登記簿に載らない大切なもの
法務局に毎日のように通う日々。会社の設立、相続の手続き、抵当権の設定…数えきれないほどの登記に立ち会ってきた。でも、ふと我に返る瞬間がある。「あの人との出会いは、どこに記録されているんだろう」と。出会って、別れて、もう二度と会わない人たち。法務局には地番も地積も残るのに、人の思い出はどこにも登記されない。私は今日も登記事項証明書を受け取る。けれど心の奥にある記録は、誰にも確認できないし、確認されたくもない。
人との関係は書類には残らない
ある日、依頼者が涙ぐみながら離婚の登記を頼みに来た。「この登記をすれば、終わったってことになるんでしょうか」と聞かれて、私は言葉に詰まった。登記上はたしかに終わり。でも、人との関係は、紙一枚で済む話ではない。ましてや、出会った頃のあの笑顔や声、季節の空気までは登記できない。法務局は事実を記録する場所だけど、感情までは拾ってくれない。何百件と手続きをこなしてきたけれど、誰かとの出会いが残っていれば、それは書類じゃなく、心の中にだけある。
「あの人は今どこで何をしているんだろう」と思う夜
深夜、ひとりで事務所に残って申請書をチェックしていると、ふと昔の恋人を思い出す。彼女が使っていたボールペンと同じ型のものを持ってきたお客さんがいて、それがきっかけだった。もう10年以上前の話だ。あの頃は司法書士の資格も取ったばかりで、将来なんて何も見えていなかったけれど、隣に彼女がいた。今はその姿も、声も、どこか遠くのものに感じる。ただ、「今、どこかで幸せに暮らしてるんだろうな」と思う。登記簿にはそんな履歴、もちろん残っていない。
登記申請書よりも読み解けない感情の履歴
登記申請書は慣れてくれば、文言のクセや補正のパターンがわかってくる。でも、人の気持ちはそうはいかない。例えば、「兄弟が仲良く遺産を分けたい」と言いながらも、書類の端にぎこちないサインが並ぶ。仲が良いようで、どこかピリピリしているのが伝わってくる。そんな時、私はただの代書屋でしかない。でも、感情があふれる現場に立ち会っている以上、割り切るのも簡単じゃない。感情の履歴が紙ににじむとき、登記とはなんだろうと考えてしまう。
法務局では確認できない履歴
法務局は便利だ。人の住所、会社の設立日、所有者の履歴、全てが整然と並んでいる。けれど、そこに「どんな思いでその土地を買ったのか」なんて一切書いていない。誰と見に行ったのか、どんな夢を描いていたのか、そういうものは一切出てこない。私は、そういうもののほうが、実は大事なんじゃないかと思う。
好きだった人の住所はたぶんもう変わっている
高校時代の野球部のマネージャーに片思いをしていたことがある。大学に進学してから疎遠になり、気がつけば年賀状も届かなくなっていた。登記簿を引けば昔住んでいた実家の住所は出てくる。でも、今はもう、そこにはいない。どこで暮らしてるのか、結婚したのか、子どもがいるのか、何もわからない。ただ、あの夏のグラウンドにいた彼女の姿だけが、今でも鮮明に思い出される。
表札を見に行ったことがあるのは秘密です
情けない話だけど、数年前、そのマネージャーの実家近くに用事があって、ついでに通りかかってしまった。気づいたら表札を確認していた。もちろん名前は変わっていた。やっぱりなと思いつつも、どこか心にポッカリ穴が空いたようだった。たとえ表札が同じでも、もうその頃の「関係」はそこにない。登記簿が教えてくれるのは物理的な「現在地」だけだ。
オンライン申請できたら楽なんですがね
恋の履歴がオンライン申請できたら、もう少し楽なんじゃないか。思い出の整理もAPIで呼び出せればいいのに。…なんて考えてるあたり、疲れてる証拠だろう。電子署名で感情を切り離すなんてこと、本当はできるわけがない。けれど、時々そんな冗談でも言わないと、やってられない日もある。システムと人間の間には、未だに深くて暗い溝がある。
人の心は登記できないし登記すべきでもない
登記の正確さは大切だ。権利関係を守るために、間違いは許されない。でも、人の心に正確さなんてない。揺れ動くし、矛盾もする。だから、登記できない。いや、してはいけないのかもしれない。
権利関係よりも複雑な気持ちの整理
「お金の問題より、兄の気持ちが許せない」と、ある相談者が言った。私はその一言にドキッとした。相続登記は終わったが、兄弟の関係は終わっていない。むしろ、これから気まずくなるかもしれない。それでも私たちは、「一応片づきましたね」と言って書類を渡す。そんな表面だけの区切りで、人は前に進めるのだろうかと考える。
元カノの結婚登記は誰かがやったんでしょう
もう連絡を取っていない昔の恋人がいる。彼女が結婚したと風のうわさで聞いた。誰かが婚姻届を出して、誰かが住民票を移して、もしかしたら登記も変更されたのかもしれない。その手続きに関わった司法書士がいたかもしれない。私ではないけれど。その事実に少し胸が締めつけられた。でも、彼女が幸せであるなら、それでいい。…と、言い聞かせている。
第三者のための対抗要件は心には通じない
登記の世界には「第三者に対抗するため」という言葉がよく出てくる。でも、人間関係において「第三者に対抗」したところで、何かが救われるわけじゃない。感情に証明書はないし、優先順位も付けられない。心の奥で誰かを想う気持ちは、登記で保護される対象にはならない。けれど、それが生きる支えになることもある。矛盾してるけど、それが人間なのかもしれない。
それでも仕事は進むし登記は締切がある
感傷に浸っていても、仕事は待ってくれない。期日までに申請を終えなければ補正が来るし、依頼者に迷惑をかけてしまう。だから今日も、過去に思いを馳せながら、キーボードを叩いている。
誰かの幸せにかすっていたいという未練
人の人生に寄り添う仕事をしているつもりだった。でも、それはたいてい形式だけだ。それでも、「この書類を出すことで、少しでも前に進めたなら」と思いたい。自己満足かもしれないが、そういう希望がないと続けられないのが本音だ。
今日も事務員と二人で黙々と仕事
うちの事務所は私と事務員の二人きり。ときどき他愛のない話をしながら、でも基本的には黙々と処理を進めている。淡々と仕事が回る日もあれば、突然トラブルが起きてバタバタする日もある。そんな毎日を積み重ねていく中で、「誰にも見えない履歴」が少しずつ増えていく。それも悪くない…と思うようにしている。
法務局の冷房が沁みる季節
真夏の法務局。冷房が効きすぎていて、書類を取りに来ただけでも身体が冷える。でも、それより冷たいのは、誰にも拾われない感情のほうかもしれない。そんなことを考えながら、今日も一枚の登記事項証明書をもらって帰る。出会いの履歴は、やっぱり確認できなかった。