老後のことを考えるときはたいてい夜
昼間は仕事に追われているせいか、老後のことなんてほとんど考えない。だけど夜になると、特に何も予定がない日の夜に限って、将来のことが頭に浮かんでくる。誰かと話すわけでもなく、テレビの音だけが部屋に響いていると、「このまま歳をとって大丈夫なのか?」という不安が湧いてくる。こういう感情は突発的にやってきて、なかなか寝付けなくなる。酒を飲めば少しは紛れるけれど、翌朝には疲れが倍増していて、また自己嫌悪に陥る。独身で家族もいないと、この手の不安にブレーキをかけてくれる人もいない。
ふと仕事帰りに暗くなる気持ち
事務所からの帰り道、スーパーに寄って半額弁当を買うのが日課になっている。周りを見れば、家族連れやカップルが多くて、自分だけ浮いているような気持ちになる。車のエンジンをかけても気分は上がらないし、家に帰っても誰かが待っているわけでもない。仕事中は多少なりとも人と話すから気が紛れるけれど、一人になると一気に現実が押し寄せる。こんな毎日を続けていて、果たして何十年先まで耐えられるのだろうかと不安になる。
帰宅しても明かりがついていない部屋
玄関を開けると真っ暗な部屋。電気をつけると生活感のない空間が広がる。脱ぎっぱなしのスーツ、洗い忘れた食器、冷蔵庫にはコンビニ飯。これが自分の「日常」なのかと思うと、急に空しさがこみ上げてくる。昔はもう少しまともに暮らしていたはずなのに、気がつけばどんどん無頓着になってきている。これはただの疲れなのか、それとも心の隙間なのか、自分でもよくわからない。
コンビニの袋と自分だけの時間
晩飯はコンビニ弁当が多い。からあげ弁当とか、カツ丼とか、味が濃いものばかり選んでしまう。食べ終わると、ビニール袋と容器が残る。その光景を眺めながら「これで今日が終わりか」と思う。スマホを開いても誰からも連絡は来ていないし、SNSを見るのも虚しくなるだけ。結局、テレビをつけてただ眺めているだけの夜が続いている。これが老後になったらどうなるんだろうと、怖くなる瞬間だ。
司法書士という仕事が将来を不安にさせる理由
司法書士という職業は「資格職」で、世間的には安定しているように見えるかもしれない。だが、実際には案件が減ってきたり、顧客層が高齢化していたり、時代の変化に対応するプレッシャーも大きい。定年がないのはありがたいけれど、逆に「いつまで働けるか」が不透明で、不安を抱えながら仕事をしている同業者は少なくない。自分もその一人だ。
定年がない安心と不安の表裏一体
定年がないというのは、ある意味で自由でありがたい。だが、裏を返せば「働けなくなったら終わり」ということでもある。体が動くうちはいい。でも、手が震えて書類が書けなくなったり、記憶力が落ちて判断を誤ったりしたら、それだけで信頼はガタ落ちだ。年金で悠々自適とは程遠い現実が、資格職にはあると思っている。
頼られるうちは良い でも誰も来なくなったら
ありがたいことに、今は地域の方から信頼を得て仕事をいただいている。でも、それは「今」だけかもしれない。新しい登記制度や電子化、オンライン申請の流れについていけなければ、あっという間に仕事がなくなる。年をとってからの営業や広報活動は正直しんどいし、若いころのように簡単にリスタートできるわけでもない。
デジタル化に置いていかれる恐怖
正直、オンライン申請もまだまだ慣れていない。スマホですら使いこなせていないのに、システムが毎年のように変わっていく。自分がパソコンの前で苦戦している間に、もっと若い司法書士がすぐに対応して案件を取っていく。置いていかれている気がして、夜中にふと不安になることがある。昔は紙と判子で十分だったのに……と、時代の流れを恨みたくなる。
事務所のことを誰に任せるのか問題
もし自分に何かあったら、うちの事務所はどうなるのか。事務員さん一人ではどうにもならないし、引き継ぐ相手もいない。実際、同業者の中でも廃業した後のことを考えている人は少ない。自分もそうだった。だが、ある日風邪で寝込んだとき、現実味を帯びてその不安が襲ってきた。
後継者はおろか話し相手もいない
後継者候補を育てようにも、田舎では若い人材がそもそもいない。都会に出てしまうか、資格を取っても開業までは踏み出せない人が多い。たまに新人さんの相談に乗ることもあるけれど、ほとんどが数年で辞めてしまう。結局、自分が倒れたらすべて終わりという状況に変わりはない。
事務員さんのほうがよほど現実的
うちの事務員さんはパートながらとても頼りになる人だ。年配だけれど、しっかりしていて事務所の空気を支えてくれている。もし何かあったら、彼女のほうが役所に話を通すのもうまくやるかもしれない。ただ、それも一時的なもの。根本的な解決にはならないというのが悩ましい。
元野球部でも打てない人生の変化球
若いころは気合と根性でなんとかなると思っていた。野球部時代はどんな厳しい練習でも耐えられたし、負けても立ち上がる力があった。でも、人生にはどうにもならない球が来ることもある。それを痛感するのが、こういう夜だったりする。
精神論じゃどうにもならない年齢
気持ちだけではカバーできない身体の衰えを感じるようになった。集中力が続かない、腰が痛い、朝がつらい……。昔なら少し寝れば回復していた疲れが、今では数日残る。これで60代、70代まで本当に働けるのか。そう思うと、先が見えなくなる。
健康診断の数値に怯える夜
健康診断の結果表を開くのが怖い。肝機能、血圧、コレステロール。どこかしらに「要再検査」の文字がある。それを見ては、「このまま倒れたら誰がこの事務所を閉じるんだろう」と考えてしまう。仕事の不安と身体の不安が重なってくると、本当に眠れなくなる。
不安を打ち消すためにしている小さな工夫
そんな不安に飲まれないように、最近はできるだけ小さな習慣を大事にしている。大げさなことはできないが、朝の散歩や、寝る前のストレッチ、昔の野球仲間にLINEしてみるなど、ちょっとしたことで気が紛れることもある。
朝に意識を向ける習慣
夜に考え込むと暗くなりがちなので、意識的に「朝」に目を向けるようにしている。朝日を浴びて、コーヒーを入れて、静かに始まる一日。それだけでちょっとだけ心が軽くなる。未来を考えるのではなく、「次の朝」を楽しみにする。それくらいがちょうどいい。
とりあえず体を動かしておく
運動することで考えすぎを抑えられることがある。スクワットでも、ストレッチでも、5分でいいから体を動かすと、脳のもやもやが少し取れる気がする。気分転換になるし、「自分はまだ動ける」と思えるのが大きい。老後を心配する前に、今日の身体を整える。それが大事だと思い始めている。
同じように夜が怖くなる誰かへ
こんな夜を過ごしているのは、きっと自分だけじゃないと思いたい。仕事に追われながら、ふとした瞬間に将来が怖くなる。そんな人が他にもいるなら、少しでも共感してもらえたらうれしい。
愚痴をこぼせる場所が必要だ
愚痴や弱音を吐ける場所がないと、どこかで心が折れてしまう。SNSでもいいし、昔の友人でもいい。誰かにちょっと話せるだけで、不安は半分になる。こんなコラムも、誰かの心の中のもやもやを少しでも軽くできたら本望だ。
それでも明日は来るから
不安が押し寄せてきても、朝はやってくる。眠れなくても、仕事は待っている。誰かが頼ってくれる限り、自分はまだ役に立てる。そう思うと、ちょっとだけ頑張れる。老後の不安は消えないけれど、それでも一歩ずつ前に進んでいける気がする。