飲みに行く余裕がなくなったのはいつからか

飲みに行く余裕がなくなったのはいつからか

一緒に飲みに行こうと言われなくなった日

いつの頃からか、「今度飲みに行きましょうよ」と言われることがなくなった。誘いがなくなったのは、たぶんこちらが何度か断り続けた結果なんだろう。仕事が忙しいというのは事実だし、断るときに嘘をついたつもりはない。でも、それが続けば相手だって察する。いつの間にか、自分の周りから「飲みに行こう」という言葉が消えていた。

忙しさにかまけて誘いを断り続けた結果

たとえば数年前、地元の同級生から久しぶりに誘われたことがあった。昔話でもしながら軽く一杯、そんな気楽な飲みだった。でもその日は登記の準備で手一杯。「ごめん、また今度」と返した。もちろん相手も大人だから理解してくれたけど、その“今度”は二度と来なかった。仕事を理由に人との縁を断ってきたツケが、いま静かに響いてくる。

相手に気を遣わせていたのは自分だった

「忙しそうだから誘わない方がいいよね」と思わせたのは、きっと自分の態度だったんだろう。悪気はないけど、気持ちがすれ違っていく瞬間って、こんなふうに静かに起こる。断るときに「また誘って」と言っていたけれど、それは形だけの言葉だったかもしれない。今思えば、自分の方が気を遣ってもらっていたんだ。

今度行こうねが口癖になっていた

「また今度行こうね」。そのセリフ、どれだけ使っただろう。誰にでも使える便利な言葉だけど、言った本人が本気じゃないと、相手にとってはただの社交辞令になる。気づけば“今度”が何年も前の話になっていて、自分でも忘れている。約束を守らない人間に信頼は集まらない。そんな自分に、ふと嫌気がさす夜がある。

夜の予定が怖くなる日々

予定がない夜は、少し怖い。もしかしたら何か急ぎの連絡が入るかもしれないという思いが、頭の片隅を離れない。だからこそ、誰かと飲みに行っているときでも、どこか落ち着かない気持ちがついてまわる。本当はリラックスしたいのに、気を張ったまま夜が終わる。結局、そんな日が増えていった。

急な連絡があるかもしれないという恐怖

登記の内容確認、急ぎの変更依頼、そして明日朝イチで必要な書類の不備。そんな連絡が、なぜか夜9時とかに飛んでくることがある。飲んで酔っていたら対応できない。だから、飲まない。じゃあ誰とも会わない。そうして孤独に仕事を抱える夜が増えていった。仕事に責任を持つのは当然だけど、心まで縛られているような気がした。

電話一本で崩れる夜の静けさ

静かな夜ほど、一本の電話で全部ひっくり返ることがある。寝る前の風呂あがり、ちょっと気を抜いた瞬間にスマホが鳴ると、心臓がバクッと跳ねる。「何かミスでもあったか?」と構えてしまう。そんな経験を何度も繰り返すうちに、安心して誰かと過ごすことが難しくなった。自分の中の「平穏」は、電話一本に壊される。

飲みに行ってたんですかが怖い理由

「昨日飲みに行ってたんですか?」と聞かれたことがある。何気ない一言のはずが、妙に刺さった。自分では悪くないと思っていても、仕事人としてのイメージが崩れるのが怖い。「あの人、飲み歩いてる」と思われたくない。そうやって、自分の中の“理想の司法書士像”に縛られて、どんどん身動きが取れなくなっていった。

気づけば独りでの晩酌ばかり

昔は誰かと飲みに行くことが楽しみだった。でも今では、もっぱら家でひとり缶ビール。テレビをつけて、適当につまみをつくって、それなりに楽しくやってるつもりだけど、ふとした瞬間に虚しさが込み上げてくる。やっぱり、人との会話がある酒が一番うまい。

ひとりの時間が習慣になっていく感覚

ひとりの時間に慣れていくのは、ある意味で恐ろしい。気楽で気を遣わなくて済む分、どんどん外との距離が開いていく。会話も減って、表情筋も衰えてくる。久々に誰かと会ったとき、話すテンポやリアクションがぎこちない自分に気づいて、笑うに笑えなかった。

誰かと話す時間が億劫に感じるようになった

人と会って話すって、実は結構エネルギーがいる。相手の話を聞き、気を遣い、うまくリアクションを返す。仕事では自然とできるのに、プライベートとなるとその余力がなくなっていた。「休みの日に誰かと会うなんて疲れるだけだよ」と自分に言い聞かせてきたけど、それは言い訳だったのかもしれない。

それでも人肌が恋しくなる夜もある

どれだけ強がっても、人とつながりたい気持ちは消えない。夜にひとりでテレビを見ながら、「ああ、誰かとくだらない話をしながら飲めたらな」と思うことがある。別に恋愛とかじゃなくていい。ただ、誰かと一緒にいる時間が、こんなにも心を温めてくれるものだったんだと、あらためて感じる。

飲みに行けないのではなく行かなくなった

気づいたんだ。飲みに行けないんじゃない。自分が行かなくなっただけなんだと。時間はないけれど、作ろうと思えば作れた。余裕はないけれど、心を開けば少しは緩む。それをせずに、「仕事だから」と理由をつけて、人との接点を自分で断ってきた。

優先順位の最後にまわしてきたもの

“誰かと会う”とか“ゆっくりご飯を食べる”なんてことは、いつも後回しだった。今日も締切、明日も急ぎの依頼、気がつけば週末も埋まっていた。自分にとって大事な人や時間を、どこかで軽んじていた。だから、飲みに行く余裕なんてできるはずもなかったんだ。

少しの余裕を作る勇気が足りない

本当に必要だったのは、時間ではなくて勇気だったと思う。30分だけでも顔を出してみようか、とか、断られてもまた誘おうか、とか。そういう一歩が踏み出せなかった。勇気のなさが、自分をひとりにしていった。情けないけど、それが現実だ。

仕事以外の時間に罪悪感を持たないために

プライベートの時間を持つことに、どこかで罪悪感を感じていた。「こんなに忙しいのに飲んでていいのか?」そんな考えが頭をよぎる。でも、誰に責められるわけでもない。ただ、自分が自分を縛っていただけだった。これからは少し、その鎖をゆるめてみようと思う。

もう一度誰かを誘える自分でいたい

昔のように、誰かを気軽に飲みに誘える自分になりたい。気を遣いすぎず、断られても気にしないで、もう一度声をかけてみる。そういう小さな勇気が、少しずつ人との距離を縮めてくれる気がする。独りに慣れすぎてしまった今だからこそ、なおさらそう思う。

人付き合いの再出発は小さな一歩から

いきなり毎週飲み会、なんてのは無理だ。でも月に一回、誰かと顔を合わせるだけでも違う。LINEで一言「最近どう?」と送ってみる。そんなささいな行動が、再出発のきっかけになる。変わろうと思えば、変われるんだ。

まずは今度ではなく日程を決める

「今度飲もう」じゃなくて、「○日空いてる?」と言ってみよう。日程を決めれば、それはもう本気の誘いだ。相手もきっと嬉しい。曖昧な言葉をやめて、ちゃんと気持ちを伝える。大人だからこそ、そういう誠実さが大事なんだと思う。

誘う勇気もまたスキルのひとつかもしれない

誘われるのを待つだけじゃなく、自分から誘う。それも一つの“スキル”だと思う。司法書士としてのスキルも大事だけど、人と人の距離をつなぐ力も、もっと大切にしていきたい。独りで抱え込まず、誰かと笑い合える夜を、また取り戻していけたらいい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。