また一つ苦手な手続きが増えた気がして朝からため息が止まらない

また一つ苦手な手続きが増えた気がして朝からため息が止まらない

得意なはずのはずがいつの間にか苦手に変わっていた

司法書士という職業柄、手続きには強いと思われがちだ。いや、実際に得意なジャンルもある。登記関係や相続関係などはある程度慣れもあるし、流れも把握している。けれど、最近また一つ、妙に苦手な手続きが増えた気がしている。しかも、これが自分のせいで積み上がったわけではなく、制度変更や様式の変更、提出先の解釈が変わったようなケースばかり。これじゃ、また一から理解し直し。まるで試合前にルールが変わるようなものだ。そんな朝に限って、手が止まる。気分も落ちる。そして、ため息だけが増えていく。

避けてきた分だけダメージが大きくなる

たとえば、以前から「特例の定款認証」にどうしても気が乗らなかった。一度ミスして公証人に電話で厳しめの注意を受けて以来、トラウマになっていた部分もある。ついつい後回しにしていたら、ある日、溜まりに溜まって三件同時進行。重なるときは重なるとはよく言ったもので、一つひとつ確認してるうちに、目の焦点が合わなくなってきた。普段なら一時間で済むところを三時間かけて、やっと一通りの草案を整えた。でももう、精神力は空っぽ。苦手な手続きを避けてきた代償は、予想以上に大きい。

苦手な手続きは慣れではどうにもならないことがある

仕事を続けていれば慣れるものもある。けれど、一部の手続きはどれだけ経験しても「慣れる」という感覚が生まれないことがある。書式が頻繁に変わる申請、対応が担当者次第でまちまちになる役所の処理、あるいは、独特の記述が求められる遺言書の検認申立て。経験があるからこそ、慎重になりすぎてしまう。やればやるほど、気を抜けない場面ばかりが増えていき、結局、苦手意識が強くなる。「慣れたら楽になるよ」と言われた手続きが、10年経っても全然楽にならないなんて、誰が想像しただろう。

時間をかけても気持ちが追いつかない

やろうと思ってデスクに向かう。書類を開く。入力し始める。でも、どこかで「本当にこれで大丈夫か?」という不安が顔を出す。そこで手が止まり、調べ直し。何度も法務省のサイトを見たり、先輩が書いた事例を探したり。そんなことを繰り返しているうちに、午前が終わる。進捗は5割もいかない。集中しているつもりなのに、結果が伴わない。その理由が「気持ちが乗らない」だと気づいたとき、また自己嫌悪。気合だけではどうにもならない感情の壁が、確かにそこにある。

手続きを前にしたときの心の抵抗感

誰しも「やりたくないな」と思う瞬間があると思うけれど、それが業務の一部として日常に紛れていると、見過ごしがちになる。私の場合、メールの件名に「相談内容:○○申請」と書かれているだけで、心拍数が上がることがある。特に苦手なジャンルのときは、開封すらためらってしまう始末。画面の向こうに「やりたくない」が待っている感覚。たとえば、高校時代、走り込みの練習メニューが掲示板に貼られていた日。見ただけで足が重くなった、あの感じに近い。

書類を見るだけで気分が重くなる不思議

開封した瞬間に感じる、書類のプレッシャー。フォーマットが複雑だったり、補足書類が多かったり、チェック項目が細かいだけで、体感的な重さが全然違ってくる。誰かが用意した資料であれば、「こんなに丁寧にやってくれてる」と思えるかもしれない。でも、自分が一から用意すると思うと、なぜかそれがすべて「面倒」に変換されてしまう。特にPDFで送られてくると、印刷して赤ペン入れて、それをスキャンして…と、頭の中で工数が並んでいく。もう、それだけで気持ちが後ろ向きになる。

面倒よりも不安が先に立つ

単に作業が煩雑だからというより、やっぱり「ミスしたくない」という思いが強すぎるのかもしれない。自分の一手で誰かの大事な手続きが遅れたり、内容が否認されたりする。そう考えると、確認の手が止まらなくなる。まるで、「書類を書く」という行為が、地雷原を歩くかのような慎重さを必要とするようになる。そしてその慎重さが、自分の首を締める。頭ではわかっていても、怖さが勝ってしまう瞬間がある。たとえば、一発勝負の試合で「打つな」と言われたバントサイン。そのプレッシャーに似ている。

