まさかの白紙提出直前に契約書の文字が消えた日

まさかの白紙提出直前に契約書の文字が消えた日

提出前夜の異変に気づいた

その日、私は夜遅くまで事務所に残っていた。翌朝提出予定の契約書をチェックしていると、ふとした違和感を覚えた。「あれ…文字が薄い?」目を凝らして見直してみると、確かに印字がかすれている。老眼のせいかと思いきや、どうやら本当に薄くなっているようだ。あの時点で刷り直しておけばよかった。けれど、そのときの私は疲れ切っていて、見なかったことにしてしまった。それが、地獄の始まりだった。

印字が薄いかもという違和感

長年使っているプリンターの調子が最近おかしいのは知っていた。トナーも交換したばかりで、まさかまた?と思ったが、「たぶん大丈夫だろう」で済ませてしまった。過信というより、忙しさに負けて「面倒を避けたい」が先に立ってしまったのだ。このときの「違和感」が、後の大問題につながるなんて、まったく想像していなかった。

プリンターの調子はいつも悪かった

実を言えば、これまでも何度か同じような現象があった。ただ、再印刷すればどうにかなってきたし、事務員も「またか」と苦笑いしながら対応してくれていた。でもその日はたまたま事務員が午後から休みだった。そういう日に限ってトラブルは起きる。私一人で対応できると思ったのが間違いだった。

その日だけじゃなかった積み重ねの結果

日々の忙しさにかまけて、プリンターの定期メンテナンスや部品交換を後回しにしていた。調子の悪さも見て見ぬふり。書類作成のたびに「またか」と舌打ちしていたが、本気で向き合ってこなかった。その怠慢の積み重ねが、今回の失態を招いたのだ。自業自得と言われれば、それまでだろう。

確認すればよかったのにしなかった理由

自分でも情けないと思う。最終チェックは基本中の基本。それを怠ったのはなぜか。疲れていたから?いや、それだけじゃない。どこかで「どうせ問題ない」と思い込んでいた。心のどこかで「もう限界」と感じていたのもある。確認する気力すら残っていなかったのだ。

もう限界だった判断力と集中力

その日は朝から立て込んでいた。相続案件、登記完了確認、銀行とのやり取り、電話も鳴りっぱなし。午後には役所にも出向き、帰ってきたらまた郵便物と格闘。気がつけば夕方。そこから契約書の仕上げ。集中力はすでに限界。目はしょぼしょぼ、頭はぼんやり。判断力なんて残っているわけがなかった。

ひとりで全部抱えた代償

事務員がいてくれるとはいえ、結局、責任はすべて自分にある。だから「ちょっとしたこと」も気を抜けない。でも、どんなに気を張っていても、人間には限界がある。誰にも頼れない状況が、こういうミスを生むんだと思う。私のようなひとり事務所では、こういう「人的ミス」が一番怖い。

提出日に気づいたときの絶望

翌朝、役所の窓口で封を開けられた瞬間、担当者が言った。「あれ、これ…文字が印刷されてないですね」。血の気が引いた。あのときの沈黙、目の前が真っ白になった感じ、今でもはっきり思い出せる。ああ、終わった。そう思った。

役所の窓口での冷たいひと言

「すみません、これでは受付できませんので、刷り直して再提出お願いします」。それだけ。感情も何もない事務的な口調。でもその一言が、まるで断罪のように胸に突き刺さった。言い訳もできない。自分のミスだ。情けなくて、申し訳なくて、顔を上げることができなかった。

相手のせいにできない苦しさ

納期ギリギリで、あれこれ無理を通してもらった上でのこれだったから、もう言葉も出なかった。「忙しいから」「プリンターが悪いから」そんなのは通用しない。すべて、自分が確認を怠ったせい。責任は、100%自分にある。だからこそ、どこにも怒りをぶつけられないのが、何より苦しかった。

必死で謝るしかなかったあの瞬間

私はその場で深く頭を下げて謝った。「大変、すぐに再印刷してまいります」。情けない。これまで築いてきた信頼が、一瞬で崩れるような感覚だった。なのに、「そういうときもありますよ」と担当者は淡々としていた。それがまた、逆にこたえた。

同じようなことで落ち込んだことありませんか

もし、これを読んでいるあなたが、同じような経験をしたことがあるなら、少しでも心が軽くなってほしい。私も、これまで何度も「もうダメだ」と思うような失敗をしてきた。それでも、仕事は続けなければならない。自分を責めすぎないでください。今日うまくいかなかっただけで、あなたの価値がなくなるわけじゃありません。そう言い聞かせながら、私もまた、今日の契約書をプリンターに送り込むのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。