年齢を重ねても不安が消えない夜

年齢を重ねても不安が消えない夜

年齢を重ねても不安が消えない夜

不安は年齢とともに薄れると思っていた

年齢を重ねれば、仕事にも慣れて、人生の迷いも減ってくるはず。そう思っていた20代の自分は、今の自分を見たら驚くだろう。司法書士としてそれなりの年数を重ね、事務所を構え、依頼もある。でも、ふと夜に一人になると、妙な不安がじわりと広がってくる。「これでいいのか」「本当に続けていけるのか」——そんな問いが、頭の中で繰り返される。年齢を重ねても、不安は形を変えてそこに居座っている。

若いころの焦りと、今の焦りは違う

20代の頃は、「早く一人前にならないと」という焦りが強かった。勉強も仕事もがむしゃらにやって、寝る時間すら惜しかった。でも今は違う。焦りの質が変わった。今は「このまま何も変わらなかったらどうしよう」という、じわじわとした恐怖に近い焦り。たとえるなら、若い頃は炎のような焦りで、今はじんわり身体を冷やすような冷気のような焦り。どちらがしんどいかと言えば、今の方が厄介かもしれない。

経験を積んでも安心できない理由

年数を重ねると、ミスは許されなくなる。経験がある分、まわりの期待も大きくなる。それに応えられない自分がいると、自信を失う。昔なら「まだ若いから」と許されていたことも、今では「何年やってるんだ」と内心責められているように感じる。責任は年々重くなるのに、安心感は比例しない。それがまた不安を呼び込む。

依頼があることが不安を消すわけではない

依頼があると、表面的には「順調だね」と言われる。でも、実際には「この案件、本当に自分で大丈夫か」と毎回ヒヤヒヤしている。ミスを恐れて、何度も確認して、それでも完璧とは言い切れない。依頼が増えることでプレッシャーも増える。安心とはほど遠い日々だ。

頼られる重さがプレッシャーになるとき

信頼されるのはありがたい。けれど、それが過剰な重責としてのしかかるときもある。特に地元密着型の仕事では、うわさもすぐ広まる。「あの先生に頼めば間違いない」と言われるたびに、次は絶対に失敗できないというプレッシャーが積み上がっていく。信頼が、不安の種になるなんて、若い頃は想像もしなかった。

どこまで頑張れば「もう大丈夫」と思えるのか

どれだけ仕事をしても、「もう安心」という境地にたどり着けない。資格を取り、開業し、地元でやっている。それでも、不安は消えない。もしかしたら、どこまで行っても「大丈夫」と思える日は来ないのかもしれない。だからこそ、日々の中で小さな安心を拾い集めるしかないのだろう。事務員さんと交わす何気ない会話に救われることもある。

地方で一人事務所を構えるということ

地方で司法書士事務所を構えるというのは、都会のように同業が多いわけでもなく、情報交換もしにくい環境だ。だからこそ、判断も悩みも全部自分一人で抱えることになる。相談できる相手がいない孤独感は、時に業務以上に精神的な重みになる。

誰にも弱音を吐けない日々

経営者という立場上、弱音を吐くことが許されない空気がある。事務員さんにだって、あまり愚痴は言えない。結果、自分の中でため込むばかり。夜の帰り道や、お風呂に浸かっているとき、ふと涙がこぼれそうになることもある。誰かに「しんどい」と言いたくなる瞬間が増えた。

成功の基準がわからなくなる瞬間

仕事はあるし、生活にも困っていない。それでも、「自分は成功しているのか」と問われると答えに詰まる。年収や件数では測れない、心の満足感が足りない。特に、同級生が家庭を築いているのを見ると、自分は何をやっているんだろうと落ち込むこともある。

比べる相手がいない不安

同業者が近くにいないと、ペースや方向性が正しいのか判断ができない。都会なら「他の事務所ではこうしている」と比較もできる。でもここでは、それができない。まるで一人きりで野球の試合をしているような気分になる。スコアも出ず、観客もいない。そんな孤独な勝負をしているような感覚だ。

モチベーションの源が見えなくなる

何のためにこの仕事をしているのか。開業当初は「地域の役に立ちたい」とか「独立したい」という明確な目標があった。でも今は、その目的がぼやけている。業務をこなす日々に追われ、やりがいよりも義務感ばかりが残る。気づけば、やる気よりも疲労感が勝っていることが多くなった。

モテないことの延長線にある孤独

モテなかったから独身で、独身だから寂しい。そんな簡単な話でもないが、やはり人と暮らしている人がうらやましくなる瞬間はある。誰かと夕飯を囲むこと、休日に何気ない会話をすること。そのどれもが、自分には遠い。

誰かと人生を共有したい気持ち

仕事がどれだけ忙しくても、ふとした瞬間に誰かと気持ちを共有したくなる。「今日はこんなことがあったんだよ」と言いたい相手がいない現実に、ぽっかり穴が空く。別に恋愛でなくてもいい。ただ、信頼して何でも話せる存在が欲しいと強く思うようになった。

仕事だけが生活を占める怖さ

気づけば、週の大半は仕事。土日も対応が入ることがある。気分転換に出かけても、ふとスマホを見れば依頼の連絡。「司法書士としては順調」なのかもしれないけど、「人間としてはどうなんだろう」と考える瞬間がある。仕事が生きがいというより、仕事が生活を侵食している。

元野球部の意地が支えになるとき

高校時代、野球部だった頃の「やり切る力」が今の自分を支えている。厳しい練習も、意味があるのかわからない筋トレも、投げ出さなかった。あの頃のしんどさに比べれば、今の不安は理屈が通じる分だけマシかもしれない。

あの頃の叱責が今になって効いてくる

監督に怒鳴られ、先輩に理不尽に怒られ、それでも食らいついていた日々。あれは無駄じゃなかった。今、不安やプレッシャーに押し潰されそうなとき、当時の自分を思い出す。「あの時耐えたんだから大丈夫だ」と、わずかに踏ん張れる気がする。

体力だけは裏切らないと思っていたけれど

ただ、悲しいかな体力の衰えは感じている。夜遅くまで仕事をしても、翌日に響く。昔は深夜でも起案できたけど、今は眠気が勝つ。だからこそ、体の声に耳を傾けて休むことも「意地」のひとつだと自分に言い聞かせている。

それでも誰かに届く言葉を書きたい

愚痴っぽくても、弱音でも、同じように孤独や不安と向き合っている人がいるなら、少しでも共感してもらえるかもしれない。司法書士という職業の裏側にある、人間らしい揺らぎを記録しておきたい。

ネガティブであることの意味

無理にポジティブにならなくていい。ネガティブな感情こそが、人を動かすエネルギーになることもある。自分の言葉が、誰かの「自分だけじゃないんだ」に繋がれば、それだけで書く意味があると思っている。

愚痴を言える場を持つという救い

こうして文章を書くことが、自分にとっての「愚痴のはけ口」になっている。誰かに直接言えなくても、文字にすることで少しだけ楽になる。そして、それが誰かの支えになったら、こんな嬉しいことはない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。