気にしないでくださいと言われたのに余計に気にしてしまう性格です

気にしないでくださいと言われたのに余計に気にしてしまう性格です

言葉ひとつで心がザワつく日がある

「気にしないでください」——この言葉がこんなにも胸に刺さる日が来るなんて思ってもいませんでした。ある依頼人に些細な説明ミスをしてしまった時、深く頭を下げて謝った私に返ってきたのがその一言でした。「大丈夫ですよ、気にしないでください」……本当に優しい言葉。でも、なぜかその瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われました。自分のミスを受け止めてもらえた安堵と、そんな人に余計な気を遣わせてしまった申し訳なさ。司法書士という立場である以上、「気にさせてはいけない」と心に刻んでいたつもりでした。

その一言で気が楽になるときもあれば重くなるときも

人から「気にしないで」と言われて、本当に気が楽になるときもあります。でも、それは自分が納得できるだけのことをやり切った時だけ。今回のように自分の中で「これはミスだった」と認識している時には、その言葉がかえって重荷になる。まるで、「あなたの失敗はもうどうでもいい」と言われたかのような錯覚にさえなるのです。そんなつもりで言っているわけではないとわかっている。でも、こちらが勝手に罪悪感を抱いてしまう。そんな自分の性格に、また自己嫌悪のループが始まります。

依頼人の優しさに救われる反面気まずさが残る

その依頼人の優しさには、心から感謝しています。怒られても仕方ないような状況だったのに、微笑みながら「気にしないでください」と言ってくれた。その時は救われたような気持ちになりました。でも、時間が経つにつれて、ふとした瞬間に思い出してしまうんです。「あの人、本当は少しイラッとしていたんじゃないか」「無理して笑ってくれてたんじゃないか」と。まるで幽霊のように、残された気まずさが夜中に忍び寄ってくるようで、寝付きも悪くなる。性分なんでしょうね、きっと。

気にしないでくださいの裏にあるかもしれない本音

「気にしないでください」って、使う側にとっても万能な言葉ですよね。相手を気遣っているようで、場合によっては会話を終わらせるための言葉にもなる。私も使ったことがあります。「いや、大丈夫です。気にしないでください」と。でも、それって本音じゃなかったなと振り返ることがあるんです。相手に深入りさせたくないとき、責任を問いただしたくないとき、あるいは自分の感情を出すのが面倒なとき。そう考えると、あの依頼人の言葉の裏にも何かしらの葛藤があったかもしれない……そんな想像までしてしまって、また自分を責めるのです。

気にしすぎる性格が司法書士の仕事にどう響くか

私は昔から気にしすぎる性格で、人の目を必要以上に気にしてしまいます。それが司法書士という仕事にどう影響しているかといえば、正直プラスもあればマイナスもある。注意深く、細かなところまで気が回る点では、この性格は向いているのかもしれません。でも一方で、一度のミスで自己否定が始まり、業務に集中できなくなることもある。些細なことに引っかかって前に進めなくなるのです。

書類のミス一つで眠れなくなる夜

先日も、登記申請書の一部に添付漏れがあり、法務局から電話が来ました。すぐに対応して事なきを得たのですが、その晩は眠れませんでした。何度も確認したはずなのに……と自分を責め続け、布団の中で「あの書類の角度が少し歪んでいたかもしれない」とか、もはや関係ないことまで思い出してしまう。そんな風に、脳が勝手に反省モードになってしまうんです。

謝っても謝っても気が晴れない

謝罪の言葉って、自分の気持ちを軽くするためのものでもあると思うんですが、私の場合はそう簡単にはいきません。相手が「気にしないで」と言ってくれたとしても、自分が納得できないと気が晴れない。「ごめんなさい」「本当にすみませんでした」と何度も繰り返してしまう。そうやって相手に気を遣わせてしまう悪循環。わかってはいるけれど、止められないんです。

事務員さんのフォローに逆に申し訳なくなる

うちには事務員さんが一人います。勤勉で真面目な方で、私のミスもさりげなくフォローしてくれることが多いです。例えば、私が送り忘れた郵便物を気づいて出してくれていたり、依頼人との会話での言い間違いをそっと補足してくれていたり。でも、そういうフォローがあるたびに「申し訳ないな」と思ってしまうんです。優しさが胸に刺さるというのは、こういうことなんでしょうね。

気を遣わせてしまったと感じる瞬間

ある日、事務員さんが「この書類、こっちの名前に直しておきました」とメモを残してくれていたことがありました。ミスを指摘せず、そっと修正だけしてくれていたんです。その優しさに、私はその日ずっと落ち込んでいました。「言ってくれていいのに」「気を遣わせてしまった」と思い、自分の存在そのものが迷惑なんじゃないかとさえ感じました。たぶん、こういう時にもっと素直に感謝だけを伝えられればいいんでしょうけど。

ミスをカバーしてくれるその姿が辛い

何かをカバーしてもらったとき、助かったという気持ちと同時に、自分の不甲斐なさに押しつぶされそうになるときがあります。「また迷惑をかけたな」と思ってしまう。事務員さんはそれを全然気にしていないように見えるけれど、内心はどうなのか。本当はストレスになってるのかもしれない。そう思い始めると、どんどん自分が小さくなっていく気がして、事務所にいるのが辛くなる瞬間もあります。

感謝と後悔が一緒に押し寄せる

「ありがとう」と「ごめんなさい」が一緒に口から出てくることが多くなりました。本当は、感謝だけ伝えられたら一番いいのに。でも、後悔が強すぎて、どうしても謝りたくなる。そんな日々が続くと、自己肯定感はどんどん削られていきます。「俺って必要なんだろうか」「誰か他の人の方が、この事務所うまくやれるんじゃないか」……そんなことまで考えてしまう自分が嫌になります。

司法書士という職業に求められる心の持ち方

司法書士として働いていると、常に緊張感の中に身を置いているようなものです。一つ一つの判断や書類に責任が伴い、依頼人の人生に関わることもある。そのプレッシャーの中で「気にしすぎない」という姿勢は、ある意味必要なスキルかもしれません。でも、私のように気にしすぎるタイプにはそれが難しい。ミスを恐れるあまり慎重になるのはいいとしても、その後の精神的ダメージが大きすぎるのです。

気にしすぎず気にかけるというバランス

最近ようやく思うようになったのは、「気にしすぎる」のと「気にかける」は違うということです。前者は自分を傷つける方向に向かうけれど、後者は相手を大切にしようという気持ちから出てくるもの。だったら、せめて「気にかける」に自分の気持ちを寄せていきたい。ミスをしないように準備する、相手の気持ちを推し量る、それくらいで留められたら、もう少し楽になれるのかもしれません。

責任感と自己否定の境目があいまいになる

責任感があるからこそ、ミスを引きずる。これは正しいと思います。でも、それが行きすぎて「自分はダメな人間だ」と自己否定にまで至ると、もはやそれは責任感ではなく、自己破壊です。その境界線があいまいなまま仕事を続けてきたからこそ、いろんな場面で「気にしないでください」と言われるたびに、どっと疲れるのだと思います。

それでも毎日進める理由はある

それでも、私は今日も事務所に来て、仕事をしています。依頼人のために、事務員さんのために、そして何より、自分のために。完璧じゃない自分でも、誰かの役に立てると信じているから。たぶん、この不器用な性格も含めて、自分の人生なんでしょう。「気にしないで」と言われて気にしてしまう私でも、それなりに社会の片隅で、役目を果たしているつもりです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。