なんで戻るたびに机の上が雪崩を起こしているのか
外回りから事務所に戻るたび、机の上がまるで書類の墓場のようになっている。少し前までは、片付いた状態で出ていったはずなのに、戻るといつも何かしら増えている。郵便物、電話メモ、付箋、ファックス、そして事務員からの「すみません、これだけ確認してもらっていいですか?」という声。山積みのタスクが、自分の時間と心の余裕を削っていく。これは果たして誰の仕業なのか。それとも、自分自身がそれだけ「溜めて」しまっているのか。そんな自問を繰り返す午後三時。
郵便物の束が語る今日の運命
ポストに溜まった郵便物。それはまるで今日の運命を物語るかのように並んでいる。登記完了証、司法書士会からのお知らせ、得体の知れないダイレクトメール……それぞれを開封するたびにタスクが増えていく。ひとつひとつは小さな仕事かもしれないが、重なれば凶器だ。処理すべき案件の整理をしようとしても、途中でまた電話が鳴る。新しい仕事が来たのかと思えば、既存案件のトラブル報告。「これは今日中に返事ください」なんて書いてある封筒を見ると、思わずため息が漏れる。
電話メモ一枚で崩れる心の均衡
机に置かれた電話メモ一枚。それがときに心をへし折る。午前中に外出していた間に三件の電話。すべて要対応、すぐ折り返し。しかも、ひとつは役所から、もうひとつは急ぎの売買案件、最後の一つは「お話があるので一度伺いたい」とだけ書かれている。不穏な内容に違いない。こうして、午後の予定は崩れ、頭の中のスケジュールもぐちゃぐちゃになる。電話一本で崩れる心の均衡。気づけば、外出前にやろうと思っていた仕事は後回しになり、またToDoリストが太っていく。
事務所が落ち着く場所じゃなくなった理由
本来なら、事務所という場所は「帰る場所」であり「整える場所」であるはずだ。ところが今は違う。そこは戦場であり、次の地雷がどこにあるかわからない地形のようなもの。電話が鳴り、チャイムが鳴り、事務員が「ちょっとだけ」と声をかける。そのたびに、自分の思考は中断される。落ち着くはずの空間が、集中を阻む空間になってしまっている。机に座っているのに、気持ちが座らない。そんな空虚な時間を積み重ねている気がしてならない。
居心地の悪さは自分のせいかそれとも環境か
この居心地の悪さ。誰のせいでもないのかもしれない。自分がこなせるキャパシティを超えているのに、仕事を断れない性格。効率よく回す工夫もできていないし、頼れる相棒も一人だけ。事務員に全部押しつけることもできない。でも、もう少しだけ時間が止まってくれたら。そんな気持ちで昼食もそこそこに、またパソコンに向かう。結局、自分が招いた混沌に、自分で向き合うしかないのがこの仕事の厳しさか。
休憩しようとしたら次の案件が目の前に
昼食後、少しだけ目を閉じようと椅子に背を預ける。ところが、目の端にちらつくのは「至急」と書かれた書類。午前中に届いたFAXだ。処理は明日でもいいだろうと思っていたが、よく見ると「本日中に登記手続き希望」と書いてある。休憩は5分で終了。再び気持ちを切り替えて、登記情報提供サービスを開いて、必要書類を確認する。息をつく暇もなく「あとひとつだけ」が押し寄せてくる。体力よりも、気力が削られていくのがこの仕事だ。
事務員に聞かれるたびに増えるタスク
「先生、これって今週中に処理ですか?」と事務員に聞かれるたび、なぜかタスクが増える。聞いてくれるのはありがたい。でも、それに答えるために資料を確認し、調整し、依頼者に連絡を取る。気づけば自分が「今週中に処理する」ことにしてしまっている。悪循環だとわかっていても、現場はそういうもの。たった一人の事務員にすべてを委ねるのは無理がある。かといって増員できる余裕もない。効率化の限界を感じる瞬間だ。
書類は人を襲うために存在しているのか
