たまに「やめた方がよかったかな」と思う瞬間
司法書士という仕事をしていると、ふと「やめた方がよかったかな」と思う瞬間があります。そんな日は、大抵心がすり減っていて、ふとした言葉や出来事が引き金になります。好きで選んだ道ではあるし、誇りもあるのですが、現実は理屈じゃ片付かないことも多いもの。僕のように地方で一人事務所を構えていればなおさら、逃げ道が少なくて、孤独がじわじわと押し寄せてきます。この記事では、そんなネガティブな思いに支配されそうになる日々と、それでもやっている理由を、自分の体験とともに正直に綴ってみたいと思います。
朝、机に向かう前から感じる倦怠感
朝起きて、スーツに袖を通しながら、なんとも言えない重さを感じる日があります。仕事に行きたくないわけじゃない、でも机に向かう気力が湧いてこない。予定表を見ると、登記の締切、相談対応、役所とのやりとり……どれも重要な仕事ばかり。けれど、どれも「やらなきゃいけない」ことばかりで、自分の意思が置き去りになっている感覚がするのです。
予定表を見ただけでため息が出る日
予定表にびっしりと並んだタスクを見て、ため息が出る日ってありませんか?僕は毎週月曜の朝が一番つらい。週明けは依頼も連絡も集中して、処理が追いつかない。頭の中では「段取りを考えて効率化しよう」と思うけど、心はついてきません。事務員さんがひとりいるとはいえ、結局判断を求められるのは自分ひとり。裁量がある分、責任の重さもある。それがのしかかってきます。
「これ全部ひとりで処理するの?」という絶望
以前、1日で6件の登記案件が重なったことがありました。内容もバラバラで、細かい確認も必要。ふと、事務所の静けさの中で、「これ、全部俺がやらなきゃいけないのか」と絶望感に襲われました。誰も代わってくれない。責任を分担できる人もいない。ただひたすら、自分の知識と根性で乗り越えるしかない。あの時の心の冷たさは、今でも覚えています。
依頼者の言葉に心が折れそうになる時
「このくらい、パッと終わるでしょ?」という軽い一言が、なぜこんなに重たく感じるのか。司法書士の仕事は、書類を作るだけじゃない。裏側では法令の確認、リスクの洗い出し、期限の管理が必要で、それらが表に出ることはほとんどありません。そんな積み重ねを「簡単」と言われると、自分の努力ごと軽く見られた気がして、心がポキッと折れそうになるのです。
「こんな簡単なこと、まだ終わらないんですか?」
数年前、不動産の名義変更で急ぎの依頼がありました。必要書類の不足、依頼者との連絡の行き違い、法務局との確認などで予想以上に時間がかかってしまいました。すると、「まだですか?普通はすぐ終わるんじゃないんですか」と強めに言われました。その一言で、何かが音を立てて崩れたように感じたんです。裏でどれだけやっていても、見えていなければ「仕事してない」と思われてしまう。それがつらかった。
丁寧にやるほど損をする理不尽
仕事の質を落としたくないからこそ、確認や調整に時間をかけます。でもそれが「遅い」「無駄」と受け取られることもある。早さだけが評価される場面で、正確性や安全性への配慮が無視されると、真面目にやることがバカらしくなってくる。何のために丁寧に仕事してるんだろう、と問いかける自分がいます。
法務局とのやり取りに疲弊する
司法書士の仕事には、法務局とのやり取りが欠かせません。登記の受理、不備の確認、添付書類の追加依頼…。でも、ここが思った以上にしんどい。担当者によって対応が違ったり、前回と違う基準が出てきたり。こちらは正確に処理しようとしているのに、向こうの都合で話が二転三転することも少なくない。それに振り回されて疲れ果てることがよくあります。
制度は変わるのに、現場は変わらない
法改正があっても、現場の運用が追いついていないことが多々あります。マニュアル通りにやっても、法務局の窓口で「うちはこうですから」と言われてしまう。何度も足を運び、電話をかけ、こちらが説明してやっと通る。制度が変われば効率化するはずなのに、逆に手間が増えている。そんな矛盾に、心が削られていきます。
時間も心も削られていく感覚
ある日、朝から夕方まで3件の法務局訪問と電話連絡で終わった日がありました。本来なら事務所で書類をまとめる予定だったのに、すべて後回し。帰宅後、どっと疲れが押し寄せて、何もする気が起きませんでした。仕事は進んでいないのに、心だけがすり減っている——そんな感覚に陥るのです。