登記が終わるたびに訪れる静寂
登記が無事に完了した瞬間、ホッとする。それは間違いない。けれど、なぜかその後にやってくるのは、心にひんやりと染みる静けさだ。通知が届いて、達成感のようなものは確かにあるのに、それよりも「これでまた一件、終わったな」という淡白な気持ちが勝ってしまう。そして、ふと気づくと、自分がぽつんと事務所にいることに気づく。この感覚、昔はなかったと思う。年齢のせいだろうか。それとも、独りきりで頑張ることが当たり前になりすぎたのか。
完了通知のメールはいつも淡白
司法書士として仕事をしていると、「オンライン申請完了のお知らせ」というタイトルのメールが日常的に届く。それはつまり、自分の仕事がきちんと処理されたという証拠でもあるし、報酬が発生する目印でもある。けれど、そのメールを見ても、心が踊ることはほとんどない。学生時代、野球部の試合に勝ったときのようなあの高揚感とは、まるで別物だ。勝利を分かち合う相手もいないし、ガッツポーズする相手もいない。ただ、モニターの前で「はい、次」とつぶやくだけなのだ。
達成感はあるのに気持ちは晴れない
登記が無事に完了することは大事だし、それが自分の仕事の証明でもある。でも、不思議と気持ちは晴れない。あれほど集中してミスがないように確認し、期日を守るために神経を尖らせていたのに、終わった途端、虚無感のようなものが押し寄せてくる。まるで、夏休みの最終日に宿題を全部終わらせたのに、遊ぶ相手がいない、あの感じに近い。誰かに褒められるわけでもなく、自分だけが知っている「やりきった」感。その孤独が、だんだんと胸に染みてくるのだ。
事務所の空気が一段と重くなる瞬間
登記完了のメールを閉じて、ふと見渡す事務所。事務員もすでに帰っていて、机の上には誰の気配もない。外はもう暗く、蛍光灯の光だけがぼんやりと室内を照らしている。この瞬間、急に空気が重くなる。まるで誰かに「で、あなたはこれからどうするの?」と問いかけられているような気持ちになる。やることは山ほどあるのに、心のどこかがぽっかりと空いてしまっている。そんな自分が、少し寂しく、そして少し情けなくも感じる。
忙しさの先にある空虚
一日中、登記の準備や書類作成に追われているときは、時間がいくらあっても足りないと感じる。けれど、すべてが終わった夕方。急に静かになった事務所に座っていると、「なんでこんなに頑張ってるんだろう?」と頭によぎることがある。仕事が好きで、誇りを持ってやってきたはずなのに、空虚さに支配される瞬間がある。これは贅沢な悩みなのか、それとも長年やってきたことへの疲労なのか、答えは出ない。
山のような書類との格闘のあとに
午前中からひたすら書類と格闘し、法務局とやり取りし、クライアントに電話して、夕方にはやっと目処がつく。気づけば、昼ご飯すらまともに食べていない。それだけ頑張ったのに、仕事が片付いた瞬間にやってくるのは達成感ではなく、「また明日もこの繰り返しか」という思いだ。昔、野球部でノックを受けた後の達成感は心地よかった。でも、今は誰も「ナイスプレー」とは言ってくれない。自分で自分を褒めるのも、正直もう飽きてきた。
誰もいない事務所に一人で戻る
登記の提出を終えて事務所に戻ると、そこには誰もいない。事務員はもう帰宅し、電気も消えている。手探りで電気をつけ、椅子に座ると「今日も一日、終わったな」と思う。けれど、それと同時に「誰とも話してないな」と気づく。電話やメールはしたが、人と顔を合わせて笑い合った記憶がない。そんな日は、仕事を終えたというより、ただ一日が過ぎたという感じが強い。これでいいのか?と思いながら、帰る準備をする。
椅子のきしみだけがやけに耳につく
静まり返った事務所で、椅子に腰かけて深く息をつくと、「ギィ」と椅子がきしむ音が耳に残る。その音がやけに大きく感じられるのは、たぶん、自分以外に誰もいないからだ。誰かと会話をしていれば気にならなかっただろう。でも、今のこの時間、事務所はまるで無人の校舎のように静かだ。そんな中で、登記完了の通知がいくつあっても、満たされない何かが心の奥にある。それが何かは分からない。ただ、少しだけ切なくなる。
野球部時代の仲間が恋しくなる夜
仕事が終わった後の夜、ひとり部屋で缶ビールを開けるとき、ふと高校時代の仲間の顔が思い浮かぶ。あの頃は、勝っても負けても、誰かと声を掛け合っていた。「おつかれ!」「ナイス!」そんな言葉だけで心が温かくなったものだ。今はどうだろう。たくさん仕事をこなしても、自分で「よくやった」と思うだけ。人と気持ちを共有する時間が、どれだけ自分にとって大事だったかを思い知る夜が、最近増えてきた。
「あの頃」は人の声に囲まれていた
ベンチに戻ると誰かがタオルを投げてくれて、ミスすれば皆で反省会をして、打てば大喜びされる。それが当たり前だった。人の声が絶えなかったあのグラウンド。いまの事務所に比べたら、どれほど騒がしくて、どれほど心地よかったか。人と一緒にいることで、自分が支えられていたんだと、今さらながら気づかされる。声を掛けてくれる誰かがいない日常は、思っていた以上に、心に堪えるものだ。
今やキャッチボールの相手もいない
久しぶりにグローブを取り出してみても、キャッチボールの相手がいない。遊び半分で壁当てをしても、空しくなるだけだった。結局、昔のようにはもう戻れないのだ。誰かと何かを共有することのありがたさ。仕事も人生も、一人で黙々とやるには限界がある。事務所の静けさが、そんな現実をひっそりと突きつけてくる。キャッチボールがしたいんじゃない。誰かに「今日も頑張ったな」と言ってほしいだけなのかもしれない。