初めて商業登記を任された日の手の震えは今も忘れない

初めて商業登記を任された日の手の震えは今も忘れない

初めての登記 震える手と乾く喉

あの日、初めて商業登記を「じゃあ、これお願いね」と任された瞬間のことは、今でもはっきりと覚えている。受け取ったのは、一見するとただの定款のコピー。でもその重さが、まるで辞書三冊分に感じられた。机に戻って、手を合わせて深呼吸をしたけれど、喉はカラカラで、心臓はバクバク。元野球部でプレッシャーにはそこそこ強いはずなのに、書類一枚でこんなにも動揺するとは思わなかった。

書類を受け取った瞬間 頭が真っ白になった

登記を一人で任されたのは、それが初めてだった。それまでは先輩の補佐をしていたり、見て覚えろの精神で過ごしてきたが、いざ実務として「一任される」となると話が違う。会社名、代表者、目的、資本金……どれも記載はある。でも、何が正しくて、何が間違いか、自信が持てなかった。机に座ったまま、気がついたら10分以上、何も進んでいなかった。

誰にも頼れないプレッシャー

当時、事務所は今と同じく自分と事務員の二人。事務員は登記実務にはノータッチだし、当然のように相談できる相手はいない。同期や先輩に聞くにも、何をどう聞いていいかわからず、結局、ひたすら六法と実務書を読みあさった。それでも「これでいいのか」という不安は拭えず、心の中では「頼む、通ってくれ」と祈るばかりだった。

ハンコを押す手が信じられなかった

書類が一通り整って、「押印」のタイミング。いち司法書士としての責任を感じる瞬間だった。実際の印鑑はゴムでできた軽いものなのに、手に持ったそれはまるで鉛のように重かった。手が震えるなんて、野球の打席以外で初めてだった。自分で押した印鑑が、ほんの少し傾いているのを見て、ますます自信がなくなったのを覚えている。

あの日の夜は眠れなかった

提出を終えた帰り道。自転車をこぎながら、「あれでよかったのか」「何か見落としてないか」とグルグル考えていた。帰宅後、テレビをつけてもまったく頭に入ってこない。布団に入っても寝付けず、結局、夜中に起き出して再度登記簿例を読み直す始末。あんなに神経をすり減らした日は、司法書士になってから数えるほどしかない。

ミスしたら終わりという恐怖

商業登記は、登記ミス一つで会社の信用に関わる。それを考えると、もう怖くて怖くて仕方がなかった。法人の代表者が自分を信じて書類を託してくれたのに、自分のせいで訂正になったらどうしよう。そんな恐怖ばかりが先行して、冷静な判断力がどんどん削られていった。理屈ではわかっていても、心がついてこない。

ネットの情報だけでは足りない現実

正直、ネット検索はかなり使った。でも、それはあくまで「知識」であって「判断」ではない。最終的に「このケースでこの判断が妥当か」は、自分で責任を取るしかない。誰かのブログや解説記事では安心できなかった。そんなときに、実務の壁の高さを痛感した。知識だけじゃ司法書士はできない、という現実が身に沁みた。

商業登記の重みを知った最初の一歩

結果的に、あの登記は無事に通った。補正もなかった。けれど、それで「できた」とは思えなかった。むしろ、「運が良かった」ぐらいに感じていた。でも、あの経験こそが、自分の中で商業登記という業務の重みをはじめて感じさせてくれた出来事だったと思う。怖さを知ることが、責任を持つ覚悟にもつながっていった。

実務書より現場が教えてくれたこと

登記の種類は多く、パターンも千差万別。実務書の通りにいかないことも多々ある。それを痛感したのも、最初の登記だった。「机上の知識」と「実際の手続き」との間には、見えない深い溝がある。ひとつひとつ確認して、何度も見直して、ようやく少しずつ「経験」と呼べるものになっていく。商業登記は、現場で磨かれる仕事だと知った。

正解がないことへの不安

司法書士の業務は、「こうすれば絶対正解」というものばかりじゃない。法の解釈、通達、運用、そして現場の事情……その中で自分の判断を積み重ねていく必要がある。最初の登記では、それが何より怖かった。「誰かに正解を教えてほしい」と心底思った。でも、誰も教えてくれない。それがこの仕事なのだ。

一つひとつ確認するしかなかった日々

それからというもの、登記のたびに不安はあった。でも、毎回「これはどうか」「あれは大丈夫か」と自問自答しながら、一歩ずつ進んできた。今も、完全に自信満々ではない。でも、その慎重さこそがこの仕事には必要なんだと、ようやく思えるようになった。あの震える手は、今もたまに戻ってくる。でもそれでいいと思っている。

「これでいいんだろうか」と毎回疑っていた

今でこそ登記の件数もこなしてきたが、それでも毎回「これでいいのか」と自問するクセは抜けない。自信を持ちすぎて失敗したこともあるし、慎重になりすぎて時間をかけすぎたこともある。でも、そのどちらも「経験」として積み重なっている。完璧な司法書士なんていない。それを受け入れることが、少しだけ気持ちを軽くしてくれる。

一人事務所だからこその孤独と学び

事務員がいるとはいえ、実務はすべて自分の責任。相談相手も少なく、愚痴をこぼす相手もいない。地方の小さな事務所は、そういう意味でも孤独だ。でも、だからこそ得られるものもある。責任の重さと引き換えに、自由と裁量がある。そのバランスを取りながら、自分のペースでやっていくしかない。

誰かに相談できないことの辛さ

わからないことがあっても、簡単に「教えてください」と言えない業界だ。恥ずかしさもあるし、プライドもある。特に独立してからは、「聞く=できないやつ」と思われたくない気持ちも強かった。でも、それが自分を苦しめていた。今ではようやく、「わからないなら聞こう」と思えるようになってきた。遅いけど、これも成長だと思いたい。

電話越しの法務局に救われた瞬間

何度か、法務局の担当者に電話をして泣きそうになったことがある。「ここ、どう扱えばいいですかね?」と訊いたら、丁寧に教えてくれたときの安堵感は今でも覚えている。人に頼るのは悪いことじゃない。そう気づかせてくれたのは、無機質な窓口ではなく、その向こうにいる“人”だった。

ミスを恐れすぎて動けなくなったことも

失敗しないように慎重になるのはいいこと。でも、慎重になりすぎて、動けなくなるのは本末転倒だ。そんな状態になったこともある。商業登記が怖すぎて、案件を断ろうかと真剣に悩んだことすらあった。でも、逃げなかったことで得たものもある。「失敗しても立て直せばいい」と思えるようになるには、少しだけ時間がかかった。

経験は後から自信になると言われても

「場数を踏めば慣れるよ」なんて言葉は、最初は全然信じられなかった。でも、今はなんとなく、わかるようになってきた。あのときの手の震えが、少しずつ小さくなっているのは、経験のおかげかもしれない。そして、これからも震えることはあるだろう。それでも前に進むしかない。そんな覚悟だけは、できてきたと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。