できれば誰かに頼みたいけど現実は一人

本音を言えば、苦手な手続きは誰かに任せたい。でも、うちは事務員が一人。しかも、あの人は丁寧だけど手続きの判断までは任せられない。最終的な責任は自分にあるし、ミスすれば名前が出るのはこっち。人に任せる勇気もなく、自分でやるしかない現実。かといって外注すれば費用もかかるし、内容によってはそれもできない。なんだかんだで、自分で全部背負うしかない日々。これが「個人事務所」の宿命なんだと、自分に言い聞かせるしかない。

事務員さんのありがたみが身に染みる

そんな中で救いになるのが、事務員さんの存在だ。たとえば、本人確認資料をチェックしてコピーを整えるだけでも、ありがたいと思えるようになった。苦手な書類が机に置かれていても、そこに「ここまで準備しておきました」とメモが添えてあるだけで、気持ちが楽になる。小さな配慮が、重たい気持ちを和らげてくれる。昔は「それぐらい自分でやらなきゃ」と思っていたけれど、今では「それをやってくれる人がいる」ということ自体が、どれだけ貴重かに気づかされた。

あの人が得意な手続きを僕は全部避けたい

面白いことに、事務員さんが得意な手続きって、僕が妙に苦手なものが多い。たとえば、住民票請求の書類整理や、住基ネットに関する確認事項など。どこに何を出せばいいかの確認を、迷いなくサクサクやってのける。自分なら30分かかるところを10分で済ませてしまう。なんだか自分が情けなくなる瞬間もあるけれど、それもまた事務所というチームの在り方なんだろうと思うようになった。誰かが得意なことを担う、それだけで助かっている。

頼れる存在が一人いるだけで本当に違う

何かあったとき、「この件ちょっとだけ見てもらえますか」と声をかけられる人がいる。それだけで気が楽になる。以前は、全部一人で背負っていた。確認から発送、申請まで丸抱え。夜遅くまでかかっても誰にも頼れない。今は、少しだけ肩の荷を下ろせる瞬間がある。たとえば、書類に押す印鑑の位置を間違えていないかをダブルチェックしてくれるだけでも、安心感が違う。やっぱり、人は一人じゃ仕事できない。そう思えるだけでも、この事務所を続ける理由になる。

司法書士でも全部が得意なわけじゃない

「司法書士なんだから当然できるでしょ」と思われがちだけど、正直、全部が得意というわけじゃない。むしろ、苦手なものは年々増えていっている気さえする。たぶんそれは、苦手なことに対して「慎重に対応しなければ」という思いが強くなっているからだろう。若いころは勢いで押し切れたことも、今はひとつひとつを丁寧に確認するようになった。その分、手が遅くなるし、気持ちもすり減る。でも、それが責任を持つということなのかもしれない。

苦手なままでもいいから逃げないようにしている

昔は「全部克服しなきゃ」と思っていた。でも今は「苦手なままでもいい」と思っている。ただし、逃げないこと。それが自分なりのルールだ。たとえば、嫌いな手続きほど朝イチでやるようにしている。終わったら、その日がちょっと楽になるから。逃げずに向き合うこと、それだけで少しは自分を許せる。苦手は苦手でいい。得意な人に頼れる場面では頼る。無理に背伸びせず、自分のペースでやっていけたら、それでいいんじゃないかと思う。

経験があっても毎回不安になることもある

10年やっていても、20年やっていても、毎回不安になる手続きがある。それは、たぶん仕事の性質上、完全な正解がないからだろう。状況やケースによって対応が変わるし、人によって受け取り方も違う。だからこそ、どんなに経験を積んでも「これで大丈夫かな?」という不安は消えない。でも、それってきっと悪いことじゃない。不安があるからこそ慎重になれるし、丁寧にもなる。そうやって今日も、また苦手な書類に向かっている。

それでも依頼者の前では平然としなきゃいけない

依頼者の前では「慣れてますよ」という顔をする。苦手だなんて絶対に言えない。こちらが不安そうな顔をすれば、相手はもっと不安になるから。だから、どれだけ心の中でモヤモヤしていても、淡々と説明する。書類を渡す手は少し震えていたとしても、声は落ち着いて出す。それがプロとしての最低限の責任。だけど、事務所に戻ってきたら、もうぐったり。ああ、また一つ、苦手な手続きが増えたな…と、今日もため息をついている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。