午前九時の謎の依頼人
事務所のドアが開いたとき、僕はまだコーヒーを啜っていた。背広姿の男は「ただの確認です」と言いながら、登記情報提供サービスの画面を開いたタブレットを差し出した。
「この名義、正しいですよね?」と男は言った。その一言が、平凡な一日を奇妙な物語へと変えていくきっかけだった。
サトウさんはすでに横目で何かを察しているようだった。僕にはまだ何が引っかかるのか、わかっていなかった。
開かれた画面と閉ざされた表情
その画面には、確かに土地と建物の登記情報が表示されていた。所有者欄には「杉山キョウコ」とあった。
「登記簿謄本の写しではなく、情報提供サービスを使って調べたもののようですね」と僕は言った。
しかしその表情には、何かを隠す者特有の緊張が滲んでいた。目線が合わない、返事が妙に早い、そんな小さな違和感が積もっていく。
依頼内容はただの「確認」だった
男は「調査会社の者です」と名乗ったが、名刺に書かれた社名は聞いたことがなかった。
「本人確認書類や委任状は?」と尋ねると、「いや、それは必要ないんですよ」と言って早々に立ち上がった。
違和感を残して、男は足早に去っていった。サトウさんがぽつりと呟く。「あれ、何かおかしくないですか?」
サトウの違和感
「先生、地番と所在がずれてますよ」とサトウさんは登記情報と公図を並べて言った。
画面上の土地の形と実際の土地台帳とが微妙に一致していなかった。しかも住所の丁目の表記が旧表記だった。
「古い情報をもとに何かを仕掛けようとしてる?」と僕は呟いた。サザエさん一家が住む磯野家の住所がずっと変わらないように、現実では住所も更新されるのだ。
細部に宿る違和感を見逃さない
サトウさんの目はいつも細かいところを見逃さない。「先生、この名義人、生きてると思います?」
登記上は変動がなかったが、本人の痕跡がまったく見えない。調べると、住民票はすでに除票になっていた。
「登記だけが生きているって、なんだかゾンビみたいですね」とサトウさん。ブラックジョークも板についてきた。
公図と地番のズレ
僕は地元の法務局に電話をかけ、念のために法第十四条地図を確認した。
やはり地番のズレは意図的なもので、実際の所有地とは別の土地が表示されるようにされていた。
これは単なる確認依頼なんかじゃない。誰かが意図的に登記情報を利用し、何かを企んでいる。
電子申請システムの罠
念のため、過去の電子申請ログを確認した。すると不自然なIPアドレスからの照会履歴が残っていた。
しかも複数の不動産に対して一括照会されていたことが判明する。これはただの素人のしわざじゃない。
やれやれ、、、これはまた厄介なタイプの事件かもしれない。
ログイン情報が改ざんされていた
調査を進めると、司法書士の電子証明書を使って他人がログインしていた形跡があった。
一度だけではない。複数回、複数の司法書士になりすまして情報を取得している。
誰かが“電子の仮面”を使って登記の世界を好き勝手に泳ぎ回っていたのだ。
電子証明書は本物だったのか
問題はその電子証明書が真正なものだったかどうかだ。もしくは、過去の破棄された証明書が流出したのか。
サトウさんが調査してくれた旧証明書リストの中に、該当するものがあった。
なるほど、これは「誰か」が司法書士の信用を逆手に取った犯罪だった。
登記情報提供サービスの裏側
このサービス、実は本人確認が不要な範囲で情報が見られる。だからこそ悪用しようと思えばいくらでもできる。
サトウさんは「ザルですね」と一言。たしかにそうだ。便利さと危うさは常に隣り合わせだ。
僕は、自分が普段使っている仕組みにも罠があることに、少しだけ怖くなった。
第三者照会の落とし穴
登記情報提供サービスには「第三者が調査することを前提とした設計」がある。
しかしそれが正義のために使われるとは限らない。そこに悪意が混ざれば、登記制度すら脅かされる。
「まるで怪盗キッドですね。合法のフリして大胆に盗む」とサトウさんが呟いた。
なぜ「その名義人」が見えていたのか
答えは単純だった。相続登記未了。名義人が亡くなっていたにも関わらず、登記が放置されていたのだ。
つまり、死者の名を使って今も不動産が操られている。そう思うと背筋がぞっとした。
現代の亡者は、ネットを通じて土地を歩くのかもしれない。
現地調査と聞き込み
その土地に足を運ぶと、周囲の住民は「あの家は誰も住んでないですよ」と口を揃えた。
ポストには古いDMと、市役所からの通知が溜まっていた。誰も取りに来ていない。
壁には一枚の張り紙。「この家に関する問い合わせは一切受け付けません」――挑戦状のようだった。
空き家に残された謎の張り紙
その字体は、依頼人の筆跡と一致していた。彼はここに住んでいたわけではない。
ではなぜ、所有者のフリをしていたのか?動機は?
そこに浮かび上がるのは、遺産狙いの遠縁の親族による偽装だった。
近隣住民の証言が覆す常識
「一度だけ見かけましたよ。夜にスーツ着て、庭でスマホいじってた男」と住民。
やはり、奴はここを“演出”していたのだ。あたかも自分の持ち家であるかのように。
その情報で、僕らは一気に動機と手口をつかむことができた。
登記簿上の死者
調査の結果、名義人は5年前に死亡。相続人は手続きをしていなかった。
つまり、そこに付け入る隙が生まれてしまっていた。
遺産分割協議の不備が、まさに事件の温床となったのだ。
名義人は五年前に死亡していた
僕らは死亡届と戸籍、除票の写しを集め、真の相続人に連絡を取った。
彼らは「こんなことになっていたなんて……」と驚いていた。
僕はその姿に、司法書士としての使命感を少しだけ取り戻した。
なのに本人確認資料が最新だった
犯人は、亡くなった名義人のふりをして最新のマイナンバー情報を使っていた。
そのマイナンバーカードがどこから出てきたのか――答えは、おそらく盗難。
警察と連携し、犯人はついに身柄を拘束された。
見抜かれた電子の影武者
「よく見破りましたね」と刑事に言われたが、それはサトウさんのおかげだった。
彼女の冷静な分析と、電子の海での泳ぎ方を知っているからこその勝利だった。
僕は、、、少しだけ自分も頑張ったと思いたい。
サトウの推理が光る瞬間
「最初からおかしかったんです。確認だけなら、私たちじゃなくていいはずですから」と彼女。
まるでコナンくんのような推理だったが、顔は冷たいままだ。
僕は少しだけほっとして、椅子に座り直した。
やれやれ、、、手間のかかる依頼だ
依頼人は偽者だった。けれど、本物の依頼はきっとこれからだ。
司法書士として、登記の真正性を守る。そういう仕事だった。
少なくとも今日までは。
日常への回帰と残された課題
事件は解決したが、事務所にはいつも通りの時間が流れていた。
机の上には、コンビニのチョコレートがひとつ。ラッピングはされていない。
「たまたま余ったので」とサトウさん。笑顔はない。でも、それで十分だった。
サトウの冷たい一言とほのかな笑み
「次はもっとまともな依頼が来るといいですね」
彼女はそう言い残して席に戻った。その背中を見送りながら、僕はコーヒーをすする。
そして思う――やれやれ、、、司法書士も楽じゃない。