ薄く、軽く扱われることもある。そんな日々のなかで、「もう辞めようかな」と思ったことも何度かある。けれど、朝になると机に向かってしまう。たぶん、それしかできないのだ。
それでもまだ、自分を許せない自分がいる
十分頑張ってる、そう言われても素直に受け取れない。もっとできたはず、もっと効率的にやれたはず。そんな“たられば”が頭を離れない。完璧を目指して、自分を追い込みすぎてしまう。少しぐらい不器用でも、弱音を吐いても、誰かに迷惑をかけても、生きていていい。そう思えるようになるまでには、もう少しかかりそうだ。