ドラマにはならない毎日だけど現場は動いている
司法書士の仕事って、見た目にも派手さはないし、感動のセリフもなければ、拍手もない。テレビドラマの中では法廷シーンやスリリングな事件があるかもしれないけど、実際は「登記申請のチェックが終わらない」「依頼者から急に電話が入った」「今日も市役所で待たされた」といった、地味で静かな闘いばかり。だけど、それでも誰かの生活の裏で確かに現場は動いてるし、誰かの人生の一部に関わっている。それが分かるのは、ずっと後になってからだったりする。
かっこよさなんて求めてないけど疲れるものは疲れる
司法書士になってもう何年になるだろう。正直、今さら「やりがい」とか「成長」なんて言葉にはピンとこない。でも、一日が終わると、どうしようもなく体がだるい。派手な動きはしてない。ひたすら机に向かって、細かい文字とにらめっこしてるだけ。でも、眼精疲労と肩こりで夜は湿布まみれ。疲れ方が「かっこよくない」ってのが一番つらい。せめて汗だくになって働いた方がまだ納得がいく。でもこっちは、冷房の効いた部屋で、書類の山と格闘しているだけ。
「書類の山」と格闘する日々にエンドロールはない
昔の話をすると、部活で野球をやってた頃、試合が終われば結果がすぐ出た。勝った負けたがはっきりしてたし、負けたらみんなで悔しがって、勝ったら嬉しくて泣けた。今の仕事には、そういう「終わった感」がない。登記が完了しても、感動のフィナーレなんてないし、誰かに拍手されることもない。ただ、次の案件が静かにやってくるだけ。あの頃は、エンドロールがちゃんとあった。今は、それがないから、自分が何を終えたのか分からなくなることがある。
机に向かってるだけなのに肩が壊れそう
最近、整骨院に通い始めた。原因は肩と首のコリ。先生には「これは完全に職業病ですね」と言われて苦笑い。立ち仕事じゃないのに、こんなに体がボロボロになるとは思わなかった。姿勢も悪くなるし、気づけば片手でキーボードを打ちながら、もう片方で電話を受けてる。地味な作業を重ねることが、ここまで体にダメージを与えるなんて…。世の中には見た目よりしんどい仕事が山ほどあると思うけど、司法書士もそのひとつだと勝手に思ってる。
司法書士の仕事は静かすぎて誰も気づかない
世の中には目立つ職業と、目立たない職業がある。司法書士は間違いなく後者だ。テレビのニュースにもならないし、ドラマの主役にもならない。何か大きな成果を出しても、依頼者からの一言があるかどうか。そんな仕事だ。でもね、それでも「あなたに頼んで良かったです」って言われると、やっぱり嬉しい。静かだけど、確かに意味のある仕事なんだって思える瞬間があるんだ。
誰も見ていないからこそ誠実にやるしかない
事務所で一人、黙々と作業していると、自分が誰のために働いているのか分からなくなることがある。でも、ふとした時に思い出す。以前、相続の相談に来た年配の女性が、手続きが無事終わったときに「これでやっと夫と向き合えそうです」と笑った顔。ああ、これか、と。その笑顔を見たときに「誰かの人生に、少しだけ関わったんだ」と実感した。だからこそ、誰に見られていなくても、誠実にやるしかないと思う。
手続きの裏側にある「人の物語」に気づく時
登記や相続、債務整理――そのどれもが単なる「手続き」に見えるけど、よくよく話を聞いてみると、そこには必ず人のドラマがある。親との確執、夫婦の想い、兄弟の距離感…。そういうのを一つひとつ聞いていくうちに、単なる「依頼」じゃないってことに気づく。でも、その物語にのめり込むと、こちらまで感情を持っていかれるから、一定の距離感も必要になる。それがまた、しんどい。
本音は「もっと楽な方に行きたい」と思う瞬間もある
ある日の帰り道、コンビニのレジで働いてる若者を見て、「あっちの方が気楽そうだな」と思ってしまった。もちろんどんな仕事も大変だし、それぞれの苦労があるのは分かってる。でも、こっちは責任の重さと孤独が常に肩に乗ってる感覚。誰かに相談しても、結局自分で判断しなきゃならない。そんな日々に、ふと「もう全部放り出したい」って思うこともある。でも、放り出せないから、結局また朝が来る。
それでも仕事を続ける理由はたぶん意地と責任感
辞めたいと思うこともあるし、もっと楽に生きられる道もあるかもしれない。でも、それでも仕事を続けてる理由はたぶん、意地と責任感だ。依頼者との約束を守りたいし、目の前の書類を放り出すわけにはいかない。誰に褒められるわけでもなくても、自分の中で「ちゃんとやった」と思えることが、今は大事だと思ってる。
辞めたら楽になるんだろうけどそれでいいのか
「辞めたら楽になるよな」と何度も思った。でも、辞めた先に何があるのかを考えると、怖くなる。今の生活は大変だけど、なんだかんだで自分の居場所でもある。楽になる代わりに、何もなくなってしまう気がする。人と関わらない生活は楽かもしれないけど、それで満たされるかどうかは分からない。だから、今日もなんとか事務所に向かっている。
「頼りにされる」の重みは軽くない
先日、何年も前に登記を手伝った人から電話があった。「あの時の対応がすごく助かって…今も先生のところしか頼りにできなくて」って。その言葉に、ちょっと泣きそうになった。普段は見えないけど、誰かの記憶にちゃんと残ってたんだって。頼りにされるって、プレッシャーもあるけど、嬉しさもある。これがあるから、やっぱり続けちゃうんだよな。
小さな感謝のひと言で続けられている自分がいる
「助かりました」「ありがとう」――たったそれだけの言葉が、なんでこんなに力を持ってるんだろう。書類の山に埋もれながら、そんなひと言を思い出して、自分を奮い立たせることがある。誰も見ていないと思っていたけど、ちゃんと見ていてくれる人もいる。たとえドラマみたいな展開がなくても、俺はここで、今日も踏ん張っている。