ひとりの机に積まれたもの
朝、事務所のドアを開けると、そこには昨日の続きが山積みになっている。書類、押印待ち、未処理のメール。そのどれもが僕の手を待っている。でもそれだけじゃない。目に見えない何かも、ずっしりとそこにある。誰にも気づかれない“気持ち”の重さ。司法書士という職業は、書類と人間の間にある“気配”を扱う仕事でもある。でもその気配の中で、自分の感情だけは取り残されている気がする。日々のルーティンの中で、僕の心だけが置き去りになる瞬間がある。
書類の山の下にある感情
登記の依頼を受け、書類を整えて、期限を守って処理する。それだけで成り立つ仕事なら、もっと気楽だったと思う。でも現実は違う。相続の話には家庭の事情が詰まっていて、企業登記の背景には人間関係が絡んでくる。そういう空気を読み取るのも仕事の一部だ。だが、読み取った感情は誰にも話せないし、どこにも出せない。せめて黙ってコーヒーでも飲める相手がいればいいのだけれど、うちの事務所には僕と事務員さんの二人だけ。彼女に話すのもなんだか違う。そうやって、机の下に置かれた感情はずっと片付かないままになっていく。
作業は片付いても、心は片付かない
作業としてのタスクは、終わればスッキリする。郵送が済んだ、書類が届いた、法務局に受理された。チェックリストに✔︎を入れて、目の前の山は小さくなる。でも、心の中の山は減らない。むしろ、終わらせた案件の数だけ、新しいモヤモヤが増えていく気すらする。達成感はある。でも、心が軽くなることはあまりない。野球部の頃の試合みたいに、「よし勝った!」と叫べる仕事じゃないのだ。黙々と終わらせて、次に進むだけ。そんな毎日が続く。
終わらないタスクより、終わらない孤独
タスクが終わらないのはまだマシだ。何かしているうちは、気が紛れる。でも、ふと手が止まった瞬間にやってくる静寂が、なにより厄介だ。音がない。声もない。スマホの通知も鳴らない。そんな時間に、思わず「誰かいないかな」と検索してしまう。業務上の孤独よりも、人としての孤独が身にしみる。これは、誰かに「お願い」して代わってもらえることじゃない。そんな外注先は、どこにもない。
業務委託という魔法は一部だけ
この数年で、業務の一部は便利になった。記帳代行も外注できるし、電話の一次対応を請け負ってくれるサービスもある。事務員さんの手も借りられるようになった。でも、結局一番重たい判断と責任は、僕の机に戻ってくる。「これ、どうします?」と聞かれるたび、業務委託の限界を思い知らされる。便利なはずの外注も、心の余裕までは運んできてくれない。
事務仕事を分けても、思考までは渡せない
あるとき、事務員さんに「ここまでやっておきました」と言われた書類を見て、ありがたいと感じつつも、どこか虚しさがあった。「あとは確認して押印するだけです」…それがいちばんしんどい工程なんだよ。そう言いたくなる。ミスがないか、不備がないか、言い回しは適切か。確認という作業に込められる緊張感は、誰にも伝わらない。作業量ではない。責任の重さだ。
「決裁者」の役割は誰にも渡せない
うちみたいな小さな事務所では、すべての決断を僕がする。請求額の判断、受任の可否、調停に進むかどうか。自分の名前で出す書類には、自分の責任がずっしり乗る。これは、誰かに「お願いします」とは言えない役割だ。たまに「代表って大変ですね」と言われることがあるけれど、たぶんその言葉の何倍も、実際はしんどい。
判断の重さと心の疲れ
判断の重さに疲れて、夜になると一気にどっと来る。判断ミスで誰かの人生を狂わせてしまったらどうしよう。そんな不安が頭から離れない日もある。実際には大したことのない内容でも、心はどんどん疲弊していく。もう慣れたと思っても、気が抜けない。これは誰にも代われない、目に見えない負荷だ。