あの書類、まだ必要だったなんて… シュレッダーの音がトラウマになった日

あの書類、まだ必要だったなんて… シュレッダーの音がトラウマになった日

あの「ブィーン」という音が今も耳に残る

忙しい日の午後、机の上の書類が山のように積まれていて、思わず「今日は片付けよう」と決心したのが運の尽きだった。手に取った一枚の書類。「これはもう済んだ案件の控えだから、いいか」。そう思って、事務員さんに「これ、シュレッダーでお願い」と頼んだ。彼女は手慣れた様子で機械にかけ、「ブィーン」という音が鳴り響いた。あの音、何度も聞いてきたはずなのに、その瞬間だけは耳に残って離れない。あの書類が、まだ使う書類だったなんて。冷や汗が止まらなかった。

業務に追われたある日の午後

その日も例によって、朝から相談が立て込み、電話は鳴りっぱなし。登記の書類作成に追われつつ、合間に郵便物のチェック、依頼者からの急ぎのメールにも対応していた。昼過ぎには疲れも出てきて、頭がぼんやりしていたと思う。そんなとき、机に山積みになっていた書類の束が目に入り、「このへん、もう整理しよう」と思ってしまったんだ。多分、少しでも仕事を終わらせたいという焦りと、書類に対する油断が重なった結果だったんだろう。

「これもういらないですよね?」の一言が悲劇の始まり

事務員さんが書類の束を見て、「これ、もう処分でいいですか?」と聞いてきた。「うん、たぶんいらない」と答えたのは、まさに一瞬の判断ミスだった。あとでわかったことだが、その中に含まれていた一枚の書類は、後日補足資料として必要になる重要な書類だった。彼女を責めるわけにはいかない。自分が「たぶん」で済ませたことがすべての元凶だった。あのときの自分を殴りたいくらい後悔している。

あのとき、ほんの3秒止まって考えていれば…

「ん?」と少しでも立ち止まって、内容を確認していれば防げたミスだった。しかも、わざわざ手に取って捨てるよう頼んだのは自分。忙しさにかまけて「判断」という名の責任を放棄していた。事務所の中で自分だけが知っている文脈を、事務員さんに丸投げした結果だった。たった3秒の確認を怠ったせいで、その後数時間もかけて再発行の手続きや顧客への謝罪対応に追われることになった。しかも、シュレッダーにかけたものは、もう元には戻らないという事実が、やたら心に刺さる。

書類の管理、どこまで厳密にするか問題

司法書士という仕事は、書類の管理が命だ。でも実際には、毎日膨大な紙が流れ込んでくるし、そのひとつひとつを厳密に仕分ける余裕は、正直なところない。期限があるもの、控えとして置いておくべきもの、念のため残すもの。基準はあっても、判断はいつも現場任せになりがちだ。自分でルールを決めたつもりでも、例外が多すぎて迷いが出る。そして、その「迷い」が悲劇を生む。

保管期限?依頼者の意向?それとも直感?

書類の保存って、実はすごく曖昧な世界だ。税務書類のように「何年間は保存義務があります」と決まっていればまだいい。でも登記に関する資料なんて、「これは念のため…」と保管する一方で、「これは終わったし」と自己判断で処分してしまうことも多い。依頼者の意向で後日必要になる可能性があるケースもあるし、自分では終わったと思っていた案件が、再度動き出すこともある。結局のところ、「これ、いらないかも」は信用できないんだと身にしみて思った。

「とりあえずとっておく」が山を作る

保管しすぎると、今度は別の問題が発生する。書類の山がどんどん増えて、必要なときに探せない。僕の事務所でも、狭いスペースにファイルボックスがぎっしり詰まっていて、開けるたびに「いつのだこれ?」という書類が出てくる。「とりあえず」なんて便利な言葉だけど、責任逃れの象徴でもある。整理しようとしてミスが起きる。整理しないと仕事にならない。八方塞がりとはまさにこのこと。

そして「捨てる勇気」が事務所を混乱させる

定期的な整理が必要なのは分かっている。だけど「捨てる」って、結局ギャンブルなんだよな。「いらない」と思った瞬間の判断が間違っていれば、あとで地獄を見る。実際、今回の件だって、シュレッダーの音を聞いた直後に「あ、待てよ」って背筋が寒くなった。捨てる勇気というより、正確には「見極める力」が必要なんだと痛感した。問題は、その力が疲れてくると一緒に失われてしまうという現実だ。

事務員さんを責められない、でも…

彼女を責める気はない。むしろ、長く支えてくれて感謝している。でも、だからこそ「任せた自分」に対するモヤモヤが残る。これは信頼の問題というより、業務の設計ミスなんだろうと思う。「誰が」「どの書類を」「どう扱うか」のルールが曖昧だった。そして、曖昧なまま動かしてしまった責任は、やっぱり所長である自分にある。

僕が確認しなかったのが悪い、けどやっぱり…

「確認していればよかった」と100回思った。でも、どうしても「もうちょっと慎重に聞いてくれても…」という思いがよぎる。これって、たぶん多くの事務所で起きてることだと思う。上司とスタッフの間にある微妙な温度差。信頼しすぎると、油断になる。かといって毎回口を出すと、信頼してないように思われる。ほどよいバランスって、本当に難しい。ましてや、忙しい日々の中ではなおさら。

信頼と任せることの難しさ

仕事を任せることが、どれほど繊細な行為かを改めて思い知った。単に作業を依頼するだけじゃない。背景を理解してもらい、判断軸を共有してもらい、それでようやく「任せる」が成立する。でも、日々の業務の中でそんな丁寧なやりとりがどれほどできているだろうか。僕自身、「忙しい」を理由にその手間を怠ってきた。今回の件は、そのツケだったのかもしれない。

独身司法書士、トラブルも自分で始末

トラブルが起きたとき、家に帰って誰かに愚痴を言う相手もいない。事務所を出ても、頭の中はぐるぐる反省と後悔でいっぱい。猫でもいれば話し相手になってくれたかもしれないけど、うちはペット不可のアパート。気づけば、コンビニの店員さんとの「ありがとうございました」くらいしか声を発していない夜もある。なんだかなぁ、って思う。

共有できる相手がいない孤独

経営者って、基本的に孤独だ。特に司法書士のような一人仕事は、自分で抱えて、自分で処理して、自分で反省する。誰かに相談することもできるけど、結局決めるのは自分。だから、誰かと共有したい感情すらも、自分の中で処理しないといけない。それがしんどい。でも、それがこの仕事なんだとも思う。そう思ってはいても、やっぱり孤独は辛いもんです。

モテなくてもいいから、誰か愚痴を聞いてくれ

正直、モテたいなんてもう思ってない。でも、「ああ、それ分かるわ〜」って言ってくれる誰かがいたら救われるのにな、とふと思う。SNSで愚痴をこぼすこともあるけど、やっぱり生身の人間との会話にはかなわない。司法書士って、なんでこんなにも孤独なんだろうな。仕事の話を分かち合える仲間がもっといたら、こんなときの救いになる気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