朝片付けたはずの書類が、夕方には倍になって戻ってくるような感覚がある。どれも誰かにとって大事な案件であり、後回しにはできないものばかり。なのに、すべてが「なるべく早く」と書かれていて、「急ぎではありませんが」なんて書かれているものほど厄介だったりする。この山に埋もれて、どれから手を付ければいいのか分からなくなる。まるで書類がこちらを試しているかのようだ。
あとでやろうが積み重なった結果がこれ
「あとでやろう」は魔法の言葉。でも、その魔法は必ず解ける。溜めておいたタスクは、ある日突然牙をむく。例えば月末。書類を確認していたら、急ぎで申請しなければならないものがひょっこり顔を出す。「どうしてこんなところに…」と思いながら、数日前の自分を責める。目の前の仕事を「片付ける」というより「埋める」作業に近いとき、思考は鈍くなるし、判断力も落ちる。ただ机に座っているだけなのに、心はどんどん沈んでいく。
処理するより先に疲労がやってくる
書類を手に取るとき、まず思うのは「やらなきゃ」ではなく「しんどい」。この感覚が続くと、効率はどんどん落ちていく。昔はもっとスピーディに動けていたはずなのに、今はひとつひとつの処理に倍の時間がかかる。疲れているのか、老化なのか、それとも気力の問題か。いずれにしても、ToDoリストの前で立ち尽くす時間が長くなっているのは事実だ。やらなければ減らない。それは分かっているのに、手が動かない。そんな午後が増えてきた。
逃げたくなるけど逃げる場所がない
誰かに「ちょっと休んだら?」と言われても、簡単に休める環境ではない。代わりがいない仕事、自分しかできない申請、急ぎの案件。逃げたい気持ちはあるのに、逃げ道がないという現実がここにある。どこかで「頑張りすぎ」と思っても、今を止めたらすべてが滞る。その恐怖が背中を押し続けている。だけど、本音を言えば逃げたい。少しだけでもいいから、すべてを投げ出して一日眠っていたい。そんな願いは、夢のままだ。
コンビニの駐車場で過ごす十六分間の平穏
外出先からの帰り道、つい立ち寄ってしまうコンビニ。買うものは特にない。コーヒーを一杯買って、車の中で飲みながらラジオを聞く。誰も何も言わないこの十数分だけが、自分にとって唯一の休息時間かもしれない。車内に差し込む夕陽と、ぬるくなったコーヒーが、なんとも言えない哀愁を演出する。こんな短い時間でも、気持ちをリセットできるなら、また頑張れる。たぶん。
誰にも相談できない孤独の正体
仕事の悩みを話せる相手がいないというのは、じわじわと効いてくる。友人に話せば「大変だね」で終わるし、同業者には弱音を見せたくない。事務員には申し訳なくて言えない。気づけば、相談というより「独り言」が増えている。パソコンに向かって「うーん」と唸る声。たまに出る「もう無理」とぼやく声。それが今の自分の声だ。誰にも届かない声を吐き出しながら、今日もまた書類に囲まれている。
それでもやらないと回らないからやっている
結局、やるしかないのだ。誰も代わってくれないし、誰も責めることができない。そうやって、自分を言い聞かせながら一日が過ぎていく。事務所に戻るたびに増えるToDoリスト。そこに向き合うたびに、心が折れそうになる。それでも、誰かの人生の一部を預かっているという責任感だけが、最後の支えになっているのかもしれない。
元野球部の根性はまだ少し残っていた
高校時代の夏の練習を思い出す。炎天下、ノック100本。理不尽だと思ったあの時期が、今となっては不思議な支えになっている。あの時乗り越えたんだから、今もやれる。そう思いたい。いや、そう思わなきゃやってられない。司法書士という仕事には、根性も持久力も必要だ。書類という球が、毎日容赦なく飛んでくる。
一人の依頼者のありがとうに救われる瞬間
そんな日々の中で、ふとした瞬間に「先生、本当に助かりました」という言葉をもらうと、少し涙が出そうになる。誰にも評価されない日々のなかで、その一言が全てを肯定してくれる。誰かの役に立っている。それだけが、まだこの仕事を続けていける理由になっている。事務所に戻るたびに山積みのタスクにため息をつく日々でも、あの言葉だけは、心の中で何度も再生されている。