今さら誰かと暮らす自信がないまま司法書士を続けている
一人暮らし歴が長くなりすぎた司法書士の本音
司法書士として独立して十数年、気づけば一人暮らしも同じくらいの年月を数えるようになった。最初は「いつかいい人がいれば」と思っていたが、その“いつか”がどんどん遠ざかっていった。誰にも邪魔されず、好きな時間にご飯を食べて、風呂に入り、眠る生活。これが心地よくて、もう他人と暮らすリズムに戻れる気がしない。事務所に事務員さんが一人いてくれるだけでもう人付き合いはお腹いっぱい、そんな気分になってしまう。
気づけば15年ずっと同じ部屋でひとり
最初はワンルームマンション、今は少し広めの1LDKに住んでいるが、誰かを家に上げた記憶はほとんどない。仕事が終わって帰ってくると、玄関の明かりが消えていて、静まりかえった部屋が迎えてくれる。それが寂しいと思ったのは最初の数年だけで、今では「ほっとする空間」になってしまった。よく言えば自立、悪く言えば孤立。でも、このリズムを変えるくらいなら、一人のままでいいやと思ってしまう。
帰っても誰もいない安心感と虚しさ
夜遅くなっても誰かに連絡する必要はないし、どんなに疲れていても「ごめん、今夜は外食してきて」と説明する相手もいない。楽といえば楽だ。ただ、たまにふと、あったかい味噌汁の香りに包まれた食卓の幻を思い出すことがある。学生時代、実家に帰ると母が用意してくれた夜ご飯。あのときは面倒くさく感じてたのに、今ではちょっとだけ恋しい。矛盾してるけど、それが今の自分の正直な気持ちだ。
気楽だけどちょっとだけ不安になる瞬間
体調を崩したときや、熱が出た夜に「誰かに看病してもらえたらな」なんて思うこともある。まあ、大抵はポカリ飲んで寝て終わりなんだけど。でも、老後のことを考えると、今のままで本当に大丈夫なのかと不安になることがある。今は元気だからいい。でも数十年後、果たして誰に何を頼れるのだろうか。司法書士としての知識はあっても、自分の生活設計はだいぶおざなりだ。
結婚して家庭を持つ未来を描けなくなった
20代の頃は、なんとなく30代で結婚して、子どもができて、家を買って……そんな未来を漠然と想像していた。でも気づけば45歳、現実は独身で部屋着のまま冷えた焼きそばを食べている。あのとき描いた“未来”は、どこへ行ったのか。そもそも、あれは本当に望んでいた姿だったのか。今さらそんなことを考えても、もう遅いんだけど。
若い頃のイメージはどこに消えたのか
司法書士として開業した頃、仕事に没頭してるうちにプライベートの優先順位はどんどん後ろに。気づいたら、同級生は子どもの進学や住宅ローンの話をしていて、僕はまだスーツの裾を直すか迷っている。「それなりに頑張ってる」と思っていたけど、他人と比べると妙に置いていかれた感じがする。でも、それを誰かに言う勇気もない。
元野球部のノリが通用しない現実
学生時代は野球部で、上下関係やチームワークにはそこそこ自信があった。でも、社会に出てからの人間関係は、あんなに単純じゃなかった。部活ノリで話しても浮くだけ。何かを一緒に乗り越えたっていう“熱量”を共有できる人がいないと、ただのうるさいおじさんになってしまう。だから人と深く関わるのがどんどん億劫になる。
司法書士さんってモテるんじゃないのと言われる違和感
たまに飲み会なんかで「司法書士って安定してそうだしモテるでしょ?」なんて言われるけど、こっちは正直ポカンとする。事務所と法務局を往復する毎日で、恋愛なんてする余裕ないし、そもそも出会いがない。書類とにらめっこしてる姿が魅力的に映るとも思えない。安定はしてるかもしれないけど、生活は全然華やかじゃない。
人と暮らす想像がつかない理由
一人の時間に慣れすぎてしまった。誰かと生活リズムを合わせるということに、ものすごいストレスを感じてしまうようになった。相手に気を遣いすぎて、自分が自分じゃなくなる気がする。だったら、今のままの方がいい。そう思ってしまう。
生活のリズムもこだわりも崩せない
朝は納豆ご飯一択。夜は仕事終わりに缶ビールを開けて、テレビをつけっぱなしにしたまま寝落ちする。そんな毎日。誰かと暮らすなら、たぶんその全部を変えなきゃいけない。でも、自分の生活を丸ごと否定されたような気になりそうで、それが嫌なんだ。
朝食は納豆ご飯一択 夜はビールで終了
ルーティンって崩れると案外ストレスが大きい。納豆の匂いを嫌がる相手がいたら、朝から気まずくなるかもしれない。夜のビールも「また飲んでるの?」とか言われたら一気にテンションが下がる。そう思うと、気楽な一人暮らしに戻ってきてしまう。
休みの日は家から出ない静かな抵抗
世間がレジャーでにぎわっている土日、こちらは家で洗濯してから、録画していたドラマを一気見するのがルーティン。誰かと一緒なら出かけるべきなんだろうけど、正直そのエネルギーすら出ない。そんな自分を変えたい気持ちもあるけど、変える理由がないならこのままでいいとも思ってしまう。
仕事が忙しすぎて誰かと向き合う余裕がない
司法書士の仕事は“急に来る”のが日常。予定なんてあってないようなもの。誰かと一緒に生活するなら、そういう不規則さが迷惑になるだろうなと分かっている。でも、それを申し訳ないと思いながら生活するのもしんどい。
急ぎの登記が来たときに全部崩れる生活バランス
「明日までに頼めますか?」という電話一本で、休日の予定は吹き飛ぶ。そんなことが何度もあるから、誰かと何かを共有する生活は向いてないと思ってしまう。リズムが読めないというのは、思っている以上に他人に迷惑をかける。
誰かと住んでたら絶対イライラされるやつ
夕食の準備をしてもらったのに急遽外出、旅行の予定がキャンセル、寝てる間に仕事の電話が鳴る。そんな日常を一緒に暮らす相手が許してくれるだろうか。たぶん無理だし、こっちも気を遣いすぎて参ってしまう。だったら、最初から一人の方がいい。
でも心のどこかで誰かに頼りたい夜もある
こんなふうに独身生活を肯定してばかりだけど、ふとした瞬間に「隣に誰かいてくれたらな」と思うこともある。仕事で落ち込んだ夜、熱を出した夜、何でもない夜。自分の気持ちを口に出せる相手がいるというのは、やっぱり大きい。
疲れて帰ってきたときの夕食のにおいに憧れる
中学生の頃、部活帰りに家の玄関を開けると、味噌汁と焼き魚のにおいがした。今思えば、あれが“安心”の象徴だったのかもしれない。あの感覚を思い出すときだけは、一人暮らしの部屋がちょっとだけ広く感じる。
優しさと依存の境界線が怖い
人と一緒にいると、最初は「助け合い」で成り立つ。でも、どこかで「自分がいないとダメになりそう」な状況になったとき、逆に重く感じてしまう気がする。優しくすることと、依存させることは紙一重だ。それをうまくコントロールできる自信が、今の自分にはない。