登記チェックで削られる神経と俺の寿命

登記チェックで削られる神経と俺の寿命

登記のチェックが終わらない日々に思うこと

「ただのチェック作業でしょ?」と軽く言われることがある。でも、司法書士にとって登記のチェックは命取りになりかねない仕事だ。一文字、一行のミスが、そのまま依頼人との信頼を壊す可能性もある。朝イチで届いた書類に目を通しながら、気付けばお昼を過ぎていることも珍しくない。毎日が神経戦だ。作業の精度を保ちつつ、スピードも求められるこのプレッシャー。誰かが「機械的にこなせばいい」と言うなら一度やってみてほしい。ミスが許されないという意味が、身体にどれほど染み込んでいるかを知ってもらいたい。

ミスが怖い 書類の山と向き合う朝

朝一番、事務所の机に積まれた登記書類の山を見るだけで胃が痛くなる。チェックという作業は、見慣れた文言の中に違和感を見つけることの繰り返し。これが、予想以上に神経を使うのだ。学生時代の野球部の練習ですら、ここまで気を張ることはなかった気がする。あの頃は、球を追いかけて汗を流していれば、明日もまた頑張れると思えた。だが今は違う。ペンを持った手が重く感じる。間違いが許されない世界で、気を抜いた瞬間に「やらかす」恐怖と毎朝向き合っている。

修正印ひとつで崩れるスケジュール

ちょっとした誤字に気づいて修正印を押す。それだけでスケジュールが1日ズレることもある。郵送の手間、取引先への連絡、相手方の都合調整……すべてが雪崩のように崩れていく。自分の不注意か、それとも依頼人の記載ミスか、どちらであっても最終責任は自分にのしかかってくる。以前、たった一文字の記載ミスで怒鳴られたことがある。「司法書士なんだから、ちゃんとやってくれよ」って。正直、その一言が一週間くらい胸に刺さって抜けなかった。

結局全部見直すことになるという現実

効率化したいという思いは常にある。だからチェックリストも作ったし、Wordのテンプレートも何度も調整した。でも最終的には「全部見直そう」となってしまう。チェックリストだけじゃ不安なのだ。自分を信用できないわけじゃないが、「見落としたらどうしよう」という気持ちが消えない。昔、1件だけ確認不足でクレームになったことがあって、それ以来「念のため」が口癖になった。自分でも面倒くさい性格だと思う。でもそれが仕事だと思ってしまう。

チェックに追われて日が暮れる

「今日は早く帰れそうだな」なんて朝に思った日は、だいたい地獄を見る。電話が一本かかってきて「至急で登記お願いできますか?」と言われれば、断る勇気もなく引き受けてしまう。そこから芋づる式にチェック作業が増えて、気づけば外が真っ暗になっている。腹も減るし、肩も凝るし、目も霞む。でも一番つらいのは、「これ、明日も続くんだな」と気づいてしまうことだったりする。

お客様に怒られる前に自分にイラつく

登記ミスの恐怖は、お客様からのクレームよりも「なぜこんなミスを見逃したんだ」と自分に対しての怒りの方が大きい。自分の信用を自分で壊したような感覚になる。事務員さんに渡す前に一度自分で見て、戻ってきたものをまた確認して……それでもミスが出たときの絶望感ときたら、言葉にならない。だからつい、何度も何度もチェックしてしまう。神経がすり減るというより、すり潰されている感じに近い。

正確さとスピードのはざまで削られる神経

「早くしてほしい」と言われる。でも「間違えないで」とも言われる。この両立のむずかしさよ。スピードを意識すると焦りが出てくるし、焦ればミスが出やすくなる。そしてそれを防ごうとすると、また時間がかかる。悪循環。ある日、夜中に事務所で一人、誤記に気づいて机をバンと叩いたことがある。その音に驚いた自分に、なんだか情けなさが込み上げてきた。誰のせいでもないのに、勝手に追い込まれていた。

一人事務所という孤独な戦場

地方で一人事務所をやっていると、誰かと仕事の悩みを共有することすら難しい。友人も少ないし、恋人もいないし、飲みに誘う相手も限られている。唯一の事務員さんにはあまり愚痴を言えないし、言っても反応に困らせるだけだろう。だからこうして、誰かに届くことを願って文章を書いている。愚痴を書いていると、「俺って結構頑張ってるな」と少しだけ自分を認められるような気がするのだ。

事務員さんに頼りすぎて自己嫌悪

ありがたいことに、うちの事務員さんはしっかりしている。任せられるところは任せたい。でも、あまり頼りすぎると「俺は何をやってるんだろう」と思ってしまうのも事実だ。任せた書類で間違いがあると、まず自分の指示が悪かったのではと疑う。怒ることはないけど、心の中で何度も反省している。そういう小さなストレスが、どんどん積もっていく。そして、ふとした瞬間に自己嫌悪として噴き出してしまう。

もう少し自分に余裕があれば

本当はもっと優しくなりたいし、穏やかにいたい。でも忙しさに追われていると、ちょっとしたことでイラッとしてしまうこともある。事務員さんがミスをしたとき、「なんで?」と詰めてしまいそうになる自分が嫌だ。余裕があれば、笑って済ませられることなのに。かつて上司に「余裕のなさは態度に出る」と言われたことがある。今、それがよくわかる。だからこそ、もう少し自分を大事にしなきゃと思うけど、それがなかなか難しい。

指示が雑になってしまうのがつらい

自分が忙しいと、つい指示が雑になってしまう。事務員さんに「それ、昨日言ってませんでしたよ」と指摘されて、ハッとする。人に任せるなら、ちゃんと説明しなきゃいけないのに、それができない自分にまた落ち込む。仕事を抱え込みすぎて、自分がパンクしかけているのかもしれない。以前、野球部時代の後輩に「先輩、もっと周り使ったほうがいいっすよ」と言われたのを思い出す。たぶん今でもそれが正解なんだろう。

人を増やす勇気が持てない理由

人手が足りないことはわかっている。でも「もう一人雇う」という決断がなかなかできない。理由は単純で、経済的な不安と責任の重さだ。人を雇えばその人の生活も背負うことになる。今の売上で、それに耐えられるか?そのプレッシャーを考えると、つい先延ばしにしてしまう。自分ひとりでやった方が楽、というより「それしかできない」と思い込んでいるのかもしれない。

お金と責任の板挟み

新しく人を雇えば、当然支出も増える。でもその分売上が上がるかといえば、保証はない。今のままでギリギリ回せているからこそ、余計なリスクを取りたくないという気持ちが強い。一方で、今の体制では将来がないという不安もある。ずっとこのまま一人で登記のチェックをし続けるのか?寿命が縮む思いをしてまで働き続けるのか?その問いに、まだ答えは出ていない。

結局自分がやった方が早いの罠

「やってもらうより、自分でやった方が早い」これはすべての零細事業主に共通する罠だろう。確かに短期的には効率がいい。でもそれが積み重なると、自分しか頼れない組織になってしまう。実際、今の自分がそうだ。全部自分で抱えすぎて、首が回らなくなっている。わかっているのに、抜け出せない。だからこそ、少しでも同じような立場の人にこの記事が届けばと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。