資料が来ないときに限って急かされる現象とは
司法書士の仕事をしていると、どうにもタイミングの合わないことが起こる。特に多いのが、「今日は穏やかに過ごせそうだな」と思った日に限って、急ぎの案件が舞い込むというパターンだ。そして不思議なことに、そういう日に限って、必要な資料がなかなか届かない。こちらとしては早く処理して片付けたいのに、待つしかない。この現象、まるで意地悪な神様がどこかで笑っているような気さえしてくる。
なぜ「今に限って」が重なるのか
まるで雨の日に限って洗濯物を干しっぱなしにしてしまったかのようなタイミングの悪さが、仕事の場面でも起こる。普段なら順調に連絡が取れる担当者が、急ぎの時に限って「本日不在です」と留守電が返ってくる。書類の原本も、急ぎの時に限って「郵送でお送りします」と言われる。なぜこのタイミングなのか、自分の行いを振り返ってみても、特に心当たりがない。それでも「今に限って」が積み重なると、ただただ疲弊するばかりだ。
自分ではどうしようもない理不尽さ
こちらがどれだけ段取りよく準備を進めても、相手の都合一つで全てがストップする。それが司法書士という仕事のもどかしさでもある。「できるだけ早く処理して」と頼まれても、書類が届かない限りは何も始まらない。だからといって「書類が来ないから進まないんです」と強く言えば、角が立つ。お客様に悪気はないのも分かっている。理不尽だと分かっていても、我慢するしかないのが現実なのだ。
誰のせいでもないのに自分の責任にされがち
資料が遅れたことが原因でスケジュールが押してしまった場合、最終的に「間に合わなかった」という事実だけが残る。その結果、「司法書士が遅い」という印象になってしまうこともある。直接的に責められるわけではないが、どこか釈然としない。「いや、それ、そっちが資料を出さなかったからでしょ?」と喉まで出かかるが、グッと飲み込む。責任の所在が曖昧なまま、自分だけが疲弊していく構図は、いつまで経っても慣れない。
「急ぎでお願いします」と言われても資料がない
「至急でお願いします」と言われる案件ほど、必要な資料が揃っていない。矛盾しているようだが、これが現場のリアルだ。「急ぎで」と言っておきながら、必要書類は「後ほど送ります」と言われると、どこか空しい気持ちになる。急がなきゃいけないのは分かる、でも今動けないのも事実。そんな中でプレッシャーだけが膨らんでいく。やる気を空回りさせるようなこの状況、心の中では何度もため息をついている。
火はつけられるが水が届かない状況
火事場で「早く消せ」と言われながら、肝心のホースがまだ届いていないような気分だ。周りからの「進捗どうですか?」「間に合いますか?」という声が、まるで火に油を注ぐように響く。こちらは消したくて仕方ないのに、水がない。そんな中で焦るだけ焦らされ、結局どうすることもできず、ストレスだけが蓄積する。事務員と目を合わせて苦笑いを交わすことくらいしか、心を保つ手段がないのが情けない。
「お急ぎの件なのでよろしく」と言われる虚しさ
「できれば今日中にお願いします」と言われた時点で、既に今日中は難しいというのが分かっている場合もある。それでも「わかりました」と答えてしまう自分がいる。断ったら次の依頼が来ないかもしれない、そんな小さな恐怖が、いつもどこかにあるのだ。だから無理を承知で受ける。そして当日になって、案の定「資料はまだです」と連絡が来る。このループから抜け出せない自分に、自己嫌悪すら感じてしまう。
言い返したいけど関係性が壊れるのが怖い
本音では「そっちの資料が遅れてるんですよ」と言いたい。でもそれを言ったところで何になるのか。むしろ「感じが悪い人だな」と思われるリスクを考えると、言葉を飲み込むしかない。こちらが我慢すれば丸く収まる――そう思って耐えてきた結果、自分の中だけにモヤモヤが溜まっていく。こんな日が続くと、「もう全部放り出して温泉にでも行きたいな」と本気で思う時がある。
資料が届かない間にできることは限られている
