夢を語れなくなった理由
夢を語ることが、いつの間にか「痛い」と思われるようになった。そう気づいたのは、ある飲み会で「今でも何か夢あるの?」と聞かれたときだった。「まぁ、もう仕事で手一杯だよ」と答えた自分の声が、妙に乾いていたのを覚えている。司法書士として独立してから15年、事務員一人雇って、日々の登記と裁判書類に追われる毎日。気づけば夢の話をする相手も、自分の中の夢も、どこか遠くに行ってしまった気がした。
若い頃は自信満々だった
学生時代、夢を語ることが恥ずかしいなんて思ったことはなかった。高校時代は野球一筋で、「プロになる」と堂々と口にしていたし、大学では「いつか地元で頼られる司法書士になってやる」と語っていた。根拠のない自信と、無限にあるような時間。何より「できるかどうか」より「やりたいかどうか」で物事を選べた。あの頃は、夢を語ることが希望そのもので、周囲もそれを素直に応援してくれていたように思う。
甲子園を目指したあの頃の情熱
甲子園出場こそ叶わなかったけど、野球部の仲間たちと毎日汗を流した日々は、まさに夢に向かって走っていた時間だった。炎天下のノックも、朝練の眠気も、当時は全部「夢」の一部だった。試合に負けた日の悔しさや、レギュラーを外されたときの落ち込みも、今思えば「夢を持つことの痛み」だったけれど、それさえも青春の一部だった。あのときは、夢を口にすることで、明日が少しだけ近くなった気がした。
司法書士を目指したきっかけ
野球を終えた後、ふとしたきっかけで法律に興味を持ち、司法書士という仕事を知った。地元で開業できて、人の役に立てる。そんな響きに惹かれた。専門学校に通い、バイトしながら勉強し、数年かけてやっと合格。試験に受かったあの日は、正直泣いた。夢が叶ったと思った。でもそれは、夢の「入口」に立っただけだった。その後の現実は、思っていた以上に「粘り強さ」が求められる世界だった。
現実を知ると夢は重くなる
仕事としての司法書士は、理想と違っていた。人の役に立つどころか、苦情や無理難題の処理に追われ、書類と期限との戦いが毎日続く。独立すれば自由かと思ったけど、収入も責任もすべて自分次第。夢を形にしたはずなのに、そこにあるのは「やらなきゃいけないこと」の山ばかりだった。ふと振り返ると、「夢を語る暇があったら、この業務どうにかしろよ」と自分で自分に突っ込んでいた。
仕事に追われて夢を忘れる日々
朝出勤して、書類を確認して、クライアント対応をして、また電話対応。そんな繰り返しの中で、気づけば1日が終わっている。昼ご飯も事務員と交代でコンビニ飯。夕方には疲れて何も考えられなくなり、夜はぐったり。こんな日々を10年以上続けていると、「夢ってなんだっけ」と自分でもわからなくなってくる。時間に追われる生活の中で、夢はどんどん隅っこに追いやられていった。
口にするたびに突きつけられる無理じゃない
たまに「こんな事務所にしたいんだよね」とか、「将来はこういう地域貢献も…」なんて話をすると、「いや、それはさすがに厳しいでしょ」と言われることも多い。もちろん現実的な助言だってわかってる。でも、それが積もると、夢を語ること自体が怖くなる。どうせ笑われる、どうせ否定される。それなら、最初から言わない方が楽だ。そんなふうにして、語ることもやめてしまった。
それでも夢は消えなかった
不思議なもので、完全に消えたと思っていた夢は、ある夜ふと顔を出す。クライアントの感謝の言葉、昔の友人との再会、あるいは疲れ果てた夜のビール一本。そんな瞬間に、「そういえば、あの頃こんなこと考えてたな」と思い出すことがある。夢って、捨てようと思っても捨てられない。むしろ、隠れてこっそり生き続けているんだと気づく。
心の奥にしまいこんだ夢
ある日、机の引き出しを整理していたら、昔書いたメモが出てきた。「将来、自分の事務所で働く若い司法書士を育てたい」そんなことが書いてあった。正直、今の状況では考えられない。でも、それを書いた頃の自分は本気だったんだと思う。誰かに見せるつもりもなく、自分だけに向けて書いた夢。その純粋さに、少しだけ泣きそうになった。夢は、こうしてひっそり生きていた。
