印鑑証明より自分のメンタルが大事
朝から胃が痛い日常が始まる
目が覚めると、まず頭に浮かぶのは「今日も何かトラブルが起こるかもしれない」という不安だ。現場主義で動くことが多い司法書士にとって、1日の始まりは書類の山との格闘だ。けれども、それ以上に厄介なのは心の中の“ざわざわ”だ。今日のあの案件、うまくいくだろうか?昨日の電話、あれで本当によかったのか?そんなふうに思考が勝手に先走る。胃がキリキリするこの感覚、慣れたつもりでもやっぱりしんどい。
目覚ましより先に心が起きてしまう
時計のアラームが鳴る前に、なぜか目が覚めてしまう。それは“やる気”からではなく、むしろ“怯え”からだ。40代を過ぎて、睡眠の質も落ちた気がする。仕事で何かミスをしていないか、誰かに迷惑をかけていないか。そういう確認が、脳内で自動再生される。元野球部で体力には自信があったのに、最近は心が先に疲れている気がする。「また今日も一日が始まってしまった」そんな感覚で布団から体を起こす。
「今日も何か起こる気がする」という不安感
司法書士の仕事って、実はかなり“事故”と隣り合わせだ。印鑑の間違い、書類の記載漏れ、期日の勘違い。ひとつでも起こせば、それだけで依頼者の信頼はガタ落ちだ。「今日もなにかやらかすんじゃないか」と、自分自身がいちばん自分を信用していない。事務員が「大丈夫ですよ」と声をかけてくれるけど、その優しさすらプレッシャーに感じる朝もある。
支度しながら考える「やめたいな…」のループ
歯を磨いてるときも、ネクタイを結んでいるときも、ふと「いっそ辞めたらラクかもな」なんて考えてしまう。だけど次の瞬間には「いや、他に何ができるんだよ」と自分にツッコミを入れる。司法書士って資格があるだけマシ、そんなふうに自分を納得させるのも、もう何年目だろう。鏡の中の顔が、日に日に疲れて見える。
出勤しても落ち着かない自分がいる
事務所に着いてパソコンを立ち上げても、どこかソワソワしている自分がいる。メールの通知が鳴るたび、胸がドクンとする。電話が鳴れば「またクレームか?」と構えてしまう。気を抜けない仕事なのは分かっているけど、それにしても緊張がずっと張りつめている。もう少し気楽に構えたいのに、そうできない性格がまたつらい。
事務所に着いても脳内会議が止まらない
「あの登記の添付書類、あれでよかったっけ」「今日中に送る書類、漏れてないかな」などと、頭の中は常に仕事の確認事項でいっぱい。机の前に座っていても、心はどこか宙ぶらりんだ。集中できてない自覚があるのに、それでも業務は待ってくれない。自分の中の“確認役”が、四六時中ささやいてくる。
机の上の印鑑より重いプレッシャー
司法書士の象徴ともいえる“印鑑”だけど、あれを押すたびに「本当にこれでいいのか」と自問してしまう。紙1枚、ハンコひとつ。外から見れば単純な作業に見えるかもしれない。けれどその向こうには、他人の人生や財産がぶら下がっている。だからこそ、何度も確認しすぎて、疲れてしまう。
書類の山に埋もれて自分を見失う
ふと気づくと、自分のデスクは紙の山。重要書類や申請書、封筒に押印済みの書類が乱雑に積まれている。ここまで仕事をこなしてきたはずなのに、達成感よりもむしろ「何のためにこんなに頑張ってるんだっけ?」という虚無感の方が勝る。印鑑証明一枚の価値より、自分の精神のバランスの方が今は気がかりだ。
たかが印鑑証明されど印鑑証明
「この書類、明日までにお願いします」と急に依頼されることもしばしば。急ぎの登記や金融機関対応。中には「たかが印鑑証明じゃないか」と軽く見る依頼者もいる。でもこちらはそれが命取りになるのを知っている。だから慎重に慎重を重ねる。それなのに、感謝されるどころか「遅い」と文句を言われると、心が折れそうになる。
書類ひとつで人生を左右する責任
依頼者の離婚、相続、会社の設立…。それぞれに人生の節目がある。その証人のように書類を扱う立場だからこそ、どんな小さなミスも許されない。責任の重さを自覚しているから、夜になっても頭の中で何度もシミュレーションしてしまう。「これで本当に大丈夫か」と。不安はいつまで経っても消えない。
なのに相手は「簡単でしょ」の一言
「司法書士って、書類作って出すだけでしょ?」そんなふうに言われたことがある。その一言がどれだけ人を傷つけるか、分かっていないのだろう。命を削るように神経を使って作成しているのに、そんなふうに軽く言われた日には、夜まで引きずる。自分の仕事の価値を、誰かに肯定してほしいとさえ思ってしまう。
精神がすり減る日々に慣れたふりをしている
「慣れですよね、こういうのも」と笑って話す。でも本音では「慣れたくなんかない」と思っている。すり減っている自覚はある。でも、今さらやめられない。誰かに「頑張ってますね」と言われると、なぜか泣きたくなる。それだけ、自分は頑張ってるんだって、きっと認めてほしいんだと思う。
「大丈夫そうですね」と言われるたび壊れていく
「あなただから安心」「いつも冷静ですね」そんな言葉をかけられると、逆にプレッシャーを感じる。実際は毎日ギリギリで耐えているのに、周囲のイメージと自分の現実が乖離していく。どこかで「助けて」と言えないまま、限界を超えてしまわないかと怖くなる。
愚痴をこぼす相手もいない日常
独身で、家に帰っても話し相手がいない。昔は仲間と飲みに行って発散していたけど、今はそういう機会も減った。唯一の事務員に愚痴をこぼすわけにもいかないし、なんとなく孤独を感じる。誰かに話を聞いてもらいたい夜は多い。でも、そういう日こそ一人で夜食を食べながら、静かにテレビをつける。