謎の相続相談が舞い込む日
誰も知らない遺言書の存在
朝一番、事務所のドアが重たく開いた。小柄な女性が、茶封筒を抱えておずおずと入ってくる。机に封筒を置くなり、彼女は小さく言った。「母の遺言が見つかったんです」。だが、それはすでに相続登記が済んだ土地に関するものだった。
サトウさんの鋭い一言
「このタイミングで出てくるって、都合よすぎませんか」。サトウさんが書類に目を通しながら言った。塩対応だが、その勘は鋭い。封筒の中には手書きの遺言書。日付は確かに相続登記の完了より前、だが証人の署名が一人分足りない。
登記簿の違和感
固定資産税情報との矛盾
市役所で取得した固定資産税情報には、既に亡くなったはずの長男の名前がまだ残っていた。登記簿上は妹が単独所有になっているのに、だ。妙な違和感に、背中を汗がつたう。古いままにしていたか、それとも何か隠しているのか。
かつての名義人に隠された関係
名義人だった父は五年前に他界し、遺言の存在が確認されるまで妹が全財産を相続していた。だが、登記の前に行方不明となった長男が実は生きていたという話が浮上する。「失踪宣告出してないんですか?」と私が尋ねると、依頼人は目をそらした。
依頼人の嘘と沈黙
供述が変わるたびに深まる闇
「兄は死にました」と言っていた妹が、「実は会ったことがある」と言い直す。こうなると事情聴取だ。口を開けば開くほど、嘘が見え隠れする。まるで探偵漫画の容疑者インタビューのようだった。真実はひとつ、ならばどれが本物か。
名義変更の履歴が物語る過去
登記簿の記録には、父から娘への贈与として名義が移っていた。相続ではない。それが意味するのは、何かを隠したい意図。贈与時期は兄が失踪した直後。贈与という形で土地を囲い込んだのだとしたら、それは偽装に近い。
かすれた地番が示すもの
法務局で見つけた古い地図
法務局で見つけた昭和40年代の地図。そこには現在の地番とは異なる筆界が記されていた。現地調査のとき、境界杭が一本だけ斜めにずれていた理由がようやくつながった。そのずれこそが、真実への扉だった。
地番の境界線にあった真実
本来の境界線上に建つ古い納屋。その持ち主が長男の名義だった。名義変更もされぬまま、敷地に吸収されていたが、それこそが火種だった。遺産分割協議書に納屋の記載がないのも、意図的だったのだろう。
サトウさんの推理が冴えわたる
「これって、わざとですよね」
登記簿の閲覧から戻ったサトウさんが、冷静に言った。「この贈与契約、兄の失踪後すぐですね。しかも父親の印鑑証明はその前月の日付。これは準備していた可能性があります」。私は思わず苦笑した。やれやれ、、、やっぱり彼女には敵わない。
過去に消えた登記官の名前
見えない糸をたぐり寄せて
過去の登記に関わった登記官の署名を追うと、もう退官していた元職員の名があった。昔気質のその人は、電話越しに一言だけ言った。「あの家、いろいろあったからねぇ」。含みのある口調が、真実の一端を物語る。
元職員が語った忌まわしい話
「あれは父親が、長男を除け者にしようとしてね。長男、家出して戻らんかったけど、遺言だけは残したって噂だったよ」。その話は、今回見つかった遺言の存在と合致する。だが、なぜその遺言が放置されたのかはまだ謎のままだった。
遺産ではなく罪が残された
隠された共有持分の罠
遺言には納屋を含む土地が長男の持ち分として記載されていた。だがその納屋は、妹名義で処分済みとされていたのだ。法的にはアウト。しかも、登記官のミスではなく、意図的に書類が隠されていた形跡もあった。
誰が誰を守っていたのか
父親は息子を除け者にし、娘はそれを知りつつ沈黙し続けた。だが最後まで真実を語らなかったのは、母だった。母の遺言には、ただ「兄に謝って」と書かれていた。その一言が、すべてを物語っていた。
解決への一手
私の過去の失敗が役に立つとは
かつて、贈与契約の時期を誤って登記を受け付けてしまい、注意された経験があった。それが今回、逆に役に立った。日付の不整合を示すことで、登記の再検証が可能となり、納屋の共有持分を長男に戻す交渉へと進めた。
最終調整とサインの瞬間
すべての書類が整い、長男の確認も取れた。彼は遠くでひっそりと暮らしていた。妹は涙を流しながら、訂正登記の申請書に署名をした。「兄に会える日が来たら、渡してください」。そう言って彼女は静かに立ち上がった。
サトウさんの冷たい一言
「やっと終わりましたね。昼休み削って」
長い案件だった。正直、胃が痛くなる日々だった。登記簿の裏に潜んでいた家族の秘密が、ようやく一枚ずつはがれた気がした。そんな私の感慨もどこ吹く風で、サトウさんは無表情にコーヒーを飲んでいた。
でもその顔はほんの少しだけ笑っていた
冷たいようで、どこかほっとしているような笑み。私のうっかりにも、ため息をつきながらもついてきてくれる。やれやれ、、、今日もまた、サザエさんの終わりのように、静かに日常が戻ってきた。
誰も知らない登記簿の物語
司法書士が見届けた真実
登記簿には事実だけが記されている。だがその裏にある感情や、家族の断絶、謝罪と後悔までは書かれていない。私はそれを読み解くのが、仕事だと思っている。紙の上の静寂の裏には、いつも誰かの声があるのだ。
今日もまた誰かの人生に立ち会って
今日は登記簿の中から一つの真実を救い上げた。でも、きっと明日も、違う物語が始まる。書類と向き合い、沈黙と向き合い、そして誰かの決断を支える。司法書士という仕事は、まるで無口な探偵のようなものだ。