地果て境界に沈む声

地果て境界に沈む声

調査依頼は唐突に

サトウさんの冷静な受電対応

事務所の電話が鳴ったのは、午前10時を少し過ぎたころだった。 受話器を取ったサトウさんは、いつもの無感情なトーンで「はい、○○司法書士事務所です」と応じていた。 私は昨日の書類の整理に追われ、彼女のやり取りをぼんやりと聞いていたが、ふと耳に引っかかった言葉があった。

古びた地積図と薄墨の境界線

「調査士が戻ってこないんです」と依頼主は言ったらしい。 すぐさま送られてきたのは昭和40年代の地積図。薄墨で描かれた境界線が、まるで誰かの記憶をたどるように歪んでいた。 うっすらと山の稜線をなぞるようなその線は、どこか不安定で不自然だった。

現場は山奥の分譲地跡

私道か公道かという永遠の論争

車で1時間半、舗装が途切れた林道を進んだ先に現場はあった。 昭和の終わりに分譲されたという土地は、今や誰も住まず、静寂だけが支配していた。 依頼は「境界確定」の相談だったが、それ以上に「調査士の失踪」が重くのしかかっていた。

朽ちた境界標と不自然な盛り土

崩れかけた擁壁のそばには、かろうじて立っている境界標が一つ。 そのすぐ脇に、誰かが最近になって盛ったような土の山があった。 私はスコップを持ってこなかったことを心の底から悔やんだ。

謎の測量士との遭遇

GPS片手に立ち尽くす男

突然、林の奥から人影が現れた。反射ベストを着た男が、古びたGPS機器を片手に立っていた。 「境界、見失ってしまいましてね」と彼は笑った。どこか虚ろな目だった。 彼こそが失踪したとされる調査士、だがその存在は妙にあやふやだった。

消えた資料と届かぬ図面

翌日、彼の名前を調査士会で調べたが、そんな登録は存在しなかった。 さらに、依頼主が言っていた「送った地積図」は、今ではなぜか私の手元にもメールにも見当たらなかった。 サトウさんがぽつりと「夢でも見てました?」と言ったのが、やけに本気に聞こえた。

地主の息子が残した手紙

内容証明に綴られた「真実」

数日後、依頼主から送られてきた内容証明郵便。そこには亡くなった地主の息子が遺した手紙が同封されていた。 「父は隣地との境界を偽って登記した。良心の呵責で死にきれないらしい」 その言葉を読んだ瞬間、あの調査士の虚ろな目が脳裏に焼き付いた。

土地台帳に記載された旧地番

調べてみると、確かに昭和50年以前の地番と現行の地番には微妙なズレがあった。 そのズレは、まるで誰かが意図的に作ったような歪みだった。 私は図書館のマイクロフィルムと格闘し、ようやく「その土地」が昔は隣地だったと確信した。

サトウさんの調査が切り裂く迷い

法務局の閉架書庫へ

サトウさんは私に黙って、法務局の閉架書庫で地籍図の原図を確認していた。 「あなたの言う通りなら、昭和43年の字図がキーです」と冷静に言いながら、厚手の封筒を私に差し出した。 そこには、確かに現場と異なる境界線が鮮明に写っていた。

明治期の地図に見えるもの

更に彼女は、明治時代の地図も持ってきた。そこには、崖下に続く古道と、今はないはずの小屋の記載。 つまり、その盛り土の下には、もしかしたら—— 私たちは再び現場へ向かう決意をした。

過去の地割が語る境界の嘘

村道の謎と私の勘違い

調査を重ねるうち、私は一つ大きな勘違いをしていたことに気づく。 あの男が言った「見失った境界」は、物理的なものではなかった。 それは、村の記憶ごと風化した「嘘の地割」だった。

やれやれ、、、こりゃ一筋縄ではいかん

私は頭を掻きながら、現場の土を掘り返す重機を眺めた。 「やれやれ、、、」と声に出した瞬間、土の中から錆びた杭と骨のようなものが覗いた。 何かが、確かにそこに埋まっていたのだ。

崩れた崖下の白骨

土砂の中から現れた靴と杭

重機のスコップが深く掘った先から、スニーカーの先が出てきた。 その脇には、古いコンクリート製の杭が転がっていた。 一緒にいた警察官が顔をしかめる。

遺失物か遺体か

靴の中には白骨が残っていた。検視の結果、30年近く前の男性のものだという。 調査士、いや、元地主の息子と見られる人物が失踪した時期と一致する。 境界を偽った末の悲劇なのか、それとも隠された他殺なのか——

警察と調査士と司法書士

三者三様の言い分

警察は事件性を調べ、調査士会は登録の記録の再確認に追われた。 私は司法書士として、登記と現実との乖離について報告書をまとめる。 サトウさんは無表情のまま、黙々と議事録を打っていた。

登記と真実の交差点

「登記は正確ではあるが、必ずしも真実ではない」。 これは司法書士の間でよく言われる言葉だが、今回ほど重く響いたことはなかった。 嘘の上に立った境界は、いずれ誰かを呑み込むのかもしれない。

境界の確定と誰かの救済

境界確認書が結ぶ過去

数週間後、修正された境界確認書が双方によって取り交わされた。 それは、土地の線引き以上に「過去との和解」を意味していた。 土地の呪縛から解き放たれたように、現場には静かな風が吹いていた。

サトウさんの「それで終わりですか?」

私はひと息ついて、いつものように自販機の缶コーヒーを飲もうとした。 サトウさんはパソコンの画面から目を離さず、「それで終わりですか?」とだけ言った。 私は「終わりってことにしよう」と、曖昧に笑って返した。

静かな土地に吹く風

忘れられた土地と記憶

調査士が見た地の果て。 そこには人の欲と過ちが、静かに堆積していた。 私はその一片を、ほんの少しだけ動かしたに過ぎない。

僕が測量機を背負わぬ理由

私は司法書士であって調査士ではない。 だが今回、あの虚ろな目の男と出会ってしまったせいか、 測量の重みがほんの少しだけ、背中に乗った気がした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