事務所の引き出しにある手書きのメモ
くしゃくしゃのノートの切れ端に書かれた、拙い字のそのメモ。正直、今見ると青臭くて笑える。でも、そこには「こうありたい」という気持ちが詰まっていた。収入や業務効率じゃなく、目指していたのは「人を育てる場所」だったんだなと。忙しさや疲れに押し流されて、すっかり忘れていた。だけど、あのメモのおかげで、少しだけ自分を取り戻せた気がする。
酔った夜だけ出てくる本音
夢の話なんて、もう誰にもしていなかった。でも、ある日、久しぶりに会った友人と飲んでいて、ぽろっと「実は今でもな、若い人と一緒にやりたい気持ちがあるんだよ」と言ったら、「それ、絶対いいと思う」と言ってくれた。その一言が、妙に心に残っている。夢って、誰かに肯定されると、少しずつ形を取り戻す。酔ってるときしか言えないけど、酔ってでも言えたことが、自分にとって大きかった。
夢を語れないことへの自己嫌悪
夢を語れないまま過ごす日々は、どこかで自分を責める日々でもあった。「あの頃の自分なら、今の俺をどう思うかな」そんな問いかけが、ふと心をよぎる。でも、それを無視することでなんとかやってきた。でも正直なところ、夢を語れないって、つらい。誰かにどう思われるかじゃなく、自分で自分に嘘をついている感覚がある。夢を語ることは、自分を大切にすることなのかもしれない。
夢を語る恥ずかしさはどこから来たのか
「夢を語るのは若い人の特権」なんて言う人もいる。でも本当にそうだろうか。もしかしたら、自分が「叶えられなかった」過去に引きずられて、「語ること」を諦めてしまっただけかもしれない。歳をとったから恥ずかしいんじゃなくて、過去の自分を笑われるのが怖いだけ。だったら、その恐れを乗り越えるために、もう一度小さくても夢を語ってみることが必要なのかもしれない。
再び夢に目を向けるために
夢をもう一度考えるなんて、正直しんどい。現実に忙殺されて、余裕なんてない。でも、それでも「夢」を手放さないでいたいと思った。別に大きな夢じゃなくていい。ただ、自分が少しだけ前向きになれるもの。そんな小さな目標でもいいから、持っていたい。それがあるかないかで、毎日のしんどさも少しは変わってくる気がするから。
小さくていいから声に出してみる
いきなり誰かに「俺の夢はね」なんて話すのは無理でも、自分の中で言葉にするだけでも違う。「今の事務所、もうちょっとこうできたらいいな」とか、「あと10年でこういう形にしたいな」とか。そうやって、少しずつ言葉にしていくと、不思議と気持ちもついてくる。事務員にちょっとだけ話してみたら、「面白そうですね」って笑ってくれた。それだけで、ちょっとだけ救われた。
事務員さんとの何気ない会話から
ある日、昼ご飯を食べながら、「こういう案件がもっと増えたらいいな」って何気なく言ったら、「そうなったら楽しそうですね」って返してくれた。その言葉に、胸がじんわり温かくなった。大それた夢じゃなくても、誰かと共有できたことが嬉しかった。夢って、語ること自体よりも、「聞いてくれる誰か」がいることが、大事なのかもしれない。
夢は誰かと比べるものではない
夢を語れなくなるのは、他人と比べてしまうからかもしれない。SNSを見れば立派な事務所や成功談が並んでいて、「俺なんて…」と思ってしまう。でも、夢って「人と比べて優れているか」じゃなくて、「自分がどれだけ大切にしているか」だ。誰かの評価より、自分が納得できること。その軸を忘れなければ、夢は何歳からだって語っていいんだと思う。
昔の自分に語りかける勇気
高校球児だった自分、司法書士を目指していた自分。あの頃の自分に向かって、「まだ夢を捨ててないよ」と言えたら、それだけで救われる気がする。今の自分は決して完璧じゃないし、弱音も愚痴も多いけど、それでも前を向こうとしている。それだけで十分じゃないか。夢を語るのが怖い夜もあるけれど、語らずに終わるにはまだ早い気がしている。