自分の声が遠くなる日々に気づいたら

自分の声が遠くなる日々に気づいたら

朝の支度中ふと思ったこのままでいいのか

ある朝、歯を磨いているときにふと、「これって自分がやりたかった仕事だったっけ?」という疑問が浮かびました。毎日同じ時間に起きて、同じように事務所に向かい、同じような依頼に向き合っている。その繰り返しに、急に違和感が湧いたのです。司法書士としてやってきたこの十数年、それなりに頑張ってきたつもりですが、「これでいいのか」という思いは、どこかで蓋をしていた気がします。年齢を重ねるごとに、声を上げるのも億劫になる。その日、なんだか妙に自分の声が聞こえなくなったような感覚がありました。

歯磨きしながらふと湧いた違和感

朝の歯磨きタイムって、何も考えていないようで案外、いろんな考えが浮かぶ瞬間だったりします。その日もそうでした。テレビから流れる天気予報の音だけが響く中、「今日は何か楽しみがあるか?」と自問して、何も出てこなかった。毎日がただの作業みたいに感じて、「あれ、自分の気持ちってどこいった?」と気づいたのです。そんな違和感が、じわじわと一日中まとわりついてきました。

誰かの期待ばかり追っていた自分

思えば、司法書士になってからというもの、自分の気持ちより「どうすれば喜ばれるか」「怒られないか」を優先してきた気がします。依頼者、役所、銀行、そして事務員。誰かの顔色をうかがうのが仕事だと割り切っていたけれど、それにしても、自分の気持ちがどこにもないのはどうなんだろう。誰かに求められている自分を演じ続けていたら、素の自分の声がだんだん遠のいていくのは当然かもしれません。

司法書士という肩書の重さと役割

司法書士という資格は、社会的には信用のある肩書かもしれません。でも実際には、間違えればすべて自己責任。誰かに助けてもらえる場面も少ないです。正確さが求められ、感情よりも手続きが優先される仕事に慣れすぎて、心がカサついていることにも気づきにくくなっていました。人のトラブルを処理するのが仕事だとしたら、自分の内側で起きているトラブルは誰が処理してくれるんでしょうね。

頼られることの嬉しさと責任

頼られること自体が嬉しい瞬間もあります。特に地元の年配の方から「先生にお願いして良かった」と言ってもらえると、それまでの苦労も少し報われる気がします。ただ、そのたびに「ちゃんとしなきゃ」「もう失敗できない」というプレッシャーも比例して強まっていく。誰も悪くないのに、責任の積み重ねで自分の本音が置き去りになる。それが司法書士という仕事の裏側かもしれません。

正しさを選び続けることのしんどさ

法律に関わる職業だからこそ、「正しいこと」が最優先。でもその「正しさ」は必ずしも「心地よさ」や「納得」とは一致しないんですよね。ときには依頼者の気持ちを無視してでも制度に従わないといけない場面もある。そんなとき、「本当にこれで良かったのか」と夜中にひとり反芻することも少なくありません。正しさを守ることが、自分の中の柔らかい部分をすり減らしていく感覚があるんです。

自分の本音がどこかに行ってしまった気がする

いつの間にか、「本音で話す」ということを忘れてしまったような気がします。事務員とも、世間話以上の会話をすることはほとんどなくなりました。何を考えているのか自分でもよくわからなくて、「おれって本当は何が好きだったっけ」と考えると、なんだか答えが出てこないんです。自分の気持ちの所在がわからない。まるで、音の出ないラジオをずっと聴いてるような感覚です。

他人の声に囲まれた日常

朝から晩まで、誰かの要望、誰かのクレーム、誰かの確認依頼。その中に自分の意見を混ぜる余裕なんてほとんどありません。他人の声ばかり聞いているうちに、自分の声は遠くなっていく。いや、聞こうとしなくなったのかもしれないですね。誰かに合わせ続けることで「無難」にはなれるけれど、それって「無個性」への道でもある気がしています。

事務員とのやり取りすらも惰性に

唯一、日常的に話す相手である事務員さんとの会話も、最近は必要最低限になってしまいました。お互いに忙しくて余裕がないのはわかってる。でも「今日寒いですね」すら口に出さなくなったとき、「あ、これはまずいかも」と思いました。人との会話が自分の声を取り戻す一歩なのに、それを失っていたんです。声を出さない日が続くと、心も黙り込んでしまいますね。

たまの休みにも心が休まらない

久しぶりの完全オフの日。目覚ましもかけずに寝たはずなのに、結局いつもの時間に目が覚めてしまう。しかも「何かしなきゃ」と焦りを感じてしまう。休んでいるはずなのに休めていない。むしろ仕事中のほうがまだ気が紛れていたりする。そんな自分にちょっとがっかりして、せっかくの休日がどんよりした空気になってしまうこともあります。

予定がない休日ほど疲れる理由

誰かと会うでもなく、出かける予定もなく、ただひとりで過ごす休日。それが「自由でうらやましい」と思われることもあるけれど、正直しんどいです。何も決まっていないからこそ、自分で考えないといけない。でもその「考える力」が仕事に使い果たされているのか、ボーッとスマホをいじって終わってしまう。結局、自分の声を聞く余裕なんて、残ってなかったんです。

一人暮らしの静けさが寂しさに変わる瞬間

静かすぎる部屋。時計の針の音がやけに響くときがあります。テレビも音楽もつけずにいると、「この沈黙、なんか怖いな」と感じてしまう。若いころはむしろ静けさが好きだったのに、今はその静けさが寂しさに直結してしまう。誰かと話したい。誰かに自分の気持ちを聞いてもらいたい。でも話す相手がいない。そんなとき、自分の声ってどうやって戻ってくるんでしょうね。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。