アナログ仕事限界宣言このままじゃ潰れる

アナログ仕事限界宣言このままじゃ潰れる

朝から手書きメモで一日が始まる限界感

朝イチのルーティン。それは、昨日のメモ帳を引っ張り出して、今日の予定を書き写すところから始まる。誰に見せるわけでもない、誰にも共有されない、そしてしばしば紛失する。これが日常だ。便利そうなアプリはいろいろ試したが、慣れた紙に戻ってしまう。だが最近、自分のメモを事務員が読めず、予定がすっぽ抜けることが増えてきた。もはやこれは「味」でも「個性」でもなく、ただの業務リスクだ。

なんでも紙に頼るのはもう無理がある

書類は紙、チェックリストも紙、相談内容のメモも紙。裁判所提出の申立書も、まずは手書きの草案を作ってからワープロ入力するという流れ。そうしないと不安なのだ。でもある日、急ぎの案件の下書きを紛失してしまい、相談者に平謝りする羽目になった。紙は安心感を与えてくれるが、同時に消える不安も常に伴っている。どんなに几帳面に扱っても、風やコーヒーのしずくひとつで全てが台無しになる。

事務員とのやりとりも伝言ゲーム状態

事務員に伝えたつもりの内容が、微妙にズレたまま実行されてしまうことがある。「口頭で言ったじゃん」と思っても、それはただの自分の思い込みでしかない。付箋に書いたメモが机の下から見つかったときには、もう笑うしかなかった。アナログの怖いところは、確認の履歴が残らないことだ。だから「言った」「聞いてない」のすれ違いが生まれる。そしてそれは、ちょっとずつ信頼関係を削っていく。

過去の書類を探す時間の無駄さ

「あのときの登記書類、どこにしまったっけ?」。たった1枚の紙を探すのに、ファイル棚をひっくり返し、段ボールを開け、10分が飛んでいく。しかも、見つかった頃には気力も体力も削られていて、再び仕事に集中するのが難しい。クラウド管理にすればすぐ検索できるのだろうが、仕組みを整えるまでが面倒で、その手間を考えると手が止まってしまう。けれど、探し物に費やす時間は確実に人生の損失だ。

アナログ依存の正体は不安とこだわり

デジタルが苦手なわけではない。むしろ、スマホはよく触っているし、ネットバンキングも普通に使っている。でも仕事に関しては「アナログの方が安心」と感じてしまうのはなぜか。これは習慣の問題でもあるし、失敗を恐れる心理でもある。昔は「紙で残すこと」が一番確実だった。だから、今でもその感覚が抜けずにいる。でも現実問題として、それがもう足を引っ張り始めているのも確かだ。

昔からこうだからで進歩を止めた自分

アナログ主義に染まったのは、先代の先生のやり方を踏襲したところが大きい。「司法書士の仕事はこうあるべき」という思い込みが、無意識のうちに自分を縛っていた気がする。でもよく考えれば、効率の良さや業務の見える化って、仕事のクオリティにも直結するはずだ。進歩を止めたのは、怖かったから。そして、変わらなきゃいけないと思いつつ、今さら感もあって動けなかった。

印鑑がないと不安になる呪縛

デジタル署名が使えるとは分かっていても、やっぱり印鑑がないと不安になる。紙に押すという儀式が、自分の仕事の「完了」の証だという感覚が抜けない。でもそれにこだわって、事務所に戻って印鑑を押すためだけに移動したこともある。その時間と手間を冷静に考えたら、無駄の極みだ。効率を求めるなら、気持ちの切り替えも必要だと感じている。

スキャンですら信用できない悲しさ

「スキャンしてあるから大丈夫」と言われても、心のどこかで信用できない。紙が目の前にないと落ち着かないのだ。過去、スキャンデータが壊れてしまった経験がトラウマになっているのかもしれない。それ以降、紙とデータの二重保存がデフォルトになり、結果として事務所が資料だらけになる。効率とは真逆の行動だが、やめる勇気がなかなか出ない。

ミスが多いのは仕組みじゃなく気合頼りのせい

忙しくなると、とたんにミスが増える。これは年齢のせいでも、集中力の問題でもない。結局、全てを「気合と根性」で回しているからだ。若い頃はそれでもなんとかなった。でも今は違う。抜ける、忘れる、重なる。気持ちではカバーしきれないミスが日常的に起こるようになっている。仕組みが弱いから、人に頼らざるを得ない。だがその人が不在になると、一気に崩れるのが現状だ。

自分の記憶と気合が限界にきている

「あの依頼、対応したっけ?」と自問する場面が増えた。正直、記憶が曖昧なことが多い。でも紙のメモに書いたかどうかを確認するのに、また数分かかる。記憶と気合に頼った運営は、綱渡りと同じだ。しかも、誰にも相談できず、自分で「抜けがなかったか」を夜中にチェックする羽目になる。事務所の明かりが夜遅くまでついている理由は、もはや執念だけでしかない。

後でやるが積もって山になる

「あとでやろう」と思ったことが、後日になるとすっかり抜け落ちている。それが1件ならまだしも、3件、5件と重なると、対応漏れや期限超過につながる。チェックリストすら紙でやっているから、進捗の見える化も難しい。山のように積まれた「未処理メモ」を前に、何から手を付けていいかわからず、机に座ったまま15分が過ぎることもある。これではいけないと分かってはいるが、改善できない。

確認作業が二重三重に増えていく

アナログ作業は一つ一つが手間だ。だから、「本当にこれで良かったか?」の確認作業も何重にもなる。印鑑を押しても、それをスキャンして、別紙に添付して、FAXで送って、さらに電話で届いたかどうか確認して……。そのすべてに神経を使い、ミスの不安を消せない。結局、仕事の中心が「本質」ではなく、「不安消し」に偏ってしまっているのだ。

それでも変わらなきゃ潰れる気がする

このままじゃ潰れる。正直、ここ数年、そんな感覚がどんどん強くなってきた。体力的にも、精神的にも、そして仕組みとしても限界が見えてきている。事務所を回すことが目的化してしまい、本来の「誰かを支える」仕事のやりがいが感じにくくなっている。だから、変わらないといけない。でもどう変わるべきか、まだ明確な答えは出ていない。

働き方改革なんて他人事だと思っていた

「働き方改革」と聞いても、フリーランスの自分には無縁だと思っていた。でも、今思うとそれは単なる言い訳だった。改革すべきは外ではなく、まず自分の中のやり方だった。仕組みを変える勇気、ツールに頼る潔さ、他人に任せる決断。どれも苦手だけど、そろそろ本気で向き合う時期に来ている。さもないと、誰にも引き継げないまま、事務所ごと消えてしまう気がしてならない。

一人で抱え込む日々に限界がきた

一人で何でもやろうとするのは、美徳ではなくただの限界回避の先延ばしだ。自分で調べ、自分で書いて、自分で走って、自分で謝る。この繰り返しに、何年も費やしてきた。けれど、今はもうそのやり方に体がついてこない。自分が倒れたら、すべてが止まる。そんなリスクを抱えているのに、変われないでいる自分に、苛立ちさえ感じている。

体調よりも気力が先に悲鳴をあげた

身体が動かないわけじゃない。でも、「やらなきゃ」という気持ちが湧いてこない日がある。朝起きて、予定を見て、頭が真っ白になる。こんなことは昔はなかった。限界は身体じゃなく、心が先にくるものなんだと知った。だから、もう限界が近いと素直に認めようと思う。そして、ほんの少しでも、変わる勇気を持てたらいい。少しずつでも。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。