毎日の業務に追われて見えなくなるもの
司法書士という仕事は「地味」とよく言われる。実際、その通りだと思う。スポットライトが当たることもなければ、拍手をもらう場面もない。朝から登記簿をにらみ、法務局に出向き、帰れば書類の山。事務員と交わす会話も業務連絡が中心で、ふと我に返ると「自分は何のためにこの仕事をしてるんだろう」と思うことがある。忙しさに紛れて、自分自身の感情すら見失ってしまうのだ。
独立開業の現実と理想のギャップ
開業当初は「自由な働き方」「自分の城」という希望に満ちていた。しかし、現実はそんなに甘くない。経営のこと、集客のこと、ミスのない事務処理。理想を語る余裕なんて、どこにもなかった。やればやるほど不安が積もり、気がつけば肩と心がガチガチに固まっている。依頼が来ない時期には「もうやめようか」と独り言が漏れることもある。理想は夢のままで、現実だけが生々しく残る。
事務所に響くキーボードの音と沈黙
日が暮れても電気は消えない。タイピングの音だけが鳴り続け、事務所に満ちるのは沈黙ばかり。事務員は定時で帰るが、私はもうひと頑張り。誰かと会話することもなく、気づけば夜の10時。家に帰ってもコンビニ飯を片手にテレビをぼーっと見るだけ。昔は仲間とバカな話をしていたのに、今はただ無言で時を過ごしている。音のない空間に、自分の孤独さがじわじわ染み出してくる。
相談者の感情と向き合う孤独な時間
司法書士という職業は、時に人の人生の節目に立ち会う。相続、離婚、借金…。相談者は人生のどこかでつまずいた人が多く、こちらも気を抜けない。相手の感情に丁寧に向き合うが、それが自分の中にも負担として積もっていく。言葉を選びすぎて、返ってくるのは感謝よりも「それだけ?」という反応のときもある。人の感情に寄り添いながら、自分の感情を押し殺す作業は、思った以上にしんどい。
数字に追われるプレッシャー
日々の業務はもちろんだが、経営者としての重圧も大きい。事務員の給料、家賃、税金…数字が頭の中をぐるぐる回る。月末が近づくたびに「今月、大丈夫か?」と自問自答する。仕事はしたいけど、赤字にはしたくない。このバランスを保つのが本当に難しい。いつのまにか、相談者のことよりも「今日の売上」にばかり意識が向くようになってしまった自分に、情けなさを感じることもある。
誰かの言葉に救われたい夜
人と話すのが仕事のようでいて、実は孤独な仕事。だからこそ、ふとした時に聞く家族の声が、胸に染みる。大げさではなく、その一言でまた数日を乗り切れるような気持ちになることがある。疲れ切って、もう誰の声も聞きたくないと思っていたのに、不思議と家族の声だけは心にすっと入ってくる。
疲れた時ほど耳に残る一言
ある日、夜遅くまで仕事をしていたとき、母からの電話が鳴った。めったに連絡をしてこない人だから、何事かと思ったら「最近どう?無理せんといてな」の一言。たったそれだけ。でも、その一言で涙が出そうになった。誰かが気にかけてくれているという事実。それだけで、張り詰めた糸がふっと緩んだ気がした。誰かの言葉が心の深いところまで届く瞬間というのは、きっとこういうときなんだろう。
「無理せんといてな」母の電話越しの声
母は昔から口数が多い方ではない。でも、要所要所で大事なことを言ってくれる。今思えば、野球部でレギュラーを外されたときも、「頑張ってるの見とるで」って言ってくれたのは母だった。あのときも泣いたっけな。どこかで、自分の頑張りをちゃんと見てくれる人がいると思えることが、今でも心の支えになっている。
兄の「まだやっとるんか」に笑った夜
兄とは年に数回しか話さない。でも、たまたまLINEを送ったら「まだやっとるんか?ちゃんと寝とるか?」と返ってきた。兄なりの気遣いなんだろう。変わらないなあと思いながら、その文面にクスッと笑ってしまった。誰かに心配されるのって、こんなにあたたかいものかと実感する夜だった。言葉が多くなくても、想いがこもっていれば届くんだと改めて思った。
自分を責める癖と向き合う
どうしても自分を責める癖が抜けない。「あの時もっとこうしていれば」「ちゃんと休まず働いていれば」そんな思考がループする。でも家族の言葉は、そんな自責のループを一瞬止めてくれる。許してくれる。そんな存在がいてくれることが、どれだけありがたいことか。司法書士としての前に、一人の人間として、救われた瞬間だった。
仕事の意味を見失いかけたとき
どれだけやっても報われないと感じる日もある。感謝されない、成果が見えない、孤独に飲まれそうになる。そんなとき「そもそもなんでこの仕事を始めたんだっけ?」と自問することがある。原点に立ち返ったとき、少しだけ前を向ける気がする。
登記だけじゃない その先にあるもの
登記はただの手続き。でも、その背景には必ず人のドラマがある。相続争い、夫婦間の問題、事業承継…どれも複雑で、簡単には割り切れない。でも、その一部に関わらせてもらうことで、自分が少しでも誰かの助けになっているなら、それはとても価値のあることだと思える。書類の向こうに人がいる、そう考えられるようになったのは、仕事に慣れてからだ。
依頼人の涙に救われた瞬間
ある日、相続登記が終わった後、「これでやっと母も安心できます」と涙ぐんだ依頼人がいた。普段は淡々と仕事をしているが、そのときは胸に熱いものがこみあげた。自分の仕事が、誰かの人生にとって大事な節目になっている。そう思えた瞬間だった。あれから、自分の中で少しだけ誇りが芽生えた。
「ありがとう」の重みが違う日
「ありがとう」という言葉を何度ももらうが、時々、それがずっしりと重く感じる日がある。言葉の背後に、その人の苦労や不安がにじんでいるとき。そんなときは、こちらまで胸が熱くなる。事務作業のようでいて、実は人との関係で成り立つ仕事だと、改めて感じる瞬間でもある。
それでも続けていく理由
苦しいことも多い。それでも、今日も事務所に行く。書類を開き、判子を押し、また誰かと話す。それは多分、家族の言葉が心に残っているからだろう。自分を見てくれている人がいる。そう思えることが、今日を乗り越える力になる。
元野球部の粘り強さが今も支えに
野球部時代、練習は厳しかった。負けが続いても、声を出し、走り続けた。あのとき培った粘り強さは、今も自分の芯にあると思う。打たれても立ち直る力。試合に出られなくても努力する姿勢。それが今、司法書士という仕事の中で生きている気がする。
勝てなくても立ち上がる力
全てがうまくいくわけじゃない。でも、倒れてもまた立ち上がる。失敗しても、次の一歩を踏み出す。そういう積み重ねが、今の自分を形作っている。勝ち負けじゃなく、「やり続けること」が大事だと、野球部時代に教わった。そして今、それを自分に言い聞かせながら、毎日を生きている。
小さな一言が次の日のエネルギーになる
日々の中で、誰かの何気ない一言が心の燃料になることがある。母の「無理せんといてな」、兄の「ちゃんと寝とるか?」。それだけで「もうちょっと頑張ってみようか」と思える。司法書士としての自分だけでなく、一人の人間として、大事にしたい言葉たちだ。