ひとりの時間が当たり前になってしまった日々

ひとりの時間が当たり前になってしまった日々

ひとりでいることに慣れたのはいつからだったのか

気づけば、何の違和感もなくひとりでいる時間が日常になっていた。事務所と自宅を往復するだけの毎日。打ち合わせも減って、電話とメールで完結することが増えた。かつては誰かと会話を交わすことが当たり前だったのに、今では一日誰とも喋らない日が珍しくない。忙しさを言い訳にしていたが、本当は自分から距離をとっていたのかもしれない。

気がつけば誰とも会話しない一日が増えていた

司法書士という職業は、意外と人と関わることが少ない。書類を整え、法務局に提出し、必要最小限のコミュニケーションで済ませてしまうことが多い。事務員との会話も、業務連絡だけになりがちで、雑談すらしなくなって久しい。昔は「今日は誰とも話さなかったな」なんて思っていたのが、今ではそれが普通になった。

コンビニの店員とのやりとりが今日初めての会話

ある日、昼過ぎに立ち寄ったコンビニで「袋いりますか?」と聞かれた時、自分が今日初めて声を発したことに気づいた。その瞬間、なんとも言えない虚しさが胸をついた。たった数秒のやりとりが、人と人との接点だったなんて。それに少し安堵した自分もいた。

会話がないことにすら違和感がなくなっていた

日々が積み重なると、それが「普通」になる。話しかける機会がなければ、話しかけられたい気持ちも薄れていく。ひとりでいることに慣れすぎて、「誰かと話したい」と思う心の動きが鈍っていくのを感じる。でも、それって本当に心が楽になっているのか、自分でも分からない。

忙しさのなかで誰かと向き合う余裕がなくなった

朝から晩まで依頼や手続き、相談ごとに追われ、気づけば一日が終わっている。仕事を終えた後に誰かと連絡をとる気力なんて、正直残っていない。心のどこかで「今は人間関係より仕事だ」と言い聞かせてきたけれど、それは単なる逃げだったのかもしれない。

人と接する気力よりも一人で片付ける楽さを選ぶように

一緒に仕事をするよりも、自分ひとりでやった方が早いし、気も使わなくて済む。そんな思考がクセになってしまった。人と一緒にいることって、楽しい反面、どうしてもエネルギーが要る。昔はそれを当たり前にやっていたのに、今はひとりの気楽さが勝ってしまう。

事務員との最低限のやりとりだけで一日が終わる

事務員には感謝している。ただ、こちらが忙しそうにしているせいで、相手も気を使ってあまり話しかけてこない。その空気感が、どんどん無言のルールを生んでしまっている。声をかけるタイミングを見失ったまま、ただ時間だけが流れていく。

気疲れするくらいなら孤独のほうがいいと感じる瞬間

気を使って会話をするくらいなら、黙々と作業をしていた方が精神的に楽だ。そう思ってしまう瞬間が確かにある。でも、だからといってそれが健全かというと、そうではない。誰かと話して得られる安心感もある。わかっているのに、それを避けてしまう自分がいる。

元野球部の自分が孤独上等になるまで

高校時代は野球部で、常に誰かと一緒にいた。グラウンドで声を張り上げ、バカな話をして、励まし合っていたあの頃。あの頃の自分が今の姿を見たら、きっと驚くだろう。こんなに人と関わらなくなるなんて、想像もしていなかった。

仲間に囲まれていたあの頃との落差

練習がきつくても、誰かと一緒なら乗り越えられた。励ましの言葉も、悔しさも、笑い合える仲間がいたから意味があった。今の仕事は、基本的に孤独な戦いだ。孤独に強くなったのか、ただ慣れただけなのか。あの頃の温度を思い出すたびに、どこか胸がザワつく。

声を張っていた毎日が遠い記憶に

朝からグラウンドで叫んでいた声は、今ではPCのキーボードを打つ音に変わった。会話はチャットやメールが中心で、声を出すことすら減った。感情を表に出すことも少なくなって、気づけば表情も乏しくなっている気がする。声を張って生きていたあの頃とは、まるで別人だ。

話しかけることすら気合いが必要になるとは

誰かに電話をかける、それだけの行動にすら、今は少し構えてしまう。「変に思われないか」とか「面倒がられないか」とか、余計なことを考えてしまう。昔はそんなこと思いもせず、気軽に連絡していたのに。ひとりに慣れすぎると、ちょっとした行動すらハードルになる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。