弱音を吐ける相手がいない日々

弱音を吐ける相手がいない日々

頼る人がいないと気づいた朝の重さ

朝、いつものように机に向かって申請書類を広げていたら、ふと手が止まりました。理由もなく、ただ「今日もしんどいな」と思っただけ。でも誰に言うわけでもなく、ただ黙って処理を続ける自分。誰かに一言「最近大変だね」と言ってもらえるだけで違うのに、そんな相手はどこにもいない現実に気づいてしまう瞬間。小さな積み重ねが、じわじわと心を削っていくのです。

誰かに相談したい気持ちが湧いても電話は鳴らせない

学生時代の友人や昔の同僚に連絡しようかとスマホを手に取ることはあるんです。でも結局、着信ボタンは押せずに終わります。「今さらどうしたの?って思われるかな」とか「忙しい中、迷惑じゃないか」とか、いろいろ考えてしまって結局やめる。結局は誰にも相談できないまま、自分の中でグルグルと気持ちが回っていくだけ。そうしてまた次の日が始まります。

仲の良かった同期との距離

司法書士になったばかりの頃、同期と飲みに行ったり、仕事の悩みを語り合ったりしていた仲間がいました。けれど、お互いに事務所を構えたり、家庭を持ったりするうちに、自然と距離ができてしまった。最近は年賀状も出さなくなりました。連絡を取ろうにも、もうどんなテンションで話せばいいか分からない。今の自分を話すのが怖いというのもあるんでしょうね。

連絡をためらう理由はいつも「忙しいだろうな」

本音を言えば、ただ誰かとたわいのない会話をしたい。でも「みんな忙しいからな」が口癖のようになっている自分がいる。それって本当に相手を思ってのことなのか、自分が断られるのが怖いだけなのか。もしくは、相手の近況を聞いて自分と比べて落ち込むのが嫌なのかもしれません。気軽に連絡を取るということが、こんなにも難しい年齢になってしまったのかと思います。

甘えられない性格は長男気質か司法書士気質か

小さい頃から「しっかり者」と言われ続けてきたせいか、「頼る」ことが苦手になってしまった気がします。ましてや司法書士という立場上、依頼者からも「頼れる存在」であることを求められる毎日。気づけば、弱音を見せること自体が自分の中でタブーになっていました。でも、どこかでその反動が出る時がある。そういう日は、帰りの車の中で溜息しか出ません。

「しっかりしてるね」の呪縛

子どもの頃からよく言われた「しっかりしてるね」という言葉。それは褒め言葉のようでいて、プレッシャーでもありました。大人になると、その期待はさらに強まります。ミスをしない、弱音を吐かない、頼らない。そうやって自分で自分を縛ってしまう。まるで“立派な人”を演じ続けているような日々。実際の自分はそんな立派でもなんでもないのに。

頑張り続けることに疲れた日

一人事務所を運営する中で、やるべきことは山のようにあります。登記、相続、成年後見、商業登記…やりがいはある。でも「やりがい」と「疲弊」は紙一重です。朝から晩まで対応し続けて、ふと「あれ、今日のごはん何食べたっけ?」と記憶が飛ぶ日もあります。頑張っている実感より、ただ流されている感覚の方が強くなってきました。

泣けないのがつらさを増幅させる

映画を見ても、感動しても、涙が出ない。それは心が乾いているからかもしれません。泣けるって、実はすごく健康なことなんですよね。泣くことで浄化される部分があるのに、それすらできない今の自分が、正直つらい。夜、布団の中でじっと天井を見つめるだけの日々。「誰か、気づいてくれないかな」と思いながら、誰にも言えず、また朝を迎えるのです。

事務員さんには頼れないという自意識

事務員さんは本当にありがたい存在です。でも、彼女には自分のしんどさを話すことはできません。仕事上の関係という線引きがあるし、年齢も離れている。愚痴をこぼすことで空気が悪くなるのが怖いし、余計な気を遣わせたくない。でも本音を言えば、ちょっとした一言に救われる日もある。けれどその一言を自分から求めることができないのが、今の自分です。

弱みを見せたら終わりという思い込み

長年一人でやってきた分、「弱音を吐く=負け」のような感覚があります。だからこそ、事務員さんにも「頼れる上司」であり続けたいという気持ちが強い。でも実際は、そんな強がりが逆に仕事の雰囲気を固くしているのかもしれない。自分が自然に振る舞えない職場って、結局自分にも彼女にも良くないんですよね。それでも言えない。なぜか言えない。

本当は少しの一言が救いになるのに

「最近お疲れですか?」の一言が、どれほどの救いになるか。たった一言で、救われることもある。でも、そんな言葉を引き出せない自分の雰囲気や空気があるのかもしれません。自分自身が心を開かないから、相手も距離を置く。それって、すごく損な生き方だと分かっているのに、今さら変える勇気がないのです。

「大丈夫です」と言ってしまう悲しい癖

何かあったときに「大丈夫です」と即答してしまう自分。これはもう癖のようなもので、無意識に言ってしまいます。でも、本当は全然大丈夫じゃないんです。ただ、心配をかけたくないとか、面倒だと思われたくないとか、そんな理由で自分を押し殺してしまう。こんな自分を変えたいと何度も思ったけれど、変われない自分にもまた落ち込むんですよね。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。