登記の合間に吐き出す日常の小さなため息

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一息つく暇もない登記三昧の毎日

司法書士の仕事って、登記書類を作って出すだけでしょ?って、よく言われます。だけど、実際のところは、そんな単純な話じゃない。朝イチから電話とメールの応酬、来所する依頼人の対応、法務局とのやりとり。すべてが「今すぐ」の連続で、まともに昼ごはんが食べられる日は珍しい。誰にも邪魔されずにトイレにこもれる時間が、むしろご褒美です。

朝イチから電話地獄の始まり

開業して十数年、毎朝9時ちょうどにかかってくる電話が怖い。相続登記の相談かと思えば、他士業に回すべき内容だったり、無理難題の依頼だったり。「とりあえず聞いてみました」系の電話が連続すると、もう出たくなくなってきます。事務員が出てくれればいいけれど、その事務員も書類作成で手一杯。結局、自分で対応して、「今日も予定が狂ったな」とぼやくのが日課です。

依頼人とのズレに毎回頭を抱える

登記に必要な書類を揃えてくださいと伝えても、「あれ?それ必要なんですか?」と返ってくるのが当たり前。何度説明しても、都合の悪いところだけ記憶から消えていく。こちらがメモを渡しても、それを「読みませんでした」と笑って返されると、怒る気力すら湧かなくなる。相手の立場を理解しようとは思うけど、こっちも人間。イライラがたまらない日はありません。

何回言っても伝わらない説明の虚しさ

相続関係説明図、住民票、戸籍、印鑑証明書——全部ちゃんと説明しているのに、「どれがどれか分かりません」とか「とりあえず持ってきました」って、ほんとにとりあえずすぎて笑えない。説明って、相手の温度で通じたり通じなかったりするから難しいんですよね。最近はイラスト付きの案内も作ったけど、読まれないことに変わりはなく、徒労感ばかりが残るんです。

午後は書類とにらめっこで目がしょぼしょぼ

午前中でバタバタしたあと、午後は座って書類作成に集中しようと思う。けれど、目がかすんで、眠気も襲ってきて、効率はガタ落ち。老眼なのか疲れ目なのか、最近は文字の大きさも読みにくくなってきた。自分で作った書類を自分で確認してると、「これ、ほんとに間違ってないよな…?」と不安になってしまう。そういう日は、ミスがないか3回チェックして、それでも不安になる。

変わらない登記制度と増える手間

最近、制度が変わったようで変わらない。電子化の話が出て久しいけど、実務ではまだまだ紙。結局、電子申請しても添付書類は郵送だったりして、「どっちやねん」と突っ込みたくなる。仕事の手間が減るどころか、むしろ二重作業が増えてるような…。このまま行けば、いずれAIに仕事を奪われるのでは?という漠然とした不安もあるけれど、その前にこっちが燃え尽きそうです。

法務局の微妙な対応に毎回ストレス

法務局の担当者によって対応が違う。これは業界あるある。ある局ではOKだったものが、別の局ではNG。「それなら最初から統一してくれ」と言いたいのに、言えない。最近も、添付書類の指摘を受けて再提出。内容は変わらないのに、窓口の人が違うだけで話も違う。こういう小さな理不尽に、毎回ストレスを感じて、それでも黙って対応する自分が偉いのか哀しいのか、よく分かりません。

事務員さんとの無言の連携プレー

唯一の救いは、うちの事務員さんの存在です。多くを語らずとも、なんとなく意図を汲んで動いてくれるし、淡々と仕事をこなしてくれる。時々雑談で笑い合う瞬間が、意外と心の支えになっているのかもしれません。とはいえ、お互いに忙しくなると、会話はほぼゼロ。コーヒーの減り具合でしか存在を感じない日もあります。

言わずとも伝わるありがたさ

長年一緒にやっていると、不思議と「これ、言わなくても分かってくれるだろう」という感覚が出てくる。実際に、書類のファイリングや郵送準備、電話対応など、こちらが何も言わずともやってくれるから本当に助かっている。そんな時、「この人がいなかったら詰んでたな」と何度も思う。でも、逆に「分かってくれて当然」と思ってしまう瞬間もあって、ふと我に返って反省したりもします。

でもミスはあるし気まずくなることも

どれだけ阿吽の呼吸で動いていても、人間ですからミスは出る。お互い疲れてるときほど、確認が甘くなって、取り返しのつかない間違いが発覚することもある。そんなとき、責めたくはないけど、責任はこっちにあるわけで…。無言で修正する空気が何とも気まずくて、二人とも目を合わせずパソコンに向かっている姿は、ちょっとしたコントのようでもあります。

人を雇うという重圧

自分ひとりなら、赤字が出ようとなんとでもなる。でも、人を雇っている以上、「給料は絶対に払う」という責任がある。月末になると、通帳の残高とにらめっこしながら、「あと何件入金があればセーフか…」と計算。正直、給料日にホッとするたびに、自分が小さく感じる。経営者って、結局は心配事のかたまりなんだと思う今日この頃。

給料日が近づくと胃がキリキリ

給料を払うことが当たり前であっても、資金繰りの現実は生々しい。大きな報酬が入る予定だった案件が突然延期になれば、一気にピンチ。そんなとき、事務員さんが「今日お弁当持ってきたんで、外行きませんよ」とさりげなく気を使ってくれる。ありがたいやら申し訳ないやらで、胃がキリキリする。たぶん、彼女は気づいている。こっちがピリピリしてるときの空気の張り方を。

合間にふとよぎる独身という現実

忙しさにかまけてきたつもりが、気がつけば独身歴も相当なもの。昔は「そのうち結婚するだろ」と思っていたけれど、今や「そもそも出会いがない」「出かける時間がない」「話す相手がいない」の三重苦。書類とパソコンが相手の毎日に、誰かがふと入ってくることなんて、あるのだろうか。

土曜の夜が一番つらい

平日は忙しすぎて、余計なことを考える暇もない。でも、土曜の夜になるとふっと空白が訪れる。「誰かとごはん行けばいいのに」と自分に言ってみても、電話する相手が思い浮かばない。昔の同級生はみんな家庭持ちで、子どもの話に花が咲く。ひとりだけ話題に入れず、沈黙の時間が苦しくなる。だから、仕事をしてたほうがまだマシなんです。

昔の友達は家族の話ばかり

久しぶりに集まった高校時代の野球部仲間も、今やパパたち。話題は子どもの習い事、妻の愚痴、家のローン。独身の自分にふられる話題は、「仕事どう?」の一言だけで終了。そこから話題が続かない。正直、聞いていても楽しくない。でも、口には出せないし、出したらきっと気まずくなる。だから、笑ってうなずくだけ。帰りの車の中で、ひとり言のように「何しに行ったんだろ」とつぶやく。

それでも仕事を辞めない理由

ここまで愚痴ばかり並べてきたけど、実は辞めようとは思っていない。しんどいことは多いけれど、それでもやっていてよかったと思える瞬間があるから。依頼人の「助かりました」「安心しました」という言葉が、地味に胸に染みる。人に必要とされている実感が、なんだかんだ一番の原動力なのかもしれません。

依頼人の「ありがとう」がしみる瞬間

ときどき、本当に困っている人がやってくる。誰にも頼れずに、戸惑いながら事務所に来る年配の方。そんな方に、丁寧に話を聞いて、登記が無事に終わったときに言われる「ありがとうね、先生」という一言。その瞬間だけは、「ああ、この仕事をしていてよかった」と思う。ほんとにその一言のために、やっているようなもんです。

誰かの役に立っているという実感

人から感謝される機会って、案外少ない。だけど、司法書士の仕事は、最後の最後で「助かった」と言ってもらえることがある。それがすべての苦労を帳消しにしてくれるわけじゃないけれど、バランスはとれてる気がする。疲れてはいるけど、まだ辞めてない自分を、ほんの少しだけ褒めてやりたくなる。それで、また月曜日が来ても、なんとか机に向かえるんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。