資料待ちの時間は、いわば「空白の時間」だ。その間にできることをやろうと気持ちを切り替えるのだが、実際は集中力が続かない。次の仕事に手をつけようとしても、心はまだ未完の案件に引っ張られている。効率よく動きたいという思いと、現実のギャップに、ただただ疲れていく。事務所の空気もどことなく重たくなり、無駄に時計の音だけが響く午後になる。
空回りする時間との格闘
「この時間を有効に使おう」と思っても、心がそわそわして他の作業に集中できない。結局、資料が届いてからのために机の上を整えてみたり、過去の案件ファイルを整理してみたり。でも心のどこかで「そんなことしてる場合じゃない」と焦る気持ちが湧き上がってくる。結局何をしていても中途半端で、「今日も何も進まなかったな」と自己嫌悪に陥る。時間に追われるのではなく、時間に見放されているような感覚だ。
進まない仕事に自分を責める悪循環
資料が来ないのは自分のせいではない――頭ではわかっていても、進まない仕事を前にすると「自分の段取りが悪かったのでは?」と責める気持ちが湧いてくる。真面目な人ほどこの傾向は強いのではないだろうか。ミスではなくても、進まないという結果がストレスになる。自分を責めてしまうその思考が、さらに気持ちを暗くさせる。なかなかこの悪循環から抜け出すのは難しい。
事務員との愚痴の共有が唯一の癒し
そんな中での救いは、隣の席にいる事務員との愚痴タイムだ。「まだ資料来ませんね」「今日も来ないっぽいですね」――そんなやり取りが、心を少しだけ軽くしてくれる。仕事上の愚痴を共有できる相手がいるというのは、思っている以上にありがたいことだ。彼女(もちろん年上)も愚痴っぽい性格なので、妙にウマが合う。二人でぼやきながらも、なんとか一日を乗り切っていく。
「今日も資料来ないですね」が合言葉に
もはや定型句のようになっているのが、「今日も資料来ないですね」という一言。これを言い合うことで、お互いのイライラが少し和らぐ。「ほんと困りますよねえ」と言いながら、お茶を淹れて休憩する。そんな瞬間だけが、日常のささやかな癒しになっている気がする。働いているのか、ぼやいているのか、よくわからない時間だが、きっとこれが私たちのペースなのだと思う。
独身中年二人の静かな連帯感
事務所にいるのは、独身の私と、やはり結婚歴のない事務員さんの二人。仕事に追われる毎日の中で、妙に通じ合うものがある。「何もない日が一番幸せかもしれませんね」と彼女がポツリとこぼす。まったくその通りだと思った。誰かに頼られるのもいいが、疲れることも多い。それでも、この小さな事務所で今日も一緒に愚痴を言い合える相手がいる。それだけで、なんとか踏ん張れている気がする。
それでもどうにかするしかない現実
資料が来ない、でも急ぎ。そんな矛盾を抱えながら、今日も仕事は続く。最後にはどうにかして形にするしかない。愚痴をこぼしながらも、結局なんとか帳尻を合わせてしまうのが司法書士の性(さが)かもしれない。誰かに褒められるわけでもない、感謝されるわけでもない。それでもやるしかない。この現実を受け入れることが、私たちの日常のすべてなのだ。
「資料来てからが勝負」な日常
資料がようやく届いた瞬間、スイッチが入る。そこからの集中力とスピードは自分でも驚くほどだ。そう、資料が来てからが勝負なのだ。それまではいわば助走期間。無駄に思えるその時間も、実は本番に向けて心を整えていたのかもしれない。そんなふうに考えないと、やっていられない。資料が来ない日は、来ないなりの準備日。そう思って今日も待ち続ける。
間に合ったときの達成感はわずかな救い
資料がギリギリで届き、それでもなんとか処理が間に合ったときの達成感は格別だ。誰も気づいてくれない努力かもしれないが、自分の中では「よし」と思える瞬間がある。その一瞬のために、また頑張れるのかもしれない。今日も「まだ資料来ないな」とぼやきながら、それでも机に向かう。そんな小さな誇りが、司法書士としての自分を支えている。