結婚の話が出ると仕事のことを言い訳にする自分
「結婚しないの?」と聞かれるたびに、「仕事が忙しくて」と答えるのが癖になってしまっている。気づけばそんな受け答えを何年も続けているが、それって本当の理由なのだろうか。確かに司法書士という仕事は朝から晩まで対応に追われ、土日だって緊急の連絡が入ることもある。でも、結婚できない理由は本当にそれだけなんだろうか。仕事を言い訳にすることで、自分の弱さや不安から目を逸らしてきた気もする。誰かに深く関わることを避けて、責任を負いたくないという気持ちが根底にあるのかもしれない。
「忙しいから無理」──その言葉に逃げているだけかもしれない
毎朝事務所に行き、机の上の書類に目を通し、登記の準備をし、依頼人と電話をし、夕方になれば相続の相談で気を遣う……そんな生活をもう十数年も続けてきた。「忙しいから恋愛なんて無理だよ」と言えば、周囲は納得してくれる。責められずに済む便利なセリフだ。でも、本当に忙しいから無理なのか?それとも、人と向き合うのが怖いから避けているだけなのか。心のどこかで、「仕事さえしていれば、自分は正当化される」と思い込んでいる自分がいる気がする。
土日も電話が鳴る、だから恋愛は後回し
先週の土曜も、午前中に相続登記の件で依頼者から電話があった。日曜は、後見人の件で急な相談が入り、結局事務所に立ち寄ることになった。確かに休日も気が休まらない。でもそれを理由に「恋愛は無理」と切り捨ててしまうのは、どこか寂しい話だ。ふと、昔付き合っていた女性のことを思い出した。彼女は「もっと会いたい」と言ってくれていたのに、「今は仕事が立て込んでて」と誤魔化してばかりだった。結局、彼女は去っていった。仕事を理由にしていたが、本当はその距離感が怖かったのかもしれない。
でも本当は、誰かと向き合うのが怖いだけじゃないのか
過去の恋愛でうまくいかなかった経験が、今でも心に引っかかっている。誰かに期待されて、応えられなかったらどうしよう。そんな恐れが頭をよぎる。だから、仕事を理由に恋愛を遠ざける。相手と向き合い、互いに支え合う覚悟が持てないまま、日々の業務に没頭するほうが楽なのだ。けれど、その積み重ねが今の「独身でモテない司法書士」の自分をつくっているとしたら……苦笑いしか出てこない。
同業の飲み会での沈黙──なぜか恋愛の話には加われない
先日、地元の司法書士の集まりに顔を出した。お酒が進むと自然と恋愛や家族の話になる。子どもの運動会の話、奥さんとの休日の過ごし方、そんな話題が飛び交う中、自分だけが静かにビールを飲んでいた。聞かれれば、「今は仕事が恋人みたいなもんですよ」なんて笑って返す。でも心の奥では、疎外感がどんどん膨らんでいた。自分だけが取り残されている気がして、急に一人で帰りたくなった。
「今は仕事が大事で」って何年言い続けてきた?
若いころは、「今は仕事が大事だから恋愛は後回し」と本気で思っていた。事務所を軌道に乗せるために必死だったし、責任も重くて余裕なんてなかった。でも、それから何年経った?30代も過ぎ、40代半ばになっても同じことを言い続けている。気がつけば、人生そのものが「今は仕事が大事」という言い訳に飲み込まれてしまったような気がする。もう、恋愛どころか人と深く関わること自体に億劫になってしまった。
本音は、うらやましくて仕方ないだけだった
飲み会で同業者が家族の話をしていると、羨ましいと感じる自分がいる。でも、それを口に出すことはできない。「家庭があるっていいですね」と言えば、「じゃあ、あんたもそろそろ」と返されるのが目に見えているからだ。素直になれないまま、「仕事が忙しくて」とまた口にする。けれど本当は、自分にも誰かがいてくれたらと、ずっと思っている。そうやって、ずっと心にしまいこんできた。
本当に仕事が理由なのか、自分でもよくわからない
本当に結婚できない理由が仕事だけなのか、最近は自分でもよくわからなくなってきた。確かに忙しい。事務所の経営は簡単ではないし、依頼は年々複雑になってきている。でも、少し冷静に考えてみると、空いた時間はあるはずなのだ。疲れて動けないのではなく、「動きたくない」だけだったのかもしれない。そう思うと、仕事のせいにしていたのは、自分の弱さを隠すためだったと気づかされる。
書類の山と締め切りの連続──恋愛の入る余地なんてない?
たしかに、日々の仕事は山積みだ。特に相続関連の案件が集中すると、朝から晩まで気を張っていないといけない。1つのミスで信用を失う世界。プレッシャーは常にあるし、「今週こそ休もう」と思っていても、気づけば何かしらの対応に追われている。でも、それが「恋愛は無理」という理由になるだろうか。どこかで「誰かのために時間を作ること」を諦めてしまっただけなのではないか。
でも、時間の使い方は本当にそれでいいのか
あるとき、事務員の若い女性が「先生、最近いつ休んでます?」と笑いながら聞いてきた。自分では気づかないうちに、休むことを忘れていたらしい。毎日夜遅くまで残って仕事をしているが、それが本当に「必要な努力」なのかは疑わしい。もしかすると、自分の殻に閉じこもる理由を無意識に探していただけかもしれない。時間は作るもの。それを忘れたまま生きてきたのだ。
「信頼される司法書士でいたい」それが言い訳になっていた
「信頼される司法書士になること」が、自分にとっての最優先事項だった。それは間違っていないと思うし、誇りもある。でも、その想いが強すぎて、恋愛や私生活に目を向ける余裕を奪っていた気がする。頼られることで、存在価値を感じていた。それゆえに、誰かと対等に向き合う関係を避けていたのかもしれない。
誰かに頼られるのは嬉しい、でもその代償は
依頼者に「先生にお願いしてよかった」と言われると、本当に嬉しい。心からこの仕事をやっていてよかったと思う瞬間だ。でも、ふと振り返ったとき、誰に感謝されても、帰る家が静まり返っていると虚しさが押し寄せてくる。「仕事のやりがい」と「人生の充実感」は別物だった。誰かと日常を共有すること、それがどれだけ大切だったのか、今になって思い知らされる。
事務所の静けさに、ふとよぎる孤独
夕方、事務所で一人書類をまとめながら、ふと外が暗くなっていることに気づく。蛍光灯の下で黙々と働くこの空間に、笑い声が響くことはない。誰かのために頑張っているはずなのに、なぜこんなにも孤独を感じるのか。結婚という選択肢を仕事のせいにしてきた結果が、今の自分なのだと、改めて実感する。
気づけば、話しかけるのは顧客か事務員だけ
朝の挨拶、昼の進捗確認、そして帰るときの「お疲れさまでした」。それ以外で誰かと会話することがほとんどない日もある。顧客とのやり取りも大切だ。でも、それはどこか「仕事の顔」での会話だ。プライベートの会話がなくなって久しい。感情を出すことが少なくなり、自分自身も「仕事用の自分」に固まりすぎてしまっている。
会話に感情がなくなってきている自分に気づく
気がつくと、相づちや挨拶も機械的になっていた。感情を込めることを忘れてしまっているようだ。心を開けないまま、言葉だけを投げかける日々。それが日常になってしまった。そんな自分にふとした瞬間に気づくと、情けなくて、どこか悲しくなる。人間らしさって、きっと会話の温度や表情の柔らかさなんだろうと思う。
「いい人いないんですか?」の言葉がつらい
親戚や知人にたまに会うと、決まって言われる。「いい人いないの?」「そろそろ結婚しなきゃ」──そのたびに、苦笑いでやり過ごす。どんなに言い訳をしても、自分の心の穴は埋まらない。正直、言われるたびに傷が広がるような気がする。でも、それを素直に伝えられる相手がいない。それが、何よりもしんどい。
どう返せばいいのか、もうわからない
「仕事があるから」「タイミングがなくて」そんな言葉を繰り返すうちに、何が本音なのかすら見失ってきた。誰かと暮らしたいという想いも、年齢とともに薄れてきたような気がする。でも、それは本当に「望んでいない」からなのか、それとも「諦めている」からなのか……自分でもわからない。ただ、もう少しだけ、素直になれたらいいのにと思う。