朝起きても何も感じない日が増えてきた
目が覚めた瞬間、「あ、今日も仕事か」と思う。それは別に珍しいことではない。だけど最近は、それにすら何の感情も湧かなくなっていた。「嫌だな」とか「今日は○○があるから頑張ろう」とか、そういう感覚すら消えてしまった。毎日がコピー機にかけたように同じに感じる。天気が晴れでも雨でも関係ない。気づけば、何かを感じるということ自体が、遠い過去のような気がしている。
毎朝のルーティンが無色透明になった
朝起きて、顔を洗って、コーヒーを淹れる。かつてはそのコーヒーの香りだけで、少しだけ気持ちが前を向いた。けれど最近は、どんなに香り高い豆を使っても、ただの温かい液体としか思えない。事務所に向かう道も、見慣れた風景がただ流れるだけ。音楽をかけても何も響かない。体は動いているのに、心がついてきていない感じ。誰かに「最近どうですか?」と聞かれても、「まぁ、普通ですね」としか言えない自分が虚しくなる。
コーヒーの香りにも何も思わない
昔はコーヒー豆を選ぶのが密かな楽しみだった。「今日はエチオピアにしてみようか」とか、「少し深煎りにして疲れを飛ばしたいな」とか。そんなささやかな気分転換すら、今では面倒になって、コンビニの紙コップで済ませるようになった。味の違いも正直わからない。というより、関心がない。味覚というより、感情が反応しない。朝の「始まり」を感じるきっかけすら、自分の中から抜け落ちている気がした。
野球部時代の朝練の方がまだマシだった
高校時代の野球部の朝練は、正直しんどかった。冬の寒さの中、真っ暗なグラウンドで走らされる。でも、不思議と今よりも生きてる感じがあった。息が切れて、筋肉が悲鳴をあげても、「今日もやったったな」という実感があった。今はどうだろう。机に向かい、書類にハンコを押す毎日。それなりに成果は出しているはずなのに、心に残るものがない。自分の人生に対して、「これは自分の試合か?」と問いかけたくなる。
相談を受けても心が動かない自分に気づく
司法書士という仕事は、人の人生に深く関わる職業だ。相続の話、離婚の手続き、倒産の支援…どれも感情の揺れを伴う案件ばかりだ。でも、最近はその揺れを感じ取る力がなくなっている気がする。話は聞いているし、対応もしている。でも、心が寄り添えていない感覚がある。クライアントの涙にも、昔ほど反応できない自分が怖くなる瞬間がある。
本当は一緒に怒ったり悲しんだりしたいのに
「ひどいですね」「それは辛かったですね」そう言いながら、心のどこかで、それをただの言葉にしている自分がいる。以前は、もっと一緒に悔しがったり、励ましたりできた気がする。今は、それをやる余力が残っていない。一日が終わると、ぐったりして声も出ない。共感する余裕がないまま、書類だけが次から次へと積み上がる。効率は上がったかもしれないけれど、大事なものはどこかに置いてきた気がしてならない。
共感する余裕がなくなるとプロ失格なのか
感情を抑えることは、ある意味でプロの条件だ。冷静に、客観的に物事を処理する。でも、それだけでは足りないのがこの仕事だとも思う。依頼人は、書類を整えるだけの人を求めていない。気持ちに寄り添ってくれる存在を求めている。でも、こちらも人間だ。余裕がなければ、共感はできない。無理に共感しようとすると、自分の心が壊れる。だから、線を引く。でも、それが続くと、気づけば感情が止まってしまう。
感情が動くのはクレームのときだけになってた
最近、唯一感情が動くのはクレームのときだった。腹が立つ、悔しい、情けない。そういうネガティブな感情だけが、やけに鮮明になる。依頼人に叱られた日、思わずトイレにこもって深呼吸を繰り返した。涙は出なかった。出るほどの感情がもう残っていない。怒りや恐怖は、心がまだ動いている証拠かもしれないけど、それだけというのは、やはりおかしい。自分の感情の偏りに気づいたとき、ちょっとだけゾッとした。
事務員との会話も型どおりになっていた
一緒に働く事務員との会話も、最近は必要最低限になってしまっていた。「これお願いします」「はい、分かりました」「お疲れ様でした」まるで定型文のやりとり。無理に会話する必要はないけれど、ふとした瞬間に、これでいいのかと思ってしまう。以前はもっと笑いもあったし、雑談もしていたはずだ。自分が変わってしまったのか、距離をとってしまったのか。
相槌だけのやり取りに罪悪感が残る
事務員がちょっとした話をしてくれても、「そうなんですね」「へえー」と相槌だけで終わらせてしまう。話の内容をちゃんと聞いていない自分がわかっているから、申し訳なくなる。仕事が立て込んでるときならまだしも、そうでない時でも、心ここにあらずの対応をしてしまう。「最近、先生ちょっと疲れてませんか?」と言われて、ドキッとした。自覚がなかったわけじゃない。でも、他人に言われて初めて、そうか、そう見えてるんだなと気づかされた。
「疲れてるんですか?」が一番つらい質問
この一言ほど、自分の状態を突きつけられる言葉はない。「疲れてる?」って聞かれると、「いや、大丈夫です」としか答えられない。でも本当は、大丈夫じゃない。ただ、説明するのも面倒で、その余力すらない。「疲れてる」と認めた瞬間に、崩れてしまいそうだから。だから笑ってごまかす。「寝不足ですねー」とか、「ちょっとバタバタしてまして」とか。笑っている自分が、妙に空っぽに感じる瞬間がある。
感情を悟られないように笑うクセがついた
無意識のうちに、感情を見せないようにするクセがついた。しんどくても笑う。焦ってても平気なふりをする。誰かが不安そうにしてたら、「大丈夫ですよ」と安心させる。でもその裏で、自分の感情は押し込めていく。蓋をして、鍵をかけて、奥の方に閉じ込めてしまう。そうしていくうちに、本当に感情がなくなっていく。笑顔は形だけになり、心はいつの間にか無表情になっていた。そんな自分に気づいたとき、もうどうしていいかわからなくなっていた。