夢を見なくなったのはいつからだろうか

夢を見なくなったのはいつからだろうか

夢を見なくなったのはいつからだろうか

気づけば夢を口にしなくなっていた

夢って、若い頃はよく語っていた気がするんです。「将来は何になりたい?」なんて、友達と居酒屋で語ったり、夜中にこっそりノートに書いたり。でも今はどうか。45歳の今、司法書士という肩書きの下で、夢を語るなんてことはすっかりなくなった。語るどころか、考えることすらない。目の前の書類、登記、クレーム、電話、補正…夢を見ている余裕なんて、どこにもないのが現実だ。

子どもの頃は何にでもなれる気がしていた

少年時代、僕はプロ野球選手になるのが夢だった。野球部に入って、日が暮れるまで泥まみれでボールを追いかけた。甲子園には行けなかったけど、「将来は絶対プロになる」なんて本気で思っていた。夢を見るのに理由はいらなかったし、無邪気な希望だけで充分だった。今振り返ると、あの無鉄砲さがちょっと羨ましい。

司法書士になった頃のささやかな希望

司法書士になった当初、もちろん希望はあった。「自分の事務所を持つぞ」「いつか地元の困ってる人を助けたい」そんな思いで朝から晩まで勉強して、資格を取って、独立した。そのときは、夢というより目標に近かったかもしれないけど、それでも心は熱かった。今思えば、あれが最後に心から夢中になれた時期だったのかもしれない。

現実に飲まれていく感覚

開業してしばらくは、やりがいもあった。やっと自分の看板を掲げられたし、お客さんが少しずつ増えていくのは嬉しかった。でも、そのうち「いつの間にか毎日が同じことの繰り返しになっている」と感じ始めた。案件をこなし、事務員に指示を出し、期日に追われ、電話に怯える日々。夢は現実に追われるうちに、どこかへ逃げてしまった。

忙しさに流される毎日

朝から晩まで、とにかく目の前のことを回すのに必死。出勤して、メールを開いて、補正の連絡を確認して、急ぎの登記をこなして、気づけば夕方。昼ごはんを食べたかどうかも覚えていない。夢を見るなんて、そんな余裕はない。むしろ、余裕を持とうとすると、不安が押し寄せてくる。事務所を守る責任、ミスの恐怖、収入の不安定さ。全部ひっくるめて、夢なんて見てられないと思うようになった。

事務員のミスと責任の板挟み

人を雇うって、本当に難しい。うちの事務員は真面目だけど、たまにポカもする。補正対応で登記が戻されてきたとき、自分のミスならまだしも、事務員の入力ミスだったときの精神的ダメージは大きい。でも、怒ることもできない。責任は結局、こっちにあるから。言えないストレスが積もっていくばかりで、「だったら全部自分でやった方がマシ」と思うことすらある。

文句は言えない性格が損をする

優しさは長所だなんて、若い頃は思ってた。でもこの仕事では、はっきり言える人の方がうまく回っている気がする。僕は事務員にも、依頼者にも、登記官にも強く出られない。損な性格だと自分でも思うけど、変えられない。気を遣って、気を削って、でも誰にも感謝されないとき、ふと「俺はなんのために頑張ってるんだろう」と立ち止まってしまう。

夢を見られないのは甘えなのか

「夢を持て」なんて言葉があるけれど、正直、今の僕にはちょっと刺さる。夢を見ることができないのは、努力が足りないから?怠けてるから?そういうふうに責められてる気がする。でも実際には、頑張っても頑張っても、仕事に追われて、夢なんて意識する暇がないのが本音だ。

がむしゃらに働いても変わらない現実

毎月の売上、事務所の維持費、生活費…。がむしゃらに働いても、大きく変わるわけじゃない。むしろ「現状維持するために必死」という感じで、上向くビジョンが持てない。若い頃は「いずれ楽になる」と思っていたけど、今は「このままずっと続くのか」という諦めが強い。希望より、疲れの方が勝ってしまっている。

モテない男の自尊心の保ち方

この年齢になると、プライベートの寂しさもじわじわと効いてくる。正直モテない。彼女もいないし、もう恋愛に期待することもない。じゃあ何で自分の価値を感じるのか?…仕事でしかない。でもその仕事すら、報われてる感覚がないと、自尊心が崩れていく。たまに「何やってんだろ俺」と思う夜がある。冷蔵庫の中身を見て、カップ麺を手に取った瞬間とかに。

たまに思い出す野球部のころの情熱

ふと、テレビで高校野球を見ると胸が熱くなる。汗を流して、真剣に白球を追いかける姿を見ると、自分もあんなふうに何かに全力だった時期があったんだと思い出す。勝ち負けじゃなくて、ただ一生懸命でいられるあの感じ。もう一度あの頃に戻れるなら、何をしたいだろう。そんなことを考えてしまう。

真っ白なボールを追っていた日々

野球部の夏合宿、炎天下でノックを受け続けた日々。指にマメができて、ユニフォームは泥だらけで、それでも「やってやる」という気持ちで満ちていた。あの頃は、結果よりも努力する自分を信じていたと思う。今はどうだ。結果を恐れて動けず、失敗を避けるばかりの日々。夢を見なくなったのは、たぶん自分を信じることをやめたときかもしれない。

あの頃のまっすぐさは今どこへ

いつの間にか、斜に構えてしまっている自分がいる。「そんなの無理だよ」と言って挑戦しない。「失敗したらどうする」とブレーキを踏む。あの頃のまっすぐさは、現実の中でどこかに置いてきた。でも、それが大人になるってことなのか?いや、そんな言い訳で誤魔化しているだけかもしれない。

それでもやっぱりこの仕事を続ける理由

夢を見なくなったとはいえ、辞めようとは思わない。辞められないだけかもしれないけど、それでもこの仕事を続けている理由はある。誰かの悩みを聞いて、手続きがうまくいって感謝されるとき、「ああ、自分にもまだ役割がある」と感じられる。小さな達成感だけど、それが日々を支えてくれている。

誰かの困りごとを解決できる喜び

登記を終えて依頼者に「助かりました」と言われると、不思議と心が軽くなる。その一言のために何時間も書類を作ったのかと思うと、報われる気がする。この仕事は、派手じゃないし、世間的に見れば地味だ。でも誰かの役に立っているという実感が、続ける原動力になっている。

夢じゃなくても、やる意味はある

夢がなくても、生きていける。むしろ夢を持たなくなったからこそ、目の前の小さなことに価値を感じられるようになったのかもしれない。若い頃の自分には笑われるかもしれないけど、今は「続けること」自体が意味になっている。夢がない人生も、そんなに悪くない。たまには、そう思える夜もある